2009年12月29日火曜日

(3)死生観を語りあうブログ

葬送文化の専門誌「SOGI」に、秋田光彦住職のロングインタビューが掲載されました。大蓮寺や應典院の取り組みを通して、新しい時代の死生観について言及しています。5回に分けて連載します。

 今回のエンディングセミナーでは、もうひとつ「みとりびとは、ゆく」というブログを同時スタートしました。セミナーの模様の紹介や私や仲間の雑感などを交えていますが、それを機会として個々人の死生観を自由に語り合う場として設けました。布教ブログでもなければ、仏事のFAQでもない。僧侶も一緒になって、現代の死生について考えようというのがねらいです。 

 多死社会において、否応なしに家庭が死の臨床となるなら、いっそう日常における死生観の成熟が急務と思います。しかし、宗教なき現代では誰もが共有できる死生観がありません。中高年の自殺問題やいじめ、衝動殺人など、すべてといいませんが、日本人の死生観が基軸を欠いたまま不安に喘いでる現状を象徴しています。これを千葉大学の広井良典さんは、死ということの意味がよく見えないと同時に、生それ自体の意味もよく見えない「死生観の空洞化」(『死生学Ⅰ』東京大学出版会)と指摘していますが、私も同感です。 
 それに対し、「今こそ仏教に死生を学べ」と布教師たちは声高に言うかもしれません。それはそれでおっしゃる通りなのですが、個人がむき出しになった現代、昔ながらの流儀や因習に従うとも思えません。地域共同体が壊れ、葬儀も個人嗜好で多様化したように、個人の感性や価値観は、好むと好まざるとかかわらず、過去から続いてきた規範を踏み越えていきます。作家の柳田邦男さんは、現代は「自分の死を創る時代」と言いましたが、まさにこれからの死生観はかつてあったものを伝承されるというより、自分たちで参加しながらデザインしていくものとして相対化されていくのでしょう。
 これまで伝統仏教の結束の基盤となったきたものは、血縁であり地縁でした。それが壊れて急速に個人化が進み、信仰もまた家単位から個人の宗教の時代に大きく転換していこうとしています。教義が授けられ、絶対存在によって救われるという受動態ではなく、自己の気づきや変容を重視していくのが、個人の宗教の顕著な傾向です。そこを檀信徒教化というフォーカス(つまり家の宗教の視線)で見ていては、永遠にかみ合いません。このままでは、仏教は宗派とか教団という囲いを取り払うと忽ち存立不能に陥ってしまわないか、という不安をおぼえています。
 このブログ「みとりびとは、ゆく」は檀信徒対象ではありません。無宗教の人も意識しています。そこでは、仏教は絶対的回答なのではなく、壮大な問いとして提出されるものです。「浄土宗では…と考えます」ではなく、読者に対し「あなたはどう考えるのか」という問いかけであり、「ともに考え、ともに悩もう」というのが基本スタンスです。模範解答であればホームページで十分ですが、現代の死生観には対話型のブログがどうしても必要だったのです。
 八月から九月にかけてブログには、エンディングセミナーのレポート以外には、こんなタイトルが並んでいます。
○少子化時代の「供養」をどう考えるか。お盆に想うこと。
○書評:日本人と『死の準備』~これからをより良く生きるために
○日常生活の中の死 ~死の瞬間まで人生の主人公であるために~ 奈良県ホスピス勉強会報告
○シンポジウム聴講:「今を生きる力~激動の時代をホリスティックに生きる~」帯津良一さん
○布施は宗教サービスの代価ではない。派遣僧侶という問題
 書き手は私以外にも僧侶や市民数名と分担しているので、一貫性は乏しいかもしれませんが、仏教を共通軸としながら話題は拡張していっていくことが汲み取っていただけると思います。別の月には「臓器移植改正法」「衝動殺人」なども取り上げましたが、意識的に社会問題について仏教の死生観から問い直すことをやっているつもりです。仏教を「私事」に閉じ込めず、いかに公共的なものとつなげていくのかという試みです。ここでは仏教は答えとしてでなく、重要な参照点として共有されています。
 まだ始まって間もないので、コメントが続々というわけにはいきませんが、議論できる場をつくる、という意味では、少しずつ関心が広がっています。ネット上でどういう出会いや対話が起きるのか、楽しみでもあります。(秋田光彦)

2009年12月27日日曜日

(2)死の臨床と物語

葬送文化の専門誌「SOGI」に、秋田光彦住職のロングインタビューが掲載されました。大蓮寺や應典院の取り組みを通して、新しい時代の死生観について言及しています。5回に分けて連載します。

3人のゲストは、葬儀社最大手の大阪・公益社執行役員の廣江輝夫さん、開業医でいまい内科クリニック院長の今井信行さん、アットホームホスピス代表の吉田利康さんですが、共通しているのは立場を違うが、死の臨床に立ち会う専門家であるということです。しかも、その専門性が現代の死と切り結ぶうちに意味の異化作用を起してる点がたいへん興味深いものでした。
葬儀社の廣江さんは、早くから遺族支援「ひだまりの会」を設置して、グリーフケアの普及に取り組んでいますが、これは「葬儀」を扱う葬儀社が「葬儀後」を扱い始めた点で異化されています。 今井さんも、在宅ホスピス医として大勢の方を看取ってこられましたが、「延命ではなく、いかに死を受容するか」という文脈自体、近代の治療医学とは違う地点に立たざるを得ません。
このように現代の死の臨床では「脱専門」という大きな転換期を迎えていると思います。一方で同じ現場にいながら、僧侶は無関与のままほとんど反応を示さないでいます。臨床家としての自覚がないのでしょうけど、ある意味、ものすごくもったいないことだと思います。 今回のセミナーでも「葬儀社対僧侶」「医師対僧侶」という異なる専門性をすり合わせながら初めて見えてくるものがあります。僧侶とは、本来そういう異化を引き起こす他者性をゆたかなに内蔵しているはずですが、残念ながらそれが発揮されることは皆無に等しかったのです。私は「僧侶性の限界」と言っているのですが、それぞれの宗派に依って立つことが僧侶のアイデンティティであると同時に、皮肉なことにそれがバリアとなって、外との対話や交流の機会を阻んでいるように思います。日本の僧侶は社会性云々という前に、絶望的なほど他の専門家と向き合う接点が少なすぎます。 
3人との対話では、臓器移植法の改正やスピリチュアルケアについても議論があったのですが、私がいちばん印象に残ったのは、長年在宅医療にかかわる今井ドクターが「在宅死って、一篇の詩のようなものなのかもしれない」とつぶやいたことでした。物語とかナラティブ(編集部注釈・narrative=話術、語り口、叙述すること)とか言われるところと重なるのですが、これはいまの仏教に大きく欠落しているところと感じました。
愛妻を自宅で看取られた吉田さんも、元々文才の豊かな方だったこともありますが、その死別の悲嘆を外に表現することで受容していかれました。最初にある医療財団から助成を受けてつくった在宅ホスピスの啓発用ブックレット「あなたの家にかえろう」が十万部無償配布されて話題になって、今年は絵本「いびらのすむ家」を刊行されました。これは、吉田さんの死別体験を原案とした絵本です。愛妻の発病から入院、闘病、余命告知、在宅看護、そして最期の看取りまでが家族たちの魂の物語として描かれています。これは医療の専門家には絶対書けないものであって、患者やその家族といった当事者たちが「物語」という方法を手にして、死の臨床に立ち上がってきたことを強く実感しています。 
  吉田さんは今、生活の座から生老病死を見つめ直し、市民目線で介護・看取り・交流・助け合いを実践していく場「アット・ホームホスピス」を立ち上げ、活動しています。非常に横断的なネットワークで、従来の専門職のタコ壺的状況に切り込もうとしています。ここから市民によるもうひとつの専門性が生まれるかもしれません。現代の仏教がそういった動きとどう連携できるのか、あるいはできないのか、関心は尽きません。(秋田光彦)

2009年12月24日木曜日

(1)生前個人墓とエンディングセミナー

葬送文化の専門誌「SOGI」に、秋田光彦住職のロングインタビューが掲載されました。大蓮寺や應典院の取り組みを通して、新しい時代の死生観について言及しています。5回に分けて連載します。

 2003年からほぼ毎年、夏に市民向け講座エンディングセミナーを開催しています。同様に大蓮寺墓域に生前個人墓「自然」を建立したことが契機となって、エンディングにかかわる6つのNPOと緩やかなネットワーク団体「大蓮寺エンディングを考える市民の会」を運営してきました。セミナーもNPOと共催でやってきましたが、医療相談、住宅、遺産・相続、生きがい等々、エンディングセミナーは生前にシフトするほど扱う領域も拡大していきます。
 なぜお寺とNPOの協働なのか、というと、大切な生死の問題を当事者である自分たちどうしで知恵を出し合い、支え合うネットワークをつくりたかったからです。現実は病院任せ、葬儀社任せ、と専門家に丸投げされているのが実態であって、それを当事者の権利として回復するためには市民が相談できたり、学習できたりするためのサポートセンターの機能が必要だと考えたからです。「おひとりさまの老後」はやがて個人の力で支え切れなくなりますから、立場の違う人たちどうし連帯して支え合うネットワークづくりが重要となります。NPOがそのパートナーとしてふさわしいと考えました。
 いまのお寺自体には何の対応能力もないですが、やはりよろず相談所の名残はあって、いろんな相談事が集まってきます。解決はできないが、紹介ならできるかもしれないと、お寺が中間機関として専門性のあるNPOと連携するようになりました。例えば医療関係なら大阪のNPO法人ささえあい医療人権センターCOML(コムル)、葬送であれば東京のNPO法人エンディングセンターなど相談内容に応じて仲介をするわけです。いのちに関係する相談の取り次ぎ役みたいなものです。このサービスは、ネット上でも展開しています。
 もうひとつ当初から考えていたのは、お寺自体の問題です。お寺をめぐるお金は、誤解も含めしばしば不透明性を指摘されてきました。お寺に寄せられるお金は本質は浄財ですから、本来は公益性のあるものに還元されなくてはならない。「自然」というお墓は檀家が対象ではないので、考えやすかったのですが、ご志納いただいたお金から一部をエンディングのNPOに毎年寄付することを想定していました。NPOの世界にはファンドマネジメントといって自治体や企業から寄付を開発する手法はよくありますが、宗教法人のお金がNPO法人の事業費として提供されるケースは恐らく初めてだと思います。「自然」を建立する費用がようやく減価償却できたので、来年度からスタートさせる予定です。
 ここ数年エンディングセミナーは、私の個人的関心もあって、看取りの問題を扱うことが多くなっていました。今回のセミナーもNPOと共催ではなく、ちょうど映画「おくりびと」がブームでエンディングに関心が高まっていたので、それをもじって「みとりびと」として、看取りにかかわる3人のゲストを招いて、私との対話方式で開催しました。セミナーの企画書に、私はつぎのように趣旨を述べました。
『映画「おくりびと」の大ヒットは、日本人にとっての死と家族の関係について改めて想い起こさせました。しかし、映画とは違い、実際の死の風景、とりわけ末期から死、死後のプロセスは、家族には知らされず、実際に体験した場合、心身ともに大きな重圧がかかります。年間110万以上の人が亡くなる多死社会の日本において、家庭は看取りとは無関係な場所ではなく、もはや死の臨床といってよいはずですが、そのための環境や人材、作法など、その基盤はけっして充分なものとはいえません。遺族会、在宅ホスピス、そして家族による看取り…死と家族をめぐる3つの物語に学びながら、いのちを支えることの意味をともに考えます』(秋田光彦)

2009年12月19日土曜日

《講演会案内》 「救えるいのちを救う」~山本孝史さんの遺志をつなごう~

 年間自殺者数が11年連続で3万人を突破する中、「自殺者の出ない社会に向けて行動を」と、肉親と死別した人への支援などに取り組む任意団体「Live on(リブオン)」(代表 尾角光美さん)が主催する講演会が開催されます。
 尾角さん達は、9月に全国の自死遺児を集めた交流会 YES for lifeを東京で開催しました。その時に参加者と「精神的に不安定になりがちな遺児を支える活動をしたい」「自分たちも自殺を減らすために何かしたい」「この社会を生きやすくしたい」という思いを共有したことから、今回の講演会の場が生まれました。
 尾角さんは「自殺は様々な社会的要因で起きている。自殺について共に考え、行動していくきっかけにしてもらいたい」と語ります。
 自殺者が過去最高となりかねないほどの高い水準で推移している今年の最後に「救えるいのちを救う」ためにいのちをかけた山本孝史さん(民主党・衆参両院議員)の遺志をみんなでつなぎ、自死遺族だけではなく、社会全体で、その思いを共有し、行動につなげていける場にしたいという思いです。(浦嶋偉晃)

□□□□□□□□□□□□□□□□ 概要 □□□□□□□□□□□□□□□□□□□

日時:12月22日(火)19時~21時(18時半 受付開始)
場所:ドーンセンター5階 特別会議室(大阪市中央区)
内容:山本ゆきさん講演
    「いのちに生きて」~「自殺対策基本法」に込められ
た山本孝史の思い~
   自死遺族の体験談、社会に向けたメッセージ など
参加者:一般市民
参加費:無料
定員:90名
申し込み:m.liveon@gmail.com までご連絡下さい。(定員に空きがあれば当日参加も可能)

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2009年12月8日火曜日

「グリーフケア、その理解 ~大切な人を亡くした悲しみ~」

 去る11月29日、奈良県ホスピス勉強会の定例勉強会に参加した。グリーフカウンセラーとして活躍されている京都産業大学 学生相談室主任カウンセラーの米虫圭子さんから「グリーフケア、その理解」という題で講演を聞いた。

 米虫さんはアメリカの大学を卒業し、アメリカのホスピスや遺族ケアに関わり、8年前に帰国したが、まだ当時の日本では「グリーフケア」という言葉はインターネットで検索してもほとんど載っていなく、職業としても確立していなかったという。
 「グリーフ」というのは「喪失の悲嘆」と訳されているが、喪失体験とは必ずしも死別だけを指すものではない。病気・離婚・失業・転勤・引っ越しなどもグリーフを伴う喪失体験である。失ったものがその人にとって、代わりのもので埋められるのであれば、その悲しさは日々の生活の中でなんとかやり過ごすことができるが、死別というような大きな喪失の場合、グリーフは深く長く続く。グリーフは一瞬の出来事や感じ方ではなくて、死別を体験した人が辿る心や体の変化全てを含む長期にわたるプロセスである。
また人によって悲嘆の内容が違い、回復までの決まった道筋はない。
 喪失体験後に起こりえる変化として多くの人に共通して見られるのは、不眠や食欲減退などの身体的な変化、外出をしたくなくなったり、人と会うのを避けたり、以前好きだった事も楽しめなくなったりする日常生活上の変化等である。感情的な変化は人によって様々で、悲しみだけでなく罪悪感を強く持ったり怒りでグリーフを表したりすることもある。一方、同じ家族の中でもグリーフの著し方はそれぞれ違い、そのため親族や夫婦間の関係が悪くなってしまうことも非常によく聞かれる。「グリーフケア」は、このようにさまざまな変化を体験している遺族の心の回復がよりスムーズに起こる助けとなるケアのことである。

 悲嘆からの回復作業として、①喪失を現実のものとして受け入れる ②悲嘆の痛みを感じる ③亡くなった人がいない生活に慣れる ④死を情緒的に再配置し、これからの生活を歩んでいく、以上の4つの課題がある。人は元来回復する能力を持っている。つまり、亡くなった人が担当していた役割を残った人が再度役割分担し、その事によって徐々に悲しみを和らげて行く、また亡くなった人の居場所を確立することによって、いつもそこから見守ってくれていると感じることである。
 私自身、グリーフケアは、とても難しいものと感じている。愛する人を亡くした人にどのように接したらいいのか正直、分からない。ただ米虫さん話を聞いて、相手に耳を傾け、思いやりを持って見守り、そして生活面の困難にも留意することが大切だと教えられた。死別後に辛かったこととして、「思いやりのない言葉をかけられた」というのはアンケートの上位にある。言葉をかけた本人にはそのつもりはなかったのだと思うが、だから余計に難しい。
 今後、Formal care:サポートグループや追悼会、個別カウンセリング、Informal care:家族や友人知人、医療関係者などによる慰めや傾聴、という両輪が必要である。また突然死ではなく、施設、在宅ホスピスなどに見られるように、死のプロセスが大切となるだろう。
 今回、お話を聞いて、グリーフケアへの寄り添い方について理解することができたが、実際には自分自身を振り返っても、悲嘆は一人ひとり違い、とても難しい領域であると感じた。あまり他人にふれられたくないとさえ思う。
 実際、素朴に思うのは、グリーフはやはり人間関係からくるもので、生前からきちんと相手と向き合って、共感理解できる関係性を持てるように努めることが必要であり、これにどう対処するかで、私たち自身の生き方が問われていると思う。(浦嶋偉晃)

<参考>
下記の日本ホスピス・緩和ケア研究振興財団のURLで「これからのとき 大切な人をなくしたあなたに」という冊子がダウンロードできる。

http://www.hospat.org/korekara.html

2009年12月3日木曜日

「葬送と仏教~死生観の視座をもとめて~」の講演をお聞きしました。

 去る11月21日、大阪YWCAにてエンディング講座「葬送と宗教~死生観の視座をもとめて~」のパネルディスカッションに参加した。時間も限られており、議論も十分掘り下げるには到らなかったが、意欲的な企画に敬意を表したい。
 当日はコーディネーター役にジャーナリストの北村敏泰さん、パネリストに大蓮寺住職・秋田光彦さん、公益社執行役員・廣江輝夫さん、宗教思想史家 笠原芳光さん、イースター式典社社長・小林望さんの4名の方からお話を聞いた。参加者は50名を数えた。
 冒頭、北村さんから現在増え続けている「直葬」の話題が提供された後、「葬送の現況と今後の展望」というテーマについてパネリストがそれぞれの立場から語った。以後はその発言要旨である。

 廣江さんの話で印象的だったのは、現在の葬儀は「参加する儀式」という指摘だ。昔はご近所さんが中心になって葬儀を担当していたのが、今は主導権を葬儀社が握り、喪主も単なる参加者の一人になっている。高齢者も葬儀文化を伝えようとしない。葬儀社中心の葬儀になっていくのは、それでいいのか。また、葬儀を合理化し、単純化する傾向が著しい。本来、葬儀は人間関係の再構築の場であるべきだが、その意味も損なわれている。
 葬儀の様式にはそれを行う人たちの死生観、宗教観が深く埋め込まれいる。葬儀は故人のためだけでなく、残されたもののために行われるという意味合いも強くある。残された人々が人の死をいかに心の中で受け止め、位置付け、そして処理していくか、これを行うための援助となる儀式が葬儀である。
 小林さんも「葬儀の大切さ」を話され、葬儀はお世話になった方へのお礼の場であると言われた。
 一方、笠原さんは、仏陀もイエスも共に葬儀は必要ない、生きている者を大切にしなさい、葬儀よりも生者のほうが大切であると説かれていると言われたが、正直なところ、この部分の解釈は今の私には難解であると感じた。

 秋田さんは、葬送は長い人生の死生観を生きるための人生儀礼である、と述べた。また「仏陀の弟子アーナンダの裏切り」を例に挙げ、葬式仏教は仏陀の死から始まった。仏陀の「遺体を焼いて、そのあとで骨を拾ったり供養の対象にしたりする必要はない」という遺言に対して、供養の気持ちを押しとどめることができなかったアーナンダは背いてしまった。
 現在、仏教を批判して、葬式仏教と嘲笑をあびせる人々の声は絶えない。しかし現実は日本の仏教がかくも長く生きながらえてきたのは、アーナンダ以来その死の儀礼を執行しつづけてきたからではないか。
日本の葬送文化の基軸は、仏として再生するという浄土往生思想にある。日本人の浄土観では、浄土は遠い所にあるのではなく、常に生活の延長線上の身近にある。
 現在、「地縁型寺院の崩壊」があり、都市社会において、死はどんどん「個人化」(一人称化)して、閉ざされている。現在の葬送は文化というより市場サービスであり、宗教観、共同的死生観が衰退し、二人称としての視点が後退している。
 死の「個人化」と「脱宗教性」により、死の共同性が喪われている。

 大蓮寺では、7年前から生前個人葬「自然」を設けた。生前に個人の資格で参加する「共同墓」において、血縁でなく「結縁」で結ばれた人、同じ仲間どうしが支えあう関係づくりをしている。それば言わば、死に向かうトレーニングにもなっている。
 死は究極の公共問題であり、「死」を閉じた私事から地域の絆として開く試みを通して、新しいタイプの「葬式仏教」のデザインが必要となってくる。
死生観とは「生」を考えることであり、また死生観は知識や情報ではない。人間は喪失に直面した時、共感、共苦を感じる。
 命に対する社会の動きにもっと関心をもってほしい、一人称の死だけに関心が偏っている、それを教えるのは寺院の役目でもあるはずだ。

 最近は、私の周りでも、葬送の簡略化が目立ち、また会葬者の都合を優先しすぎた余り、逆の意味での儀式の簡略化加速したと思っている。今回、お話しを聞き、改めて葬送と仏教の関係の大切さについて考えさせられた。またそれだけに、葬送に宗教者がどうかかわっているのか、また宗教とのかかわりはどうなのかがますます興味が湧き、期待する。

 私自身、宗教、お寺の大いなる可能性と、いざという時に宗教者が支えになれることを信じている人間である。また途切れないように、そういう気持ちを子供たちに伝えていきたいと感じた。(浦嶋偉晃)

2009年11月21日土曜日

なぜ日本人は「慟哭」しないのか~悲しみを外に出さない美徳について。 

 韓国人の激情ぶりは有名だ。家族や身内が犠牲になった時の悲しみようは、まさに天を仰ぎ、地に伏して「慟哭」そのものである。情にもろいのは日本人も同じだが、感情に正直でその激高を抑えようともしない。
  産経新聞の海外特派員のレポートに「静かな日本人」という小さなコラムがあった。先日、釜山の射撃場で犠牲になった日本人旅行者の遺族たちのふるまいを評しての言葉だ。肉親を失った悲しみにもかかわらず、韓国人のように泣き叫ばず、実に静かな気配を残した日本人に感心しているという。
 「その背景として日本人の<人に迷惑をかけない>という教育や<悲しみを外に出さないことが美徳>とする価値観などを(韓国メディアは)指摘している。ある記者は『現場で日本人遺族たちが見せてくれた毅然とした姿と節約された言動はわれわれの記憶に残るだろう』と書いている」(産経新聞091121)
 私は少々複雑な気分に陥った。確かに日本人の美徳のひとつといえるかもしれないが、それは逆に「状況を受け入れやすい」日本人の気質とも通じる。政治でも経済でも、目の前の状況が大勢であればさしたる批判も葛藤もなく、黙って受け入れるのも日本人的感性なのかもしれない。今夏の臓器移植法改正の問題でも感じたが、生命倫理という実存の危機に直面しながら、われわれは何と流されやすいのか。
 葬送の世界でも最近、直葬の問題がよく取り沙汰されている。首都圏では、すでに葬儀をしない遺族が3割あるという。いったい葬儀の本義とは、愛する家族と死別した悲しみを社会的に表明する場ではなかったのか。悲しみに打ちひしがれ、悲しみにくれ、そんな喪の時間を費やしながら、やがて死を受け入れていく。直葬の背景にはそんな「悲しみ」の深い影がまったく見当たらない。それが「死への無関心」という静けさだとしたら、日本人の美徳といっていられない。(蓮池潤三)

2009年11月11日水曜日

仏教都市の変遷~大阪・上町台地の魅力

 大阪・上町台地は伽藍の街である。その歴史は古代、仏法伝来の地・四天王寺に始まり、中世には浄土教の聖地として、また近世には石山本願寺を中心に発達した自治都市大阪の表舞台として名高い。江戸時代には町民文化の開花に伴い、都心の寺町文化が発展するなど、近代までの上町台地の歴史はそのまま仏教都市・大阪の変遷を写し取っている。
 今日もなお上町台地は現役の一大寺町ゾーンである。都市の光景は著しく変貌し、あたりにはタワーマンションが林立しているが、寺町だけは時間が止まったように三五〇年以上前の豪壮な姿を今に留めている。しかも寺々には隣接して、商店街や市場、学校や病院があり、人々の暮らしのただ中に祈りがある。京都や奈良のような巨大な観光寺院はないが、何よりも都心に息づく歴史の触感が、上町台地最大の魅力だ。
 私の寺にはしばしば海外からのゲストが来訪するが、彼らはお笑いや食い倒れ以上に、この街中に溶け込んだ歴史の存在感に大きな関心を表す。歴史はただ事実を探ることだけでなく、今という地点から読み返されてこそ意味を持つが、外国人には、教科書に記述された正史より、日常の中で育まれてきた歴史の物語の方が魅力的に映るのだろう。歴史は生き物であって、それを古臭い博物館の中に閉じ込めてはならない。
 私の寺のある天王寺区下寺町は南北に一.四キロ伽藍が並ぶ市内随一の寺町だが、ここでは物語を上書きする実践に取り組んでいる。界隈では一心寺がお堂に寺町インフォメーションセンターを付設、また一心寺シアター倶楽や應典院など芝居や落語を楽しめるお寺もあって活況を呈している。毎年、桜の季節には寺町を挙げて人形芝居のフェスティバルが開催され、昨年秋には「防災てらまちウォーク」という防災にちなんだユニークなまち歩きも実施された。仰ぎ見る歴史ではなく、自身の足で歴史に参加していく試みだ。
 近年上町台地では観光資源の開発に熱心だが、本当に必要なものは土産物やグルメではない。歴史の現在にふれながら、まずそこに生きる人々が地域に対する誇りや愛着を取り戻すこと。また無数の生老病死を繰り返してきた先人たちの知恵や作法に学ぶことではないか。内に暮らす人に「死ぬまでここで暮らしたい」と思わせる都市は、自ずと外の人も引きつける。
 上町台地は、歴史を現代の中で再生させていく最後の「聖地」なのである。(秋田光彦)


(本稿は11月10日産経新聞夕刊に掲載されたものを転載しました)

2009年10月29日木曜日

個の時代。フリースタイルな僧侶たち

8月に京都で「フリースタイルな僧侶たちのフリーマガジン」が創刊された。A4版、8頁、カラーグラビア印刷でお金がかかっているが、そもそも何で僧侶がフリーマガジンなんだろう。
 編集の仕掛け人である池口さんに会った。昭和55年生まれ、尼崎の浄土宗のお寺に生まれ、京都大学から同大学院に進み、いま総本山知恩院の職員として働いている。若いがれっきとしたプロの僧侶だ。フリーマガジンのその他の書き手は、彼の大学院での仲間の僧侶たち。宗派は異なる。その意気に応じたライターやカメラマンが参加した僧俗混成部隊だ。


 マガジンはそのままインターネット上でも読むことができるが、その中に池口さん自身が発刊の趣旨にこう書いている。
 「インターネットで僧侶一人一人の情報が交換され、それぞれの個性が評価される時代は遠くない。すでにその息吹は見受けられる。その時は、人々は「自分の価値観に合う僧侶」を選ぶだろう。それならば、手垢のついた表現を駆使するよりも、「フリースタイル」で自分の個性をアピールするほうが、時代のニーズに合っていると思うのだ」
 この文章の前後には、池口さんの僧侶としての時代認識や仏教への可能性など熱く述べられているのだが、とりわけ私が共感したのは、若い優秀な僧侶はすでに「僧侶個人」が「選択される」ことを認識している点だ。ここではフリースタイルとは、市民と僧侶個人のフリーアクセス、フリーコンタクトということであって、最初から宗派、教団という囲いの外に自分の地点を持っている。最初から相手は檀信徒ではなく、「個」としての市民を向いている。
 これまで僧侶は、外の社会とのアクセスを教団組織を介して行ってきた。教団はそこに所属する僧侶にとってだいじな出世機関であり、いい意味で僧侶(人材)の能力を吸い上げるヒエラルキーでもあった。そのため宗内には星の数ほど団体や役職が設けられ、若い僧侶を囲い込んできた。
 が、同時に徹底したムラ社会である教団では、際立った個人の能力は嫌われる。布教、でも子ども会でも、昔ながらの教化には鉄壁の上意下達のシステムがあって、若い才能など発揮しようもない。そもそも若い人材を活かそうという発想が教団にはない。幹部職は大抵が70代以上なのだから無理もないのだが。
 「個」が隆起する時代にあって、組織にしがみついている場合ではないのだ。寺は一つ一つが独立した拠点であって、教団組織の下部にぶらさがっているわけではない。自分で考え、自分で判断する。同じ宗門人だからといって、何でも教団に横並びでいいのか。でなければ、日本に寺が7万5千もある説明がつかないではないか。
 ひとりの僧侶としての生涯において、青年僧の時代は貴重だ。無垢なまま社会と向き合い、自他の関係に身を投じてみる。外とフリーアクセスすれば、教団の言葉が閉じた世界でしか通用しないことがわかるだろう。自分たちが何を期待されていて、何がズレているか、よくわかるだろう。次代の仏教者の基本は、教化でも折伏でもなく、協働と対話であることが骨にしみてわかるだろう。
 よるべきなき「個」の時代である。「個」が確立されないまま「自己決定」「自己責任」と追いたくられ、現代の「個」は孤立して喘いでいる。仏教は集団や組織の原理でなく、いま目の前の「個」を救う教えでなくてはならない。たくましい「個」をつなぎ、もうひとつの共同体を形成する力といおうか。これまでの仏教とは異なる、語り口やスタイルが必要とされている。
 ちなみに池口さんのフリーマガジンは、京都市内の大手書店にも置いてある。聞けば、書店とは一軒一軒足を運んで直接交渉したとか。「どうせ仏教なんて…」などとやりもしないで、嘆くなかれ。青年僧の情熱に、きっと社会は答えてくれている。(秋田光彦)

*ネットでフリスタを読むこともできます。
http://www.freemonk.net/

2009年10月19日月曜日

グリーフケア「ひだまりの会」月例会

 去る9月20日、「應典院 夏のエンディングセミナー」でも講演いただいた、公益社の廣江輝夫さんが中心に活動しているグリーフケア「ひだまりの会」の月例会の見学をした。
 「ひだまりの会」の活動については、ブログの「公益社執行役員・廣江輝夫さんインタビュー」を参照してほしいが、見学をして最初にすごいと思ったのは、ひだまりの会事務局長の出口さんが、来場された人たちに気さくに声をかけ、また手を握ったりして会話をし、緊張している会員の方に対して和やかな雰囲気づくりをしておられたことだった。初参加の人は非常な不安を持っているだろうが、その緊張をやわらかにほぐされているのを見て、出口さんの細やかな心配りを感じた。何よりも笑顔が素敵だった。
 午前中の第1部は、初めて参加される方や、悲嘆の強い方が中心で20名の方が来られていた。男女比率も同じくらいで、年齢層は会社を定年した方から若い方まで様々だった。

 最初は岡本双美子さんが、「大切な人を亡くすという体験」という題で講演され、その後、「分かち合い」と呼ばれる小グループに分かれ、体験談を話し合う場に移った。私は龍谷大学の教員の黒川雅代子さんがファシリテーターをされているグループの見学をした。4名の会員の方が体験を話された。涙をずっと流さている方や、まだ大切な方の死を受容できない人など、まだまだ悲嘆の強い状態であった。もし私に何か発言をしろと言われても、とてもとても私などが意見できるようなものではなかった。
 黒川さんは、「大切な人を亡くした悲しみとどう向き合えるか?」その「答え」は、その人の中にしかないのかもしれない。しかし、その「答え」は、そう簡単に導き出せるものではない。そのために、時間や、そばで寄り添い傾聴し共感してくれる人が必要なのかもしれない。その「答え」を導き出すための過程の中で、同じ体験者同士の分かち合いは大きな役割を果たすのではないだろうかと言われた。
 その言葉通り、分かち合いが終了する頃には、皆さんの表情が柔らかになっていく印象を得た。もちろん一回ですっきりするわけではない。何回も同じ場を繰り返し、少しずつ悲嘆を和らげていくことが必要である。また実際、アンケートでも皆さん、また参加したいと書かれていた。
 「ひだまりの会」は傷口のなめあいでもなく、また他の人との悲しみの比較をするわけでもない。お互いの経験を話し合い、次のステップ、残された人生を生きる活力、エネルギーを養う場である。
 午後からの2部は、ある程度、立ち直られた方が90名ほど集まられた。ここでも驚いたのだが、受付も進行も会員の方が担当されており、表情も明るく、月一回の同窓会のような感じがした。これが「ひだまりの会」が目指している、ライフサポート、つまりマイナスからゼロではなく、ゼロからプラスに転換するという実践がうかがえた。
 音楽グループの方が合唱し、会員の皆さんの一緒に口ずさむ、そんな明るい風景が見られた。とにかく明るい、言い方は悪いが、うるさいほど会話が弾んでいるのを見て、「ひだまりの会」が果たしてきた役割の大きさを感じた。
 私は、1部でお会いした悲嘆の強い方々が、この会に参加してきっと変わっていくだろうと強い確信を持った。また変わっていく姿を見たいとも思った。
 人によって悲しみの度合いも違い、悲嘆の大きさ、立ち直りの時期も違う。しかし廣江さん、出口さんを始め、「ひだまりの会」のスタッフの方々の会員さんとの接し方を見て、本当に何か安らぎを得た一日であった。(浦嶋偉晃)

2009年10月15日木曜日

阿修羅像、奈良に帰る。失われた中心への回復。

 東京、九州を巡回していた国宝・阿修羅像が奈良の興福寺に帰り、17日から本家での展示が始まる。両方で165万という記録的な観覧者を迎えた阿修羅像は、最近の仏像ブームも牽引した。いったい何が人々を魅了したのか、14日の朝日新聞で記事が載っていた。



 納得したのは、「芸術新潮」の編集長が言っていた「阿修羅はキャラ立ちしている」というコメント。この像の造形的なキャラクターは世界に冠たるものと私も思う。興福寺の多川俊映さんも「心をくすぐる、何か懐かしい面相」が人々をひきつけたといい、「戦いに疲れて釈迦の教えを聞き、安らぎに到達した阿修羅に、自分も安らぎたいという思いを無意識のうちに感じるのでしょう」。
 同感だが、それはいつの時代にも不変のもの。阿修羅の美学的価値は絶対的だが、それを評価せしめているのはそれぞれの時代の感覚だ。仏像ガールというようなキャラ(最近仏教教団の講演会などで引っ張りだのお姉さん)が登場するのも時代の要請なのだろう。
 不景気、失業、自死、そして衝動殺人…世情は殺伐として、一向に明るい兆しは見られない。デジタル万能化が進み、会社も学校もすべてが異様なスピードで「決済」されていく中で、人々は自分の中に大きな欠落感を感じているのではないか。皆が荒々しい変化の風を、背中に受けながらじっと耐えている。東京展では長い行列で、入場まで6時間静かに待った人もいたという。
 現代は変化することは成長と等価である。変化こそ絶対善の今にあって、仏像のように不変の存在はそれだけで希少であり、そこに揺るぎない規範のようなものを求めたのだと思う。失われた中心に回復していくような感覚。それは「癒し」という感覚と少し違って、再生への希望の色を留めている(私はその希望を、阿修羅の姿形に感じる)。
 17日から始まる興福寺展では、「お堂でみる阿修羅」と副題がついている。お寺だけど「みる」であって「拝む」ではないのはちょっと複雑だが、堂内照明(展示的には照明効果が大きい)もあるそうだから、行ってみたら。(蓮池潤三)

2009年10月8日木曜日

見えない死を、見えるカタチにする。

 死ぬと、私という存在が消滅するのではないか…そのような死後の行方の不確かさについて、人は恐怖心を抱きます。身近な人を喪った時も、「いまどこにいるのだろう」「本当に安らかに逝ったのだろうか」と不安をおぼえる遺族は少なくありません。
日本の仏教は、お釈迦さまが説かれた直説的な教えとは別に「いかに死すべきか」を説き、日本人固有の死生観をつくってきました。中でも浄土教は「極楽浄土に行って仏として生まれ変わる」と死後の世界を保証しました。つまり、生と死を連続した「いのち」としてとらえたのです。
昔、お寺は、病院や薬局の機能も兼ね備えた医療福祉センターとして成り立っていました。ご本尊のあるお堂はホスピスです。看取りも僧侶たちの役割であって、「病気をいかに治すか」よりも「安楽に往生させるか(看取ることができるか)」を追求していました。今風にいえば、スピリチュアルな痛みを緩和させていたわけですが、同じ信仰に支えられた者どうし、死へのソフトランディングを可能にしたのだと思います。
 いま看取りの作法や文化がなくなりつつあります。臨終は家族から病院へ、葬儀も自宅から葬斎場へとアウトソーシングされていく。かつて家族が、共同体が喪の作業として協同してきたものが、外部サービへとス委託されることで、死が見えにくくなっています。いかに老い、いかに死ぬかは、年齢を重ねれば自ずと理解できるわけではない。後事は子どもにすべて任せるといえる人も今や少数派です。
 少子高齢化の時代といえど、人間は誰の世話にもならず死ぬことはできません。血縁に頼る看取りが実現しにくくなっている今、死を孤立させずに、互いサポートする仕組みと関係が必要となっています。自分の死を、生前に準備する。固有の死を支えあうもうひとつの家族が必要になります。
 それは、見えなくなった死を、見えるカタチにする(デザイン)ということと同義です。エンディングデザインの思想がそこから生まれます。(秋田光彦)

2009年9月27日日曜日

シンポジウム「今を生きる力~激動の時代をホリスティックに生きる~」五木寛之さん

 日本ホリスティック医学協会のシンポジウム「今を生きる力」で作家の五木寛之さんから「いまを生きる力」の講演を聞いた。五木さんは、『蒼ざめた馬を見よ』で第56回直木賞受賞。『青春の門』で吉川英治文学賞。第1エッセイ集『風に吹かれて』は現在総部数460万 部に達するロングセラーとなっている。ニューヨークで発売された、英文版『TARIKI』は大きな反響を呼び、2001年度「BOOK OF THE YEAR」 (スピリチュアル部門)に選ばれた。また2002年度第50回菊池寛賞を受賞。2004 年には第38回仏教伝道文化賞を受賞。1981年より休筆、京都の龍谷大学において仏教史を学ぶ。著書多数。


 人生にはいろいろな場面がある。安定期があり、変動期があり、そして今はどういう時代かを見定めることが大事である。登山に例えると、「いま」は頂上からふもとへ降りていく、つまり下山の道にさしかかっているのではないか。登山という行為は、頂上に着いた時に終わるではない。ひと休みしたのち、今度は安全に優雅にふもとまで下山しなければならない。下山は、決して登山のオマケではなく、むしろ山頂にいたる過程よりも、さらに大事な意味を持つ行為である。山を登っていく過程だけが大事なのではない、登山と下山を含めて登山は完成されるのである。                              
 現代は「『躁』から『鬱』に大きく転換する時代」である。笑うことは大事だが、悲しむことも決してマイナスではない。プラス思考も大事だが、マイナス思考も大事である。「鬱」と言う字は草木の繁る様を表している字であり、生命力とエネルギーにあふれている状態をいう。そしてまた、この鬱勃たる生命力に蓋をされて夢も計画もうまく行かない状態であり、エネルギーの出場所のない状態で澱んでいると言う意味である。だから本来的に無気力で萎えている人は「鬱」にはならない。
 また昔は『心が萎える』と表現したが、萎えるのは良くないことか。鬱は暗く、嫌なイメージでとらえられているが、悪いことなのか。また同様に「慈悲」という言葉の「悲」について、これまではマイナス思考なイメージが大きかった。明るく、元気であることが未来を展望したが、悩み深く考えることも次代を構想する大事な営みである。人間は絶望から立ち上がらなければ、喜ぶことはない。だから「鬱」には生命力があり、エネルギーのもとである。そして「泣く」ことが大事で、それは文化である。現代の日本人は何故泣かなくなったのか、それは良いことではない。泣くべき時に泣くことができる事が大切である。欝は病ではなく、エネルギーである。                      
 金沢兼六園の「雪吊り」というのは、冬に積雪の重みで木が折れないようにする雪国の知恵である。雪吊りが必要な木は、固くて曲がらない、雪の重みですぐに折れてしまう木だが、逆にしなる木は、いつかその重みをすべり落としてはじき返し、元に戻ることが出来るからその必要はない。しなることによって、曲がることによって、また屈することによって、重い荷物をするっとすべり落として、また元の状態にもどれる。それを繰り返していれば、心折れずに生きていける。今は「鬱」の時代がまだ続くと思われるが、泣いてもよい、萎えてもよい、そうしてこの世の中を生きようと結ばれた。
 
 今回、五木さんのお話を聞いて、圧倒された。どの言葉も大事な話で、このブログを簡単にまとめることなど出来ない。でも私は本当に心が楽になった。マイナス思考、そして「鬱」もいいじゃないか。それもこれからの生きていくためのエネルギーになる。実際に私の鬱病の友人は治療の一つとして、五木さんの本を読むことを医師から薦められたそうだ。               
 最後に五木さんはこのような時代を生き抜くには、悲しい時に悲しみ、深く「ため息」をつくことによって、そこから生きる力を得ていくことが大事ではないかと問いかけた。そうなのか、と共感した。私も「ため息」を大きくつきながら、そして前に進んで行きたい。(浦嶋偉晃)

2009年9月22日火曜日

日常生活の中の死 ~死の瞬間まで人生の主人公であるために~

 去る9月12日、奈良県ホスピス勉強会の定例勉強会に参加した。奈良県田原本町で在宅医療(在宅療養支援診療所)に取り組んでいる坂根医院 坂根俊輔院長から「日常生活の中の死」という題で講演を聞いた。


 医大に入ったのは26歳で30過ぎて医者になり、「自分ならそうして欲しいと思う医療の実現」が、生涯のテーマである。
 医療側から見て、在宅医療はバラ色かと言われると、正直医師一人で外来診療を続けながら在宅療養支援診療所を運営するのは無理があり、地域の在宅療養支援診療所間で相互扶助もなかなか難しく、在宅医は相当疲弊している。でも自分はとにかく在宅が好きだから続けている。
 在宅医療は、自宅で死ぬことの援助ではなく、最期まで自宅で生きることへの援助であり、患者さん、ご家族を含めた皆で作り上げていく面が強く、患者さん本人、ご家族がしっかりした意見を持ち表明することが肝要である。また日常生活が人生そのものであり、在宅医療の整備こそが、日常の中の死(最期まで自分自身であり続ける死)を可能にする。
 大事なこととして、自宅で最期を迎えたいという思いを通すには、まず自分の死をイメージし、自分の横で世話をしてくれる人は誰か、そしていざという時、面倒を見てくれる人の「愛情」を獲得しておくことが必要である。可能なら在宅医療に理解のある自分より長生きしそうな医者をかかりつけにし、普段から希望を述べておく。

 私もこのことはとても大事なことと思う。やはり日頃からの家族の中で死について語り合うという機会を持つこと、そしてかかりつけ医を持つことが大変大切だと感じる。

 自分自身(坂根)も最期まで慣れ親しんだ自宅で家族と共に生きたい。その実現には患者さんも介護者の方も、苦痛なく不安なく在宅で過ごせる社会的体制作りが必要で、そして体制の容器を満たすのは家族愛、隣人愛に他ならない。自分は在宅患者さんに自分の将来を投影している。患者さんはタイムマシンで見える自分の将来像だと感じている。自分自身、主体性を持ったまま死を迎えたい、ワガママに死んでいきたい。そして何よりも、患者さんはもっとワガママになるべきだと思う。
 結局、最期に何処で心臓が止まるかは、大きな問題ではなく、大切なのは、生活をどこまで続ける事ができるかだと思う。末期患者在宅生活の一助となれるよう、今後とも尽力したいと思っている。

 私たち市民にとって、医療者が熱く語っているのを聞き、安心すると共に、私たちも市民の立場から、在宅医療をしている医療者の方々に対して、どうすれば支える力になれるかを考えないといけないと感じた。市民のパワーが何よりも大切である。(浦嶋偉晃)

2009年9月20日日曜日

シンポジウム「今を生きる力~激動の時代をホリスティックに生きる~」上田紀行さん

  日本ホリスティック医学協会のシンポジウムで、文化人類学者の上田紀行さんから「生きる意味とホリスティック医学」の講演を聞いた。上田さんは東京工業大学大学院准教授で仏教にも造詣の深い文化人類学者。スリランカで「悪魔祓い」のフィールドワークを行い、その後「癒し」の観点を最も早くから提示し、現代社会の諸問題にも積極的に提言を行う。近年は日本仏教の再生に向けての運動に取り組み、2003年より「仏教ルネッサンス塾」塾長をつとめ、宗派を超えた若手僧侶のディスカッションの場である「ボーズ・ビー・アンビシャス」のアドバイザーでもある。


  いま私たちの社会を覆う問題の本質とはなんだろうか。
  それは「生きる意味」が見えないということだ。自分が生きていることの意味が分からない。生きることの豊かさ、何が幸せなのかが分からない。その「崩壊」が目に見える形で現れているのが若者の危機である。若者だから「夢」があるというイメージは過去のものになり、いつも疲れている、何故生きているのかがわからない若者が標準となりつつある。一方いつも人の評価を気にして、そして仲間内で決して目立たないように努める。「自分の本音は絶対出してはいけない」という若者が多い。
  しかしそれは大人にも通じる。小さいときから他人から見て「いい子」「いい友達」「いい夫、妻」「いい父、母」と結局、「いい子」をずっと演じ続けている。そして会社においても会社方針、そして社員の輪を崩さないように生きている。自分の個性を殺し、会社の方針に従ってきて、そしてその結果が、いつの間にか、いつでも「交換可能」な社員になっている。10年前に「若者の危機」として現れていたものが、全世代に拡大し、「生きることの空しさ」が広がっている。

 私自身も一会社員として、同感である。今の会社で個性を出し、目立つと必ず潰される。会社のルールに従えと言われる。しかしその一方で経営層は今の社員は個性がないとこき下ろす。結局、どの道を言っていいのか分からなくなり、ジッとしているのが賢明だと思ってしまう。とても辛い世の中の構造と感じてしまう。

  古くから欧米人から日本の文化は「恥の文化」の典型だと指摘されてきた。他者の目」による「恥」の認識が優越しているのが「恥」の文化である。逆に現在は「人の目」が気にならなくなれば何でもやってしまうのが、現在の日本人の姿なのではないか。そしてそこには決定的に欠けているものは、自分自身に対する「自尊感情」である。それではどうすれば良いのか。それは自己信頼の回復だが、それはどうすれば可能だろうか。それには感受性を持つことである。子供や若者に対して、様々な躓きや苦悩に対してもそれを「内的成長」というスタンスで見る努力が必要である。そうすることによって「生きる意味」を探求することになるであろう。

  私は思うのだが、今は世代関係なく「生きる意味」を失っている人が多い。とくに会社内では強く感じる。でも自分がかけがえのない自分だということを認識してほしいと思う。自分は一人しかいない。でも、かと言って他人と違うという所を必死に探すことではないと思う。他人と同じ結果でもいい、それが自分自身なのであるという意識が必要なのではないかと思う。(浦嶋偉晃)

2009年9月15日火曜日

シンポジウム「今を生きる力~激動の時代をホリスティックに生きる~」帯津良一さん

  日本ホリスティック医学協会のシンポジウム「今を生きる力」で、当協会の会長である帯津良一さんから「生きることと死ぬこと~青雲の志について」のご講演をお聞きした。帯津さんは、1982年帯津三敬病院を設立、現在は同病院名誉院長。西洋医学だけでなく、中国医学、ホメオパシー、 代替医療など様々な療法を駆使してがん診療に立ち向かい、人間を丸ごととらえるホリスティック医学の確立を目指している。2004 年には東京・池袋に帯津三敬塾クリニックを開設している。著書多数。


「ホリスティック医学」とは、一言で言うと、「人間をまるごと全体的に見る医学」を言う。ホリスティック医学は生きること全て、人生を貫いて関わり、命の場を対象にした場の医学である。「縁」と「場」のエネルギーが高くないとホリスティックにならない。ホリスティック医学は体の中の場が外界の場の一部であるという前提を一番強くもっている。
場の医学では命の場を体内にみるだけではなく、おかれた場にも注目しなければならない。そしておかれた場を高めるために苦心する。実際に患者さんをみると、家族の場や職場は外界の場のエネルギーが高い人、病院では良い医師、スピリットの高い医師にぶっかった人がよくなっている。またそういう医師がそろっている病院は非常にエネルギーが高く、そこでは人が回復する力が高い。だから医療現場では命の場を高め続けて、外界の場も高め続けるという志をもった人が必要である。

私自身、ホリスティック医学の自然治癒力を癒しの原点に置くという定義に興味を持った。とても大切な事だと思うが、実際にはこのエネルギーを高めるには、またそういう人と出会うにはどうすれば良いのかと正直迷ってしまう。

一方、体の故障の修理である医学から出られないと「治った」か「治らない」という二極化になってしまう。命はエネルギーレベルを上げながら前進している。そのなかで起こってきたトラブルが病である。トラブル対処も命の流れを進めながらやっていく。
そこをしっかりみていかなくてはならない。あまりに「治った」「治らない」だけにこだわると分からなくなる。それではホリスティックにはならない。
 病の経過も治り方も生きていくことと同じように少しずつ高めていくこと。命はエネルギーだから修理とは違う。
私(帯津)の死生観は「青雲の志」であり、これを果たしていくためには、虚空の大いなる命の場に身を任せながら、内なる生命のエネルギーを高め続けなければならない。つまり他力と自力の統合の中に青雲の志が在る。他力と自力の統合とは生と死の統合に他ならない。生と死の統合こそホリスティック医学の究極である。

私にはホリスティック医学がいう「人間をまるごと見る医学」という定義ががもう一つはっきり把握できませんでしたが、イメージはつかめました。ホリスティック医学はまだまだ奥が深く、期待できる部分が多いと感じました。また注目されている代替療法についても、ホリスティック医学の中でどのような関係性を持っているのか、今後に対する興味がますます広がりました。(浦嶋偉晃)

2009年9月11日金曜日

休眠宗教法人が不正行為の温床に。

  NHKの朝のテレビで「休眠宗教法人が不正行為の温床となっている」というニュースがあった。暴力団によるお寺のっとり事件が報道されていた。
  文化庁によると現在休眠中の宗教法人、神社仏閣は全国に4500もあり、立地がよく資産の多いお寺はターゲットになりやすいという。暴力団はまず有名寺院の肩書を騙り、お寺の経営難を救済すると新しい事業を持ちかけてくる。最初は親切に尽くしてくれるので、お寺側が信用すると、手のひらを返して墓地の名義を勝手に書き換えたり、最悪の場合登記も偽造して、のっとられたケースもあるらしい。休眠中のお寺にも新しい事業で再建したい焦りがあって、まんまと口車にのせられたという。
  いかにもガードが甘い。といってしまえばそれまでだが、地方の一寺院に危機管理に万全を凝らせというのもさびしい。文化庁では、休眠の宗教法人を解散させて対応するというが、実態はどこまで明らかにできるのだろう。
  休眠寺院は即廃寺では早晩仏教教団は衰退する。何とか別の形で寺を再建して、経営維持することはできないか。寺の事業といえば、墓地や納骨堂の分譲が代表的だが、いわば不動産事業であり、莫大な資金も要する。そこに暴力団もうまみを感じるのだろう。たとえば社会福祉法人と共同して、福祉介護施設をつくるとか、デイサービスのような公益性の高い拠点でもいい。いまはNPO法人という手法もある。地域住民に喜ばれ、公金投入の仕組みをつくることで、経営の透明性を高める。そういう新しい発想が生まれないだろうか。
寺が休眠化するのは、後継者難という事情も大きいと聞く。社会貢献型のお寺の事業であれば、そこにやりがいを感じる、有為な若者が「発心」に目覚めることもあるだろう。教団レベルの幅広い議論が必要だ。(秋田光彦)

2009年9月9日水曜日

シンポジウム「今を生きる力~激動の時代をホリスティックに生きる~」大下大圓さん

  去る9月6日、日本ホリスティック医学協会のシンポジウム「今を生きる力」に参加しました。大下大圓さん、帯津良一さん、上田紀行さん、五木寛之さんという豪華な方々が講演されましたので、会場は満杯の盛況ぶりでした。4人の方々のそれぞれのお話を、講演順に従ってご報告していきます。

  最初の講演は飛騨千光寺住職の大下大圓さんから「仏教とスピリチュアルケア~縁生から覚醒へ」のご講演をお聞きした。大下さんは、和歌山県の高野山 で修行し、スリランカ国へ留学、スリランカ僧として得度研修され、飛騨で約25年前より「いのち、生と 死」の学習会として「ビハ-ラ飛騨」を主宰、その一方で患者さんのベッドサイドなど医療の現場や青少年育成、まちづくりでのボランティア活動も続ける。また千光寺で「人間性回復や心のケア」に関する様々な瞑想 研修を手がけ、医療、福祉、教育における「スピリチュアルケア」や「ケアする人のケア」を探究している。


 まず大下さんの僧侶としての立場から、スピリチュアルケアについてのお話があった。
 今、日本の精神文化としてのスピリチュアリティの研究やスピリチュアルケアのあり方が問われている。日本人の精神的な背景を考えるなら、儒教や道教、とりわけ日本人の生き方に多大な影響を与えた仏教の思考や叡智が生かされることが重要である。その中心となるのが「縁」の思想であり、「縁生」とは「縁起によって生じたもの」の意である。
  スピリチュアルケアとは「スピリチュアルペインを心の内に持ち、あるいは訴えようとするケアの対象者に対して、ケアを提供する側(援助者、スピリチュアルケアワーカー、セラピストなど)が共にその実態を『三つの縁生=自縁、他縁、法縁』から明らかにして、苦悩からの開放、解脱に至る営み」であると言える。臨床場面で「縁生」を考えるならば、まず人間存在として援助される存在や、援助する存在そのものが縁生と言える。医師や看護師がどんな患者さんやご家族と出会うかということは、深い「ご縁」以外のなにものでもないことである。
  大下さんは住職という立場でありつつ、病院で医師や看護師とチームを成して患者さんやご家族に寄り添う活動を通して、ベッドサイドで何が見えるか、治療期の心のケアについて深く携わっている。私自身、ここに深い興味を惹かれる。仏教におけるスピリチュアルケアとは、患者さんのベッドサイドでどのような役目をし、患者さんの心にどう寄り添っていけるのかについて、できれば具体的なことをもう少しお聞きしたかったと思う。
  大下さんは最後に、仏教におけるスピリチュアルケアとは、その人自身が自らの人生を統合することを援助する、つまり人生の苦悩への解決のプログラムを発見させられることをサポートすることだと言われた。
  
  正直、今回、勉強不足の私にとっては難しい話だったが、自分らしくどう生きたいのか、またどう死にたいのか日頃から考えていくことが大切であると感じた。毎日生きている中で、いろいろな楽しみ、苦しみがあるが、本当に「心」が喜ぶこと、「魂」が喜ぶことをしているかを常に自問自答しながら生きたいと思った。「<念>とは今の心と書くが、ありのままの今という時間において、自他のことを直感的に洞察することが仏教的なスピリチュアルケアの態度」と言った大下さんの言葉が印象的にだった。
  やはり思ってた通り、仏教とスピリチュアルケアはとても奥が深い領域であった。とても興味深く内容で、今後も勉強を続けたいと思う。(浦嶋偉晃)

2009年9月6日日曜日

布施は宗教サービスの代価ではない。派遣僧侶という問題。

  お盆最中にNHKの「おはよう日本」で「お盆ビジネス」(!)の特集があって、驚いた。極めつけは「僧侶派遣会社」からの実況中継。会社の会議室で、スーツ姿の社長を剃髪した僧侶たちが取り囲む場面。銘々に手帳を持ち、「派遣」のスケジュールを確認していた。僧侶たちは地方寺院の住職らしく、「檀家が数十軒で、成り立たない」から「出稼ぎ」に来たとインタビューに答える。あまりのあからさまぶりに、見ているこちらが赤面するほどだった。「僧侶プロダクション」にあって、まったく自省する影もない。
 首都圏では檀那寺を持たない人が圧倒的に多い。そこに葬儀ができると市場が生まれて、業者が僧侶を斡旋する。お布施は「派遣サービス料」で、リベートは4割とも5割ともいわれる。「迅速丁寧」「院号も安い」「面倒なお寺とのつきあいもなし」等々、ここでは僧侶は「便利屋」と同格の扱いである。
 日本にお寺は8万もあるが、じつはお寺だけで経営が成り立つ寺院は首都圏・大都市部の3割程度といわれている。反対に地方寺院は過疎の極みにあり、葬儀がひとつあると1軒檀家が減るといわれる。当然住職専業ではやっていけないから教員や公務員を兼職する僧侶が多い。首都圏に「出稼ぎ」せざるを得ない、地方寺院の疲弊こそ問題なのだ(しかし、宗派や仏教会がこぞってこの問題に取り組もうという動きも聞かない)。
 布施はあくまで布施であって、サービスの代価ではない。在家信者にとって仏道の実践行のひとつとして、本尊に施し供えるものでなくてはならない。それが「建前」であったとしても、その前提が崩れると、仏教の布施はすべてお金で買う消費行為になってしまう。だから不要であれば、買わなければいいのだ。例の直葬もその延長線上にある。
 映画「おくりびと」では、日本人の死者に対する敬意や親密感が描かれ、多くの感動を呼んだ。死者を懇ろに葬り、供養するという営みは、逝く者と残された者が交わす、人間のもっとも崇高なコミュニケーションであるはずだ。そこに位置付けられてこそ、葬式仏教の本当の存在感があるはずなのに、それがビジネスの具と化していくのは、碑文谷創さんではないが、「死者への冒涜」に等しい。
 しかし、テレビの派遣僧侶たちには悪びれる様子もなく、あっけらかんとしていた。すでに実態は不信用を超えて、自明のものになっているのかもしれない。宗教サービスは織り込み済みであって、目くじらたてるほどのこともない。そんな無自覚ぶりが恐ろしい。
(秋田光彦)

2009年8月30日日曜日

末木文美士先生、「死者」の視点から世界を見直す。

  来る9月13日、應典院で寺子屋トーク「仏典から現代社会を問う」が開催されますが、前評判も高く、すでに100名近いお申し込みをいただいています。国際日本文化研究センター教授の末木文美士(すえき・ふみひこ)先生と、兵庫大学教授で浄土真宗本願寺派如来寺の住職釈徹宗先生の対論企画ですが、日本の仏教学を代表する碩学と新鋭の初顔合わせとなり、今から楽しみです。
お盆最中の8月8日、朝日新聞に末木先生の某所での講演要旨が紹介されました(「お盆、仏典を読む」)。今回の催しに通じる内容ですので、一部を引用紹介します。
  
  末木さんは近代の合理主義は、見えないもの、聞こえないもの、理解できないものを排除しがちだった、と指摘した。死者の行方などはその最たるものだろう。
  確かに死んだ人がどこへ行ってしまうのかは、分からない。しかし「生きている人が、亡くなった人と何らかのかかわりを持とうとする気持ちは現在も残っている。どうかかかわるかを考えることは大切だ」と末木さんは述べた。」
 その上で末木さんは、「仏教は死者と生きている人とのかかわりに着目することで、世界を見直す手掛かりになる」と強調した。そもそも仏教とは、ブッダの死後、残された人々が、彼の死を乗り越えようとするところから出発しているからだという。
 死者と正面から向き合わねばならなくなった仏教が、時間をかけて書き残してきたものが様々な仏典だ。だから、死者とのかかわりを軸に、仏典を読みなおすことが重要だと末木さんは説く。


 これまでの仏典解読とは、近代主義との接点を捜し出す作業だったのが、近年むしろはそれとは異なる視座を見出そうとする傾向が大きいといいます。
 「合理的な面だけではない世界を見直す手掛かりとして、仏教を見てみたい」
 近代合理主義を異化するような、反転の視点。そこから、現代の閉鎖感を突破するような新しい可能性を見いだせないかと思います。
 9月13日、末木先生の直接の言葉にふれる絶好の機会です。ぜひご参加ください。
(蓮池 潤三)

2009年8月23日日曜日

「‘みとりびと’は語る」アットホームホスピス代表 吉田利康さんのご講演をお聞きしました。

  8月1日、夏のエンディングセミナー「’みとりびと’は語る」の第3回目のゲスト、アットホームホスピス代表の吉田利康さんの講演を聞きしました。吉田さんは、10年前に奥様を自宅で看取られた体験者です。
  お話は、奥様の「病名告知」から「おわかれ」まで、時間にそって、吉田さんの心の揺れ動きを率直に語ってくださいました。

  1999年、奥様が急性骨髄性白血病と診断された頃、まだ介護保険はなく、また、今と違ってインターネットも普及途上にあって、容易に往診医も探せない時代でした。吉田さんもかかりつけ医に在宅療養支援を相談されましたが、がん末期と知ると往診を断られたそうです。
  吉田さん夫婦は、結婚した際に、どちらかがんになっても隠さないという約束をされていました。奥様は当時病院勤務の看護師をしておられ、ある程度の死の準備教育は積んでおられましたが、実際の「告知」を受けたショックは予想を超えた衝撃でした。頭の中は真っ白、膝はガクガクと震え、「告知」というのは医療者やマスコミが言うほど、簡単なものではないと実感したそうです。
 奥様は、ご自分の病気の事を必要最小限の人だけ知らせてほしい、それ以外の人には伝えないでほしい、他人から口伝えで病名が伝わる、それだけで怖いと仰ったようです。
 病院に見舞い、家に帰って家事をつとめる吉田さんの生活が始まります。奥様のいない家では、汚れたタオルを洗濯しているだけで泣けて仕方なかったといいます。そして、余命告知が本人に告げられました。そのショックも壮絶でしたが、それ以上にすごいのは、そこから自力で立ち上がってくる人間の強さでした。告知から一ヶ月が過ぎるころ、奥様は徐々にいつもらしさを取り戻し、それに安心したのか、逆に吉田さんは精神状態が悪くなっていく。ついに奥様の前で「おれはもうどうしていいかわからない」とべそをかく。それを支えたのは、なんと死と向き合っている奥様だったのです。吉田さんの目からうろこが落ちます。そして、妻を背負って歩こうとしていた傲慢さに気づき、妻がして欲しいことをすればそれでよいのだと思った時、気持ちが楽になったと話されました。
 すると奥様が「私、家に帰ってもいいかな?」「もう他人に身体を触られるのはこりごりや」と遠慮がちに言われ、介護保険のない時代に在宅ケア、男の介護が始まりました。家には不思議な力がありました。今まで連携の悪かった父子でしたが、母親が帰ってくると見違えるように子どもたちのふるまいが変わりました。病院で眠れなかった奥様が、熟睡できるようになりました。なによりも家に帰った奥様は患者ではなく、妻に、又、母親に戻られた。
  在宅での生活は17日間でした。がんの末期は短距離競争です。枕元には氷枕と体温計と血圧計の三つだけでした。そして本人の意思により最期までモルヒネも使わず、お別れは家族だけでした。
奥様の看取りから10年たって思うことは、家での看取りは自分自身を変えた、ということ。奥様のためと思っていたことは、じつは自分自身の生き方の転機となったと吉田さんは言います。
  吉田さんが今、在宅介護や看取りの講演・執筆活動をされているのは、「もし病気がよくなるんだったら、同じ病気の人の話し相手になりたい」という言葉が契機となっています。その思いを代わりに引き受けるのが、自分のささやかな供養だと思っていると仰っておられました。
  家で看取ると言っても、家族としてどうすれば看取れるのか分からないのが正直なところではないでしょうか。その結果、在宅医や訪問看護師に過度な委託をし、家族の役割も果たせないまま終わってしまいます。時には旅立ちの二日前ほどの時期になって、再入院をさせるなどが起こります。「妻(患者)がして欲しいことをすればそれでよい」とのことばは、看取りへの大きな示唆と受け止めましたし、それが介護をするものの基本姿勢ではないかと感じました。
 いま、死は社会から封印されています。8割の人が病院で亡くなり、葬儀も6割が式場で執り行われる。死は生活から遠ざけられ、姿が見えないまま、福祉や介護といった制度論だけが先行しているように思います。在宅ホスピスの心とは、「死」を生活の場に取り戻し、それを見据えながら、今、生きることの意味を考えることなのです。
 医療や介護、福祉の充実もたいせつですが、家に備わっている「日常」に潜む力を引き出すことが何よりも必要であり、それが結局、「ケア」の本質に触れることではないでしょうか。
 吉田さんの絵本「いびらのすむ家」の「いびら」とは、「家に住む人たちを見守る神」のこと。人には見えない「いびら」の存在が私たちの「暮らし」を守っているのです。(浦嶋偉晃)

2009年8月20日木曜日

死生観を取り戻す。お墓を起点とした、もうひとつの共同体づくり。


本稿は仏教タイムスから依頼されて寄稿したものです。9月上旬に掲載の予定。

 映画「おくりびと」は、われわれ僧侶の間では「宗教抜き」の映画として話題となった。「葬儀」を扱って大ヒットしたこの映画には、宗教の教えはもちろん、住職も寺もていねいに取り除かれていて、まったく姿がない。制作側は、特定の宗教色に偏向することを警戒したのだろうが、また今さら日本人誰にも共通する死生観などすでにないことを承知していたのではないか。たいせつなものは個々人の思いであって、融通の利かない死生観に拘泥されるものであってはならない。そういう規範や因習より個人の自由な価値観が優先されるべき、という風潮は、最近のスピリチュアルブームにも通底するものがある。
 もとより死生観は個人の面貌ほど多様であることに異論はない。「宗教なき死生観」も否定しない。しかし、死生観は人生の経験と学習の中で熟度を深めるものであって、ろくに思索も対話もないまま、「自分らしくありたい」と何でも好き勝手をすることと意味が違う。逆にそういう個人の小さな経験を積み重ねながら、全体のコンセンサスを規範として高めていく共同体のありかたに無関心であっていいのか。
 2002年から、大蓮寺の墓域に生前個人墓「自然」という新しい考え方の墓を設けた。すでに申し込みをされた会員は80名を超えたが、大方はまだ元気な人たちで、年三回の合同供養のほかに、セミナーやバスツアー、懇親会等で互いの交流を深めてきた。生前に個人の資格でお墓を準備するということは(申し込みを受けた直後に個人の墓碑を建碑する)、死を見据えてこれからを生きるということであり、それを血縁を超えて会員どうしで支えあおうというのが、この墓のポリシーだ。最初は一人ひとりは他人でも、「自然」を出会いの場として、やがて互いを供養しあえるような、共同体的な関係づくりを目指している。
 一般に年齢を重ねれば、自ずと死生観は深まるというが、どうもそれは疑わしい。「自然」申し込みに際し、これまで200人以上の中高年と面談してきたが、熟年世代であっても、痩せた死生観しか持ち合わせない人も少なくない。かつては地域共同体の中で継承されてきた生死にまつわる作法や知恵が途絶え、現代ではそれに代わってインターネットで収集したような情報や知識が幅を利かす。しかし、死生観とは検索エンジンで手軽に巡りあえるものではないだろう。
「自然」の場合も、個人墓といいながら、その根幹を成しているのは会員どうしがともに向き合う生死の共同体験だ。入会当初は戸惑いがちだった会員たちも、お寺が織りなすさまざまな「場」から、死生観の基本を学びとっていく。毎年夏に行う会員セミナーでは、葬送の変化の様々を学習しているし、生前戒名授与の道場には、すでに会員の七割が結縁した。
 日本全国に8万もの寺があるというが、私は、寺こそがそれぞれの地域における死生観形成の拠点でなくてはならないと思う。
 役所も学校も親も教えてくれない「いのち」「生死」について、地域社会に問い続け、また学びの場を持続的に提供すること。葬儀や墓についての学習や相談は、その入り口として誰にも馴染みやすいものだろう。また、「いのち」の視点から積極的に社会問題にも関心を寄せていってほしい。このたび実施した大蓮寺のエンディングセミナーでも、グリーフケアや在宅ホスピス、脳死・臓器移植問題などを話題に取り上げたが、いずれも生死の問題を「私事」に閉じ込めずに、たえず公共的な視点で問い返して、開かれた関係をつくりあげていくことをねらいとしている。当事者のみならず、専門家や市民を巻き込み、多様な知恵と実践を出し合うことによって、地域全体の潜在力を高めていく。それはやがて、死生観についての共感や合意を育み、「いのち」を主体としたまちづくりへとつながっていくだろう。
 「死生観なき現代」に向けて、生死の道を架橋するのは仏教の大きな使命である。それも、上から目線の布教伝道ではなく、地域の暮らしや人々の生き方と対話、協働を通して、仏教の実践的強度を高めていかなくてはならない。同時にそういう臨床的な態度から数々の仏典を読み込めば、それぞれが「生きる思想書」として新たな指標を与えてくれるにちがいない。大蓮寺の塔頭應典院では、この秋から現代人に向けたさまざまな仏典講座も開催する。
その地平の行方に、日本人の死生観を支えてきたゆたかな土壌として、日本仏教の可能性が再び見出せる、と思う。
(秋田光彦)


(大蓮寺の施餓鬼法要の一場面。家族が集って、先祖の御霊を祀る。日本のお盆の典型的な光景だ。8月19日撮影)

2009年8月14日金曜日

少子化時代の「供養」をどう考えるか。お盆に想うこと。

お盆のこの時期、私たち僧侶は「棚経」といって連日檀家さん宅を回ってお経をあげていますが、伝統的な先祖供養の中で大きな変化を実感することがあります。
 複数の檀家さんから同様の相談を受けました。
 「妻の生家の仏壇(位牌)を、当家(婚家)で祀りたい」。
 そうしなければ、妻の実家の先祖を供養することが守っていけない。供養の途絶です。今後、少子化が加速すると、これまで家族直系で継承されてきた供養の保証がますます難しくなってくることでしょう。私が死んだら、いったい誰が供養をしてくれるのか。そういう「供養の不安」は、いまや日本人の共通の危機感としてじわりと浸透しはじめています。
 日本人の供養とは、絶えず「先祖」という血縁とセットで継承されてきました。相手の顔は知らずとも、代々の祖先を祀り、子々孫々に引き継いでいく。それが「家」を基軸とした、いのちのつながりを形作ってきました。ふだんそんなことに意識はなくても、お盆やお彼岸という国民的行事を通して、日本人の霊的な感性は自然と養われてきたともいえるでしょう。
 ところが、少子化時代となって、ドラスチックな変化が起きます。家が縮んで、仏壇や墓の継承が困難となり、供養が途絶していく。それを恐れる心理からか、「(死後)迷惑をかけたくないから」散骨・自然葬を選ぶ人も少なくないと聞いたことがあります。また「供養の不安」という問題は、何でも自己決定すればいいと、安易な市場主義をはびこらせる要因ともなっています。
 現実の供養システムが、家族を基軸としている限り、やがて機能不全を来すことは想像に難くありません。では、明日の供養をどう救済すればいいのか。私は血縁による供養が難しくなったいま、「結縁」による供養のシステムづくりを考えなくてはならないと思います。いわば血縁に頼らない、もうひとつの家族づくりです。供養のネットワークといってもいい。
 その実践の取り組みとして、2002年から大蓮寺で始めた「生前個人墓・自然(じねん)」について、次回から述べていきたいと思います。(秋田光彦)

2009年8月12日水曜日

「‘みとりびと’は語る」いまい内科クリニック院長 今井信行さんのご講演をお聞きしました。

 7月25日、エンディングセミナー第2回目のゲスト、いまい内科クリニック院長 今井信行さんの講演をお聞きしました。聴講の内容を以下に報告します。
 今井さんは冒頭、一つのケアの連続性の中に看取りがあり、在宅ホスピスが看取り自体を目的としているわけではないと言います。その上で、今井さんは看取りに関心があり、文章に必ず句読点があるように、一人の方の人生に関われて、ピリオドを打つお手伝いが出来ること、そして少しでも喜んで頂けるなら、これに勝るものはないと仰いました。
 今井さんにはかつて病院の勤務医経験があります。病院は治療という目的を最優先する管理された空間ですが、その反面自宅というのは、人が生涯をかけてコツコツと作り上げてきた、かけがえのない、最も心地よい空間だといいます。だから、自ずから勤務医と在宅医はそれぞれの舞台が違うとも仰っておられました。


 最期と対峙しながら、在宅では患者さんと家族のさまざまなかかわりがあります。講演では今井さんが在宅で関わってきた症例について、いくつかお話を頂きました。
 60歳代の末期患者さんがいよいよ状態が悪化してきた時、その方の枕元に家族や知人が集まって、銘々に大きな声で声をかけ、一生懸命に励まされたそうです。だんだん呼吸が小さくなる一方で、周囲の励ましに応えるように生きながらえる患者さんを見て、生と死の境界上に生まれる家族どうしの濃密な関係を目の当たりにされたといいます。
 在宅医療とは、いのちが際立つ臨床です。病院や施設にはない尊い存在感であり、生と死のリアリティであり、そこに今井さんは人間として深い共感を感じるといいます。
 今井さんは、在宅ホスピスの主人公はあくまで「家族」であると言います。家族の方がいかに安心してわが家で療養をしてもらえるか、たとえれば家族でなければ演じることのできない「家族劇場」をいかに舞台裏から支えるかが、自分たち在宅医の役目であり、これからも黒子に徹したいと仰っておられました。別の言い方をすれば、在宅ホスピスとは、家族が家族であることの幸せを再確認する場なのです。
 今井さんは昨年から「有隣荘」という、在宅療養支援ハウスを新たに開設されました。これは、病院・施設と自宅との間にある、いわばまちの縁側のような新たな場です。少子化が進み、ひとり暮らしが増える地域において、互いを支え合う拠点として、育てていきたいと言います。管理中心の施設ではなく、中間的な拠り所になるようにしたいと仰られました。

 今回、今井さんのお話しをお聞きして、在宅ホスピスは患者さんとご家族がいのちに向き合う場。そしてあくまでも家族が中心だと分かりました。また自宅で残された日々を輝いて生きたいという患者さんの願いを、いかにしてサポートするかを含め、在宅ホスピスの今後の可能性について、じっくりと考えさせられた一日でした。
(浦嶋偉晃)


2009年8月9日日曜日

日本人と『死の準備』~これからをより良く生きるために

 本書は2部構成となっていて、第1部が山折氏、第2部には浄土宗総本山知恩院発行機関誌『知恩』と佛教大学四条センターの共同企画、よく生きるための『死の準備』講座から6人の講演を採録、という構成になっています。第1部では、宗教学者である著者が、人生80年時代の死生観を説いています。
 人生50年時代、「生と死を同等の比重で考える人生観」が、急激な高齢化の中で、人生80年時代となり、「老いと病いの領域が肥大化して死のテーマを遠く押しやり覆いかくしてしまった」と山折氏は言います。
 「死」というものの実感が遠ざかるほどに、「生」に対する感覚も薄れていくのは、いろいろな学者が提言していることですが、近年の親殺し子殺し、無差別殺人などの多発、また臓器移植問題を通じて様々な問題定義をする著者ですが、根底には「死生観」の欠如を語っているように思います。
 葬送の現場に立ち会う立場の実感としても、枕経から始まる一連の儀式が、単なるセレモニー化となっており、「死」を見えにくく、感じにくくしているという感を持ちます。我々の立場からそれを遺族はもとより、参列する方々にとって、「死」と向き合う大切な経験とするにはどうしたらよいのか、僧侶として考えるべき大きなテーマをいただいたように思います。
 第2部の6人の方々の講演の採録も、それぞれの立場から「いかに生き、いかの死ぬのか」を語られています。
 豊かさとひきかえに失った大切なものは何なのか、本を読み終え、地域の中で語り合っていきたいと思いました。
(池野亮光)

2009年8月5日水曜日

「‘みとりびと’は語る」公益社 執行役員 廣江さんのご講演をお聞きしました。

 このたびの夏のエンディングセミナーも無事3回の実施を終えました。このコーナーでは、各回の内容など報告していきます。

 7月18日、1回目のゲストは葬儀社最大手の公益社執行役員の廣江輝夫さんの講演をお聞きしました。会場は定員を超える方々がご来場いただき、エンディング関する関心の大きさがうかがえました。
 葬儀社は死後の送別のセレモニーを業務とされているはずですが、廣江さんのお話は、死後の遺族の悲嘆をいかに癒すか、いかに支えるかといったグリーフケアやエンディングサポートが中心となりました。遺族会「ひだまりの会」の活動やエンディングワークとしての「生前葬」など、葬儀社としての新しい取り組みに新鮮な驚きを感じました。

 少子高齢化社会、葬儀に対する意識も大きく変化しており、中でも「家族葬」に対する関心はきわめて増大しているといいます。「家族葬」の特徴は「故人をよく知る人だけが集まるので、多くの会葬者への対応が必要なく、故人とゆっくりお別れが出来る」、また「世間の目を気にせず、故人や遺族の考えを反映した個性的な葬儀が出来る」など、家族の絆を深めていく葬儀といえます。
 本来葬儀とは遺族と故人とのコミュニケーションの場であるはず。さらにエンバーミング(遺体衛生保全)で時間にとらわれず、納得のいくお別れができるようになったといいます。病院や施設では死後、十分なお世話やコミュニケーションができにくいという反省点から、「コミュニケーションの場としての葬儀」のあり方が再構築されているといえます。
 また「エンディングワークの考え方」という新しいキーワードも示されました。つまり自分の残された人生を考え、生前に人生の棚卸しをしようという事です。モノについての遺言だけではなくて、「ココロの遺言」(財産だけでなく、家族の絆を結び付ける)を考える時代になってきたと言えます。
 さらにエンディングワークの一つとして、社会的に死を告知する、つまり葬儀の前に告別式を行う「生前葬」を取り上げ、生きている間に友人に挨拶し、人生のけじめをつけるという方もいらっしゃるといいます。その背景には、子どもに迷惑をかけたくない、元気なうちにお世話になった方々とお礼を伝えたいという気持ちがあるようです。
 また、遺族会「ひだまりの会」のは、公益社で葬儀をあげられたご遺族を対象としており、その精神的自立を支える相談・援助活動を大きな目的としています。会員となっている方々のアンケート回答の紹介がありました。ひだまりの会参加動機は、「同じような体験をした人の話を聞きたかったから」が一番で約6割を占めています。また現在、参加している理由としては、「講演会を聞きたかったから」で、とくに「死生観・人生論に関する講演を希望する」人が多いといいます。また「同じような体験をした方の助けになりたいから」という理由も多くを占めました。
ひだまりの会は個別の遺族ケアが目的ではありません。むしろ遺族サポートのための人材育成と組織づくりがねらいであり、遺族の方が「依存」ではなく「自立」してもらうことが目的です。そのための同じ死別体験者どうしの自助グループ的な性格といえます。

 今回、廣江さんのお話をお聞きして、本来「死後」を扱っておられる葬儀社が、実は「生前」をも扱っておられる、まさに「みとりびと」的な存在であると思いました。機会を改めて、次はぜひひだまりの会の見学などをさせていただき、ご報告させていただきます。(浦嶋偉晃)

2009年7月31日金曜日

スピリチュアルケアと宗教的ケアの不幸な関係?

 先月、高知で開かれた日本在宅ホスピス・ケア研究会の全国大会に参加してきました。一昨年、飛騨で開催された大会では、「日本人の心性に適ったスピリチュアルケア(SC)」について前向きな議論があり、期待をしていましたが、今回はいささか失望しました。
 スピリチュアルケア(SC)については、シンポジウム「死の恐怖に打ち勝つために」を聴講しました。カールベッカー先生(仏教)や高木慶子先生(キリスト教)と並んで、前世療法を奉ずる内科医や元幸福の科学幹部(!)であった病院理事(おふたりとも臨床医です)が登場しましたが、その見識に違和感を抱いたのは私だけでしょうか。在宅医療の議論の場に、宗教の実践家を招く意気は評価しますが、臨床医であれば宗教は何でも一緒くたなのでしょうか。失礼ながら企画者の節操を少々疑ってしまいました。
SCとは「霊的ケア」とか「魂のケア」と訳され、主には緩和ケアにおいて、末期患者のスピリチュアルペインを和らげるケアをいいます。キリスト教社会の欧米であれば、聖書を携えたチャプレンの登場かもしれませんが、無宗教な日本ではこれがよく理解されないまま、さきほどのような何でもありの様相を呈しています。そもそもSCが人間の実存的課題というより、切迫した医療的課題として扱われてきた経緯があるからか、宗教的ケアの何たるかをよく論じないまま、双方は完全に線引きされているように見えます。
 もちろんスピリチュアリティと宗教に対する考え方は人それぞれです。宗教的ケアが何よりも万能とも思えません。しかし、臨床においてはスピリチュアリティと宗教はともに重要なのであって、両者は融合こそ必要であって、無視したり反目しあってはならないと思います。互いを包摂しあうような統合的な思考シフトがなぜ実現しないのでしょうか。
 宗教は世の東西を問わず、「いかに死ぬか」という実存的命題を時間をかけて極めてきたものです。日本の浄土教などはその歴史的精緻ともいえるものですが、そういった日本人の伝来の叡智に学ぼうとせずに、欧米風の新説を取り入れたり、挙句に怪しげな宗教信奉者まで登場させるのは、宗教に対する不信あるいは警戒からなのでしょうか。
 私はこの世界での仏教の復権を主張しているのではありません。浄土教と幸福の科学を一緒くたにするなと憤慨しているわけでもない。ただ少なくとも、日本人の死生観というからには歴史的な時間をかけて鍛錬されてきた思想的強度が不可欠であって、それがスピリチュアルな臨床を含めて生活文化の基層となるのでしょう。
 医療では「死は終末」ですが、日本人の伝統的な死生観は「死は新しい旅立ち(往生)」と受け止めてきました。死んだらみなホトケであり、その生まれ変わりのシステムとして葬儀や年回法要、墓や仏壇が永く維持されてきたのだと思います。日本人は身近な死を通して、自らの死を写し取ってきたのだし、先祖という総体にいのちのつながりを感じ取ってきました。「葬式仏教」のレッテルの奥には、じつは営々と築かれた日本人のスピリチュアリティの可能性が秘められている。死生の哲学として、もう一度仏教に学ぶ時が来ていると思います(末木文美士さんの「仏典をよむ~死からはじまる仏教史」を読んでみてください)。
 しかし、そうならないのは、仏教の側の責任も大きい。いまの僧侶の大方が、自家撞着を来たし、教団関係以外の人前でまともに対話できるとも思えない。業界だけで使いまわされてきた仏教の言葉は手垢にまみれ、干からびてしまっているともいえます。
 ですから、これには布教とか折伏という一方的な支配原理ではなく、公共的な視点から仏教を見直し、市民の言語でこれを再構築していく、というダイナミックな上書き作業が必要なのだと思います。最近はどの教団でもビハーラ(仏教版ホスピス)が流行のようでそれは結構なことですが、またぞろ同宗の人間だけを対象に、教義の活用だけを優先しているようであれば、元の木阿弥です。同業者だけで自己完結させるのではなく、医療者も含め市民と対話や協働を重ね、ともに開発していくような姿勢が肝要だと思います。その試行も(このブログで紹介した(6月10日)NPO法人ビハーラ21のように)、ゆっくりとですが、始まっています。
 最後にもう一言。そもそもSCとは、末期患者さんのベッドサイドだけで成立するものではありません。地域の生活や暮らし全体の中で醸し出される、互いを思い、慈しみ、支えあう関係性こそ、日常のSCだと思います。その気づきや促しをどう試みるか。日本に8万あるお寺が、それぞれの地域におけるスピリチュアル教育の拠点となればいい。私たち大蓮寺や應典院の活動も、その同一線上にあります。 (秋田光彦)

2009年7月27日月曜日

体験者が綴ったホームホスピスの入門書

  日本のがん患者の80%以上が病院で最期を迎える現状がありますが、住み慣れた家で家族に看取られることは不可能なのでしょうか。奥様を在宅で看取った吉田さんが、体験者としてそのプロセスを伝えた本が、2007年12月に出版された「がんの在宅ホスピスケアガイド―ただいま おかえりなさい」(日本評論社)です。


 世間ではまだ在宅ホスピスケアというと、かなり縁遠いと感じる方も多いと思いますが、今後、終末期を家で迎えようと考える患者の方は増えていくに違いありません。最期を家で迎えようとする患者と家族の視点から、ご自身の体験も踏まえて書かれた本書は、そうした状況にある人なら、悩みの多くの部分に答えてくれる本だと感じました。たくさんある闘病記や患者手記とは全く異なる面持ちを感じました。
  また、吉田さんは在宅医、看護師など医療関係の方々と一緒に「おかえりなさいプロジェクト」を結成され、「あなたの家にかえろう」という冊子を作られました。


  この冊子はすでに24万部以上が発行され、全国でいろいろな方々の手に渡り、在宅ホスピスのガイドブック的な役割を果たしています。

  今回のエンディングセミナーでは、吉田さんの貴重な体験をベースに、本当に家族は「みとりびと」となれるのか、みなさんとご一緒に考えていきたいと思っています。(浦嶋偉晃)        

2009年7月24日金曜日

日本人の死に方が問われている。臓器移植法について

 これまで「資源」という言葉を比較的肯定的にとらえてきました。
 まちづくりの現場では、眠っている資源をいかに活かすかという文脈で、地域の歴史や生活を語ってきました。が、今回の臓器移植法における議論は、「臓器は公共の医療資源?」という、とんでもない資源の濫用となっていると思います。
 7月13日参院で可決なった今回の法改正で、今後死後の臓器提供については、本人の承諾がなくても、家族さえ承諾すれば摘出可能となりました。子どもの場合も、親が承諾すれば摘出できる。つまり、これまでの「臓器摘出は本人の生前の意思に限る」という箍(たが)が外れた分、すべての家族が「脳死者となった家族」の臓器の提供をするか、しないかの意思表示を求められる、ということになります。しかし、そもそも子どもの臓器は、親の意思で自由になるものなのでしょうか。
 メディアは「日本人の死生観が変わる」と騒いでいますが、いったい死生観というような民俗的な観念が国の法律ごときに左右されてしまっていいのか。医療の暴走を抑制しようと長く議論されてきた生命倫理からの問い直しはどこへ行ってしまったのかとあまりのなし崩しに憤りをおぼえます。東大の島薗進さんは、欧米諸国の場合は「キリスト教の立場からの主張とそれに対抗する論理が拮抗する中で、生命倫理の基礎づけが行われてきた」と言います。つまり、前提となる大きな死生観があって、それと際限なく発展する科学技術との両者の調整や合意に長い時間をかけてきたのです。が、今回の法案成立は違う。最初から日本人全体が含意するような死生観などなかったのかと思えてしまいます。
 心身一如の仏教的立場からいえば、死は身体と切り離して考えられません。日本人にとって死はたえず遺体や遺骨とともに認識されてきたのであって、それと共に死は諦観(真理)として受け入れられてきました。航空機事故で犠牲者の遺体や遺骨を収集するのは、日本人だけの特性です。「看取り」もまた身体まるごとの関係性との別れであって、肌は暖かく、血は流れ、ひげも伸びる「脳死者」を、「これは遺体だ」と認識できるのでしょうか。
 おかしなことです。脳死者はむろん、遺体を見たこともない人たちが、死の定義を論じている。世間では年間の自殺者3万人といいながら、そのことが社会問題の第一に挙げられることはない。そして「誰でもよかった」殺人の続発…。社会全体から死のリアリティーが失われています。というより、そういう厄介な問題はなるべく見ないようにして、「世の中のためになるから」というわかりやすさに走り、生死の一大事を技術操作の具にしている、といえないでしょうか。
 延命のみ優先して、死を追いやることは、やがて生命の限界を受け入れらない、痩せた死生観しかつくり得ません。死とどう向き合い、いまをどう生きるのか。今回の臓器移植法は、医療だけの問題ではなく、日本人全体の生き方と死に方が問われていると思います。 (秋田光彦)

2009年7月23日木曜日

市民みんなに看取りの力が備わっている

吉田さんから最初に「告知」を受けたときの衝撃を聞きました。医師から告知を受けた瞬間、頭の中は真っ白、膝はガクガクと震え…現在の不用意な「告知」について、改めて考えさせられました。「告知」というのは医師やマスコミが思うほど、簡単なものではありません。告知の前に信頼関係が必要ですが、容赦なく言い放たれる。その一方で「告知」を受けた患者さんや家族がその後、内的に成長していくという側面もあるというのも改めて感じました。
吉田さんが奥様を在宅で介護された期間は17日間。在宅ホスピスケアの驚きは、妻であり母である人が帰ると、家中が一気に明るくなり、家族にもそれぞれ役割が自然に出来て、いきいきしはじめ、それが家での看取りをやり遂げる原動力となるということです。それが家に帰るよさだと感じました。


当時、施設ホスピスはあっても、在宅ホスピスについて、そのような医師がいるのか分からない時代で、結局は家族だけで看取ることも少なくありませんでした。枕元にあるのは、血圧計と体温計と水枕のみ。モルヒネなどは一切お使いになられなかったとお聞きし、不思議に思いましたが、ご本人の思いにいろいろな形があるのでしょう。しかし、痛みに苦しむ奥様と、その奥様を看る吉田さんの辛さは、ここで容易に言葉にできるものではありません。。
死を見つめて、生を見た。それは奥様からの贈り物だったかもしれないと吉田さんはいいます。家という環境だったから、贈り物に気がついた。病院でできることをそのまま家に持ち込んでも、家での看取りと言えないでしょうとも仰っておられました。
もちろん、吉田さんは在宅ホスピスは選択肢の一つで、病院、施設型ホスピスという形も否定はされません。ただその人と環境に合った形を選択すればよいと言われてました。

「男の介護」と言うのは、まだむずかしいかもしれませんが、これからの日本社会が直面する大きな課題のひとつとなるでしょう。吉田さんは、それはけっして無理なことではなく、そのための環境づくり、学びや啓発が必要と仰います。医療関係者が奥様の看取りは「吉田さんだからできた」といわれたそうですが、「市民をなめないでほしい」と反発されたという吉田さんの言葉に共感を感じました。
在宅介護は容易ではありませんが、私たち市民みんなにその力が備わっているのだと思いました。(浦嶋偉晃)  

2009年7月20日月曜日

家庭の看取りの復権

  エンディングセミナー「”みとりびと”は語る」(8月1日)の話題提供者・アットホームホスピス代表の吉田利康さんにお会いする機会がありました。
  吉田さんは、1999年に看護師だった奥様を急性骨髄性白血病で、最期は在宅で看取られました。その時のご体験、そして今後の思いについてお話しをお聞きしました。
 奥様の死後からインターネットでターミナルの方やそのご家族、そしてご遺族の方に心のケアをはじめられ、「もしもこの病気がよくなるのなら、同じ病気の人の話し相手になりたい」といっていた奥様のご遺志を継ぐ為、ルークトーク(白血病談話室)、CTML(キャンサートーク・メイリングリスト)、メモリアルML(白血病遺族談話室)などで、「鉄郎」というハンドルでネットカウンセリングを行なわれました。
 その後、在宅医療にかかわる開業医の方に出会い、ネット外での活動も開始され、日常の視点から、こころのケアを考える講演や執筆活動に取り組んでおられます。



 吉田さんに在宅死についてお話を伺いました。

 昭和54年を境に、病院で迎える最期は在宅死を追い越し、現在全体の80%以上、これは、世界でも他に類をみない現象といいます。その結果、30年ほど前には当たり前であった、家庭での介護や看取りが姿を消し、同様に家族を支援する診療所も徐々に姿を消していき、ごくわずかが残るだけとなっていきました。
逆に、認知症など根治が難しい病気が増え、がんは二人にひとりがかかります。しかし、政府は入院日数短縮を打ち出し、急性期を過ぎた患者さんは嫌でも、転院か在宅療養を余儀なくされます。現実に急性期病院の平均入院日数は2週間に縮まっており、以前のように最期まで病院に留まるところは難しい。
 今、急務なのは家庭介護や看取りの復権です。ここ30年ほど生も死もどっぷり医療に依存してきましたが、元来それらは市民生活の一部でした。吉田さんは、「アットホームホスピス」の場を通して、生活の座から生老病死を見つめなおし、市民の視線から介護・看取りと交流・助けあいを実践していこうと活動を続けておられます。(浦嶋偉晃)

2009年7月8日水曜日

末期患者さんを支える人々 傾聴ボランティア

 7月4日、尼崎で開催された「阪神ホームホスピスを考える会」に参加してきました。
 ゲストとしてお話をお伺いしたのは、海外でのボランティア経験を活かし、現在はホスピスで傾聴ボランティアをされている薬剤師の石田有紀さんでした。
 石田さんは1回、原則1時間で患者さんとお会いになられていますが、なぜ患者さんは、このような短い時間で、ご家族にも医療関係者にも言えない思いを、見ず知らずの「他人」に話されているのか?
 やはり初対面でいきなり話がはずむような事はないそうです。また、患者さんの訴えがいつも本心とは限らず、口から出た一言をもう少し聞き込むと、背景に違う思いや願いのあることが多く、たいへんなご苦労もあるといいます。しかし家族や医療関係者にも言えないような事を、「これは誰にも言えないんだけど」ともらされることがあるそうです。
 患者さんはすごく周りに気を使っていておられます。家族は一所懸命お見舞いに来てくれる、医師も看護師も熱心にケアしてくれる・・・そんな時に「自分はつらいんだ」とは言いにくいのです。「他人」だから言える話がある。だからといってそれが家族や医療関係者に伝わることもないし、何を言っても迷惑がかからない。自分の立場が悪くなることもない。そんな安心感のようなものがあるのではないでしょうか、と仰っておられました。関係性が深くないから、逆に本音が言えるのかもしれません。
 傾聴の大原則に、「相手が発した言葉を使って、再び問い返す」とありますが、患者さんから「くどい!」と言われることもあり、また患者さんがお話の間を置いたときに、それが体調が辛いのか、考えている間なのかを常に気をつけられているといいます。実際に体験された方だからこその感覚かと思います。また患者さんの人生のお話を聞いていると目の前に映像がプレビューされて、自分とは全く違う生き方がリアルに迫ってくるそうです。どんなフィクションにも描けない、真の人生の物語ではないでしょうか。



 傾聴ボランティアとは、患者さんの心を癒し、孤独感や不安が軽減して安心感につながり、また相手の隠れた思いを聴くことで本当の援助が可能となります。
 ここにも、末期患者さんの心に寄り添い、支える人がいました。(浦嶋偉晃)

2009年7月6日月曜日

BOOKガイド 「寺よ、変われ」

 京都府城陽市の寺の住職です。このブログの主旨に賛同し、これから参加をさせていただきたいと思います。
 最近、「寺よ、変われ」というタイトルの本が出版されました。著者の高橋卓志さんとは以前から面識があり、長野県の臨済宗・神宮寺の住職として、「お寺は地域に開かれたものであるべき」との信念のもとに、デイサービスやNPO活動などを行い、そのアイデアと熱意あふれた行動力には学ぶことばかりです。
 この本は、「形骸化した葬儀と法事を続けるだけなのか?」、帯に書かれた言葉の通り、葬式仏教と揶揄される現状の仏教寺院、僧侶へ警鐘を鳴らす内容が展開されています。今までも仏教学者の方々が、伝統仏教、寺の現状を憂う内容ものはあまた出版されていますが、当事者である僧侶が書かれたものであるだけに、同じ立場にあるものとして、より深く受け止めるところがありました。
 かくいう私の僧侶としての活動の大半は法事と葬儀。仏教のいう四苦「生」「老」「病」「死」の「死」、それも死にゆく場面でなく、死後に関わること、さまり葬式仏教にどっぷりとつかっているのが現状です。
 「寺と僧侶は、死者だけを相手にするのでなく、現に生きて『苦』をかかえている人の支えや助けにならねばならない」というのが高橋師の行動の原点です。本書の中に「寺院改革ベスト5」というアンケート結果を紹介していますが、①お寺は今日の生き方を教えてほしい、②寺院を地域に開放しよう、③僧侶の所行(おこない)を正せ、④檀家制度は改革すべき、⑤葬儀・仏事のやり方に工夫を……。この結果、多くの僧侶は敏感に感じ取っているはずなのに、知らないふりをしていると感じるのは私だけでしょうか。かくいう私も、寺を改革するにはまだまだなのですが……。

 本書に語られる寺が変わる道筋は、幅広く読んでいただきたいものです。寺は本来そこに住まう住職(その家族)のものだけではなく、それを支える方々のものであるはずです。寺が変わるには、双方の協力なくしては難しいものでしょう。寺に、住職に対する期待を本書をヒントに菩提寺の住職に投げかけることで、寺が変わるきっかけとなるのかもしれません。(池野亮光)

2009年7月4日土曜日

医療と介護のふたつの視点で地域を支える

在宅医療にかかわるようになってから、今井さんの気がかりは、がんなどの難病になると患者が自宅以外に出向いたり、面倒を見てくれる場所が他にまったくないという現実についてでした。
 もっと地域ぐるみでひとりひとりと向き合える関係がつくれないだろうか。そこで平成20年10月、クリニックの近くに民家を購入し、「在宅療養支援ハウス 中州・有隣荘」と呼称して、デイサービスを開始されました。つい最近まで老夫婦がお使いになっていた二階建ての日本家屋です。施設とは違う、暮らしのぬくもり、生活の時間が自ずと伝わってきます。



「有隣」とは、論語の里仁篇の「徳不孤、必有隣」という言葉から転じて、デイサービスを始めるにあたり、“独居であっても年を重ねても、病気や障害を患っていても、あなたは孤独ではない。”というメッセージをこめて命名されたもの。日々に営みを綴ったブログも始まっています。

http://yuurin-kunpfukai.blogspot.com/

有隣荘は医療法人の経営ですので、医療的な配慮も充分可能であり、点滴、胃ろうなど医療処置の必要な方にも対応できます。患者さん本人にはデイサービスでの食事や入浴で寛いでいただきたいと思う一方で、看病を続ける家族の方にもレスパイトに利用して欲しいとのことです。そして、何よりも生きがいづくりをたいせつにしておられ、食事会をしたり、講演会を開催したり、また最近では花壇も作られ、トマトやズッキーニなどを植え、皆さんで成長を見守っているそうです。
 今井さんは、住み慣れた町でいつまでも住み続けたいという願いを実現するために、これからも生まれ育った町で、医療と介護の両面の視点を持って来るべき高齢社会に備えたいと考えておられます。どんな街にでもある小さなクリニックかもしれませんが、ひとりの医療者の願いが、こんなふうに地域に広がっていくことに希望を感じました。

セミナーの当日は、今井さんとご一緒に在宅ホスピスケアのこれからについて考えて行きたいと思います。(浦嶋偉晃)

2009年7月2日木曜日

「枯淡の美学」は失われたか。         団塊世代の「老後」を考える。

■若い世代は 「負け組」 か

 いよいよ解散総選挙、日本の政局は混迷ぶりを極め、またまた日替わり人事の様相ですが、そのたびにいつも感心するのは、70歳を超えたであろう政治家のみなさんの飽くなきエネルギーです。権謀術数の渦巻く世界だからなのか国会中継で、腰が曲がった、しょぼくれた老人を見かけることはありません。
 一方で日本の若者は分が悪い。ワーキンプアだ、格差世代だ、といつまでたっても社会のお荷物観は払拭できません。15歳から24歳の失業率は10%を超えて、非正規雇用の若者は500万人を下らないといわれています。年収200万円以下が1千万人もいると聞いて、改めて「新・貧困の時代」を迎えていることを感じました。
 そもそも日本社会は、若い世代と高齢者の間に長く仕事のすみわけができていました。正規雇用は若者が担い、派遣や日勤は60歳以上が担うという暗黙の了解がありました。人口減少の時代に入り、この秩序が壊れ、 若者は仕事からあぶれ、大量の団塊高齢層が、「一生現役」を目指しています。乱暴な言い方をすれば、若い世代の安定が、社会の優先事項から見放されつつあるのです。
 もちろん団塊世代には、これまでの戦後日本を支えてきた自負もあるでしょう。いまの若者(自分の息子たち)を見て、歯がゆく思うところも大きいでしょう。しかし、若い世代の幸福を支えることは次の社会全体の、また団塊世代のためでもあることを、日本の高齢層は忘れてはいけません。それは少子化時代における一種の「世代責任」でもあると思います。

■理想の人生とは何か 

 古来、日本人には「枯淡の美学」というものがありました。だんだんと俗事から離れ、人格を極めていくような究極のライフスタイルです。 そこから、日本人特有の数々の「芸道」や、また「信心」も育まれたのではないでしょうか。いつまでも第一線にこだわらず、陽の当たる場所は若い世代に任せ、だんだんと自分のため、地域のために何ができるか、そういういい意味での「自分本位」に立ち返るべきだと思います。
 もちろん、老後は悠々自適といかない現実は分かります。 隠遁生活を勧めているのでもありません。むしろ、ここらで人生を見直し、現役時代にはできなかった思索や探求、親睦や遊山などを目指していく生き方はどうでしょうか。夫婦や親子、友人や仲間といった、人間関係の原点に立ち返ることもたいせつでしょう。 そして、その延長線上に、本物の信仰との出会いがあるはずです。
 應典院にしばしばNPO活動に励む高齢者たちが集まります。福祉や医療、あるいは生死の問題など自分たちの人生に直結した課題を、みなで語り合い、実践する人々です。そこには現役時代のような達成感はないかもしれませんが、会社や組織にはない、自己を起点としたつながりや思いの深まりが必ずあるはずです。
 これからの日本人の生き方から、人生の理想や倫理がにじみ出るものであってほしい。それもまた、若い世代に贈る「世代責任」なのです。(秋田光彦)

2009年6月30日火曜日

勤務医が家庭医になって見えてきたもの

今井さんは、開業当初より透析医療を充実させるために注力してきました。クリニックのスタッフが増えて体制が整ってくると、透析室の中で行う医療だけでなく、段々とそれぞれの患者さんの自宅での生活はどうなっているのだろうかということが気になって来られました。これは透析という医療が患者さんの生活に深く根ざしていることから、必然的に「生活の中での医療」という視点に関心が集中したとのことです。
 また病院勤務の時代は患者さんを医療の面から捉えるのみだったという事でしたが、開業医として日々の患者さんの生活を間近に見ることで、次第に患者さんの生活全体を診る開業医の視点が育ってきたのかもしれないと仰っておられます。
  今井さんは志して在宅ホスピスケアを始めたわけではない、終末期ケアを断る医師もいるが、普段の診療の延長だからと断ることをしなかった為だと仰っておられます。
 また開業医になって、患者さんや死に対する意識が随分と変わられたそうです。
今井さんはかつて病院の勤務医をしていましたが、病棟では末期患者の方がある日突然に姿を消すが、何事もなかったかのようにその翌日には別の人が同じベッドに横たわっている。死は通過していくだけで、立ち止まったり、ふりかえることがない。それが「病院の死」でした。
しかし開業医になって、患者さんの家々に往診するようになって見えてきたものは、当たり前の「暮らし」でした。勤務医時代は、患者さんをその人の暮らしの中で見つめることがなかったといいます。そして多くの患者さんを往診する内に、次第にケアする側の医師が、逆に患者さんにケアされているという「ケアの相互作用性」を感じてこられたそうです。重症の患者さんから、いろいろなことを教えて頂くことができると気付かれたそうです。


今井さんは、こう言います。
 「私たち医者は医者の仕事しかできない。その意味では私も勤務医時代と同じで、やることもやれることも変わりありません。でも家庭医となることで患者さんの生き方や死と向きあう姿勢は間違いなく変わったと思います」(浦嶋偉晃)

2009年6月28日日曜日

住み慣れた町でいつまでも

 エンディングセミナー「”みとりびと”は語る」(7月25日)の話題提供者・いまい内科クリニック院長の今井信行さんにお会いする機会がありました。

 今井さんは平成12年に、生まれ育った宝塚市でいまい内科クリニックを開院されました。
 昭和59年に医院を開業されていたお父様が腎臓病を患われていたこともあって、今井さんは高血圧・腎臓病を専門とされ、クリニックには透析施設を備えられました。透析は週3回も継続しなくてはならない治療なので、できるだけ家庭的な環境で医療を提供したいというのが開院時の願いでもありました。
 今井さんはいまい内科クリニックで求めるものとして3つの項目を掲げておられます。
 ①住み慣れたこの町で、いつまでも安心して過ごしていけるように
 ②スタンダードな医療を心がけて、わかりやすい言葉で伝えたい。
 ③難病であっても、毎日の生活の中に「生きがい」を見出せるように援助したい
 クリニックでは、待合室などはフローリングにされ、外光を取り入れて明るい雰囲気にされました。いろいろなアメニテイも考えられたそうですが、最終的には最も有効と思われるのは、自然に始まる患者さんどうしの会話だったそうです。自然な会話ができるためには患者さんが場の雰囲気に和んでおられてこそ可能になりますので、できるだけ安心を感じて寛いでいただけるような配慮を心がけておられます。

 その今井さんが、なぜ開業医として在宅ホスピスケアを始められるに至ったか、次回はその経緯をご紹介致したいと思います。(浦嶋偉晃)

http://www.kunpfukai.com/imai_naika/index.html
→いまい内科クリニック HP

2009年6月22日月曜日

グリーフケアと地域コミュニティ

 公益社がひだまりの会の会員にアンケートを取った際、「死別後の心の支えになったもの」は「家族」が約70%と最も多く、2番目に「友人」が58%を占めました。驚いたのは、それに次いで「ひだまりの会」というのが48%という数字。私はこの結果を見て、「ひだまりの会」の意義の深さを顕著に物語っていると思いました。
 もちろん、私もまだ深い活動内容について熟知しているわけではありません。なぜ見知らぬ者どうしに遺族会が、かくも心の支えとなるのか。その秘密を探るべく、7/18の廣江さんのご講演がよりいっそう楽しみになってきました。
 公益社のさらに興味深い取組みは、おひとりさまの生活支援です。遺族の方が今度は「おひとりさま」になって、自分自身の明日への準備の必要が生まれます。そういう方にも、月例会で講演を行い、準備しておくことなど、グリーフケアとはまた異なる学びの場を設けられています。心の持ち方や活動が「ゼロからプラス」になられた方を廣江さんは「卒業生」と呼ばれていましたが、それらの方が自主運営するOB会サロンが設立され、今では会員50名を超えるといいます。それらの方々は遺族会を通して、これからを生きる意味を見出したといえるでしょう。
 「ひだまりの会」の将来像にはいろいろな可能性がうかがえます。家族や地域社会が遺族の悲嘆やその後の生活を支えにくくなっている現状では、その補完システムとして近親者以外のサポート体制にも必要が出てくることでしょう。
 廣江さんは、「ひだまりの会」のような遺族どうしによる相互扶助の関係が、やがて高齢化・孤立化する地域コミュニティ全体を支えるのでは、とおっしゃっていました。私は今回のインタビューで、葬儀社のイメージが180度変わりました。ホスピス・緩和ケア病棟でもグリーフケアは整備されつつありますが、医療は遺族のサポートまで手が回りません。むしろ、死を起点としての再生プロセスに取り組む公益社の活動に、地域におけるグリーフケアの新しい可能性を感じました。
 ぜひ7/18にお越しいただき、ひだまりの会の現状だけでなく、今後の可能性についてもご一緒に考えていきたいものです。(浦嶋偉晃)

2009年6月20日土曜日

秋葉原・無差別殺傷事件1年に思うこと

■格差社会の悲劇なのか?

去年のあの忌まわしい秋葉原連続殺傷事件から一年が経ちました。
20代の男性が、歩行者天国の秋葉原に乱入して、次々と無差別に7人を殺傷、若者にとってハレの場所であるアキバが一転して 地獄絵図となり、その衝撃は世間を震撼とさせました。容疑者は「会社が悪い」 「親が悪い」 「社会が悪い」 と徹底的に責任を転嫁して、一方で 「負け組」 「ブス」 と自己を完全に否定していました。 彼にとって、ネットに写し取った自分だけが、客観的に自己として認識できるものだったのかもしれません。 生きることのリアリティが失われ、絶望的な孤立感だけが際立っていました。
 虐待、落ちこぼれ、派遣労働、ネット依存等々、メディアが飛びつくには格好の事件でしたが、これを「格差社会がもたらした悲劇」 などと安易に整理してしまうことにも不満を覚えました。 その背景の根幹には、とくにバブル崩壊以降、日本社会が抱え込んだ「関係性の喪失」が大きく横たわっていると考えるからです。
 人間は誰かに関心を持たれたり、頼りにされたり、愛されることで、自分の存在を創り上げていきます。 児童虐待が悲劇なのは、犠牲者である子ども自身が「自分は生まれてこなければよかった」と満足な自尊感情を持てないことです。 自己のかけがえのなさを感じられない人間は、むろん他者を愛することもできない。 問題は格差社会が悪いというより、「喪われた関係性」にあると思います。

■生きることの練習問題

この悲劇を繰り返さないためには、どうすればいいのか。何かを取り締まったり、規制したりしても、所詮付け焼刃に過ぎません。 結局、一人ひとりが地域社会における関係性の恢復に努める以外にないのですが、あえて付け加えれば、家族や学校におけるつながりが希薄になったからこそ、それに代わる もうひとつの関係づくりが必要とされているのではないでしょうか。
 金儲けとか成績アップとか、一律的な物差しで人生の価値を測られることに、敏感な若者たちは異議申し立てを始めています。 應典院には 容疑者と同じような世代の、(また非正規雇用の)若者が集まってきますが、でも、彼らが事件を決して犯さないと確信できるのは、そこで市民活動や芸術活動など 自ら求めて濃密な人間関係づくりをていねいに重ねてきているからです。 それは「生きることの練習問題」といってもいい。 それほど、日本の社会には、悩んだり、考えたりしながら、若者が関係づくりを自ら試みる場所が希薄なのだと思います。
 仏教の「縁起」の思想は すべては相互にかかわりながら存在していると説きます。 互いを認め 互いを必要とする自利利他の関係づくりこそ、これからの共生社会の要諦でしょう。 とりわけ「下流世代」といわれる現代の若者に対し、先行世代の私たちが無関心であってはいけません。お寺もまた、困窮する若者たちのいまに何ができるのか、その役割は小さくありません。(秋田光彦)

2009年6月18日木曜日

葬儀社が主催する遺族会「ひだまりの会」

公益社廣江輝夫さんのインタビュー、今回はひだまりの会の活動についてご紹介します。

 公益社では、平成16年より遺族会「ひだまりの会」を発足させ、月例会を毎月第3日曜日に開催しています。その運営の方法についてお聞きしましたが、たいへん興味深いものでした。
 ご遺族の年齢や亡くされた方などを考慮し、6~7人のグループに分け、ファシリテーター(進行役)の方が入り、お互いの体験談を分かち合います。最初は見知らぬ他人同士、やはりお互い緊張し、堅苦しい雰囲気になるのを、大学の研究者や臨床心理士の方々が専門職としてかかわり、ご遺族が自然と交流できるよう雰囲気づくりをされています。
 ご遺族の参加動機は「同じような体験をした人の話を聞きたかった」というのが60%以上を占めていますが、自分と似た体験の人の嘆きを聞き、「自分が一番悲しいと思っていたけど、皆それぞれの悲嘆を抱えていた」と感じ、段々と自分の思いを素直に吐き出せるようになっていかれるようです。
 また当初は遺族の語り合いと専門家の講演が中心でしたが、立ち直りつつある人に新たな楽しみを見つけていただこうと、月例会ではハワイアンダンスのショーで一緒に踊ったり、分科会活動としては料理教室や遠足も実施し、明日のへの生活や人生を豊かにするライフサポートを積極的に進めています。故人中心ではなく、自分の楽しみを見つけられるような支援をし、心の持ち方や活動が「マイナスからゼロ」だけでなく、「ゼロからプラス」に転嫁していけるような活動をされています。



 現在、公益社では、情報誌「ひだまり」と会報「ひだまり通信」を定期的に発行しておられます。当初は会報誌として会員相互交流を目的に制作していますいたが、ひだまりの会の発展と共に広報誌的な役割を担うようになりました。とくに「ひだまり通信」は隔月で発行し、会員へのタイムリーな情報提供に努めておられます。                                          (浦嶋偉晃)

2009年6月17日水曜日

BOOKガイド 「霊と金」

 タイの開発僧の研究で著名な櫻井義秀さんの新潮新書の新刊。
 かなりエグいタイトルですが、本旨は「スピリチュアル・ビジネの構造」の副題の通り。「霊感商法」といえばダークなイメージに覆われていたが、「スピリチュアルビジネス」といえば明るさや軽やかさに転化されるような。有名な「すぴこん」(スピリチュアルコンベンション)の紹介もくわしくあります。
 本書のあとがきにもあるように「無宗教を自認し、確たる死生観もなく、宗教が社会の公的生活に浮上することをタブー視してきた日本において、カルトやスピリチュアリティ・ブームをどう認識し、対処してよいのか分からない人」にとっては、ある種のガイドブック的な役割もあるでしょう。いかにスピ・ビジネスの罠にかからないか、その具体的な対処法も興味深いものがあります。
 スピ・ブームは、90年代の大不況以降、社会の不安定化が進行して、心身のストレスや不安を和らげるものを自前で調達しなくてはならない時代のあだ花として発生しました。一言いえば「自分癒し」。「自己責任」「自己決定」の波に追い込まれ、萎縮していく個の存在をあやふやな感性の中に棚上げするシステムともいえます。


 同時代に生まれた應典院も、ひょっとして同じ「自分癒し」のブームの中に位置づけられるかもしれません。けれど、絶対的に違うのは、應典院が軸足とする「場」「身体」「関係」のリアリティが、スピ・ブームにはない(というか巧妙に避けられてる)という点。他者や世界と出会うために、特別な観念や技法の力を借りずとも、腹の据わった関係性に「個」を打ち立てる以外にないと思います。
なお、第3章「宗教と金の関係」はちょっと蛇足だったかも。宗教の経済観というマジメな観点からいえば、集英社新書の「宗教の経済思想」が適当ですので、こちらをおススメしておきます。
                            (秋田光彦)

2009年6月15日月曜日

葬儀社の新たな取り組み

 エンディングセミナー「”みとりびと”は語る」(7月18日)の話題提供者・公益社の廣江輝夫さんにお会いする機会がありました。私は最初に葬儀社である公益社さんが独自で「ひだまりの会」という遺族会を作り、グリーフケアの活動をされているという話を聞いて、正直ビックリしました。失礼ながら、葬儀社の生業は「死後」のはずですが、それが何故、いつから、どういうきっかけでグリーフケアを始められて、実際にどのように運営されているのか、興味深い話を伺いました。
 私の住む奈良県には遺族会がありません。いや、そもそも遺族会というものが、昔からあったわけではないでしょう、また、最近耳にするようになったグリーフケアですが、それもとても難しく専門的なもので、実際には臨床心理士やカウンセラーの領域ではないかという認識がありました。
 ところが、廣江さんにいざお会いし、いろいろなお話をお聞きしていくうちに、私の思い込みはつぎつぎ覆されていきます。
 「ひだまりの会」は発足して5年、今は会員の方が450名ほどで、「同じ体験をした人の話を聞きたかった」が理由で参加する方々が半分以上を占めているそうです。もちろん相互には最初は見知らぬ他人同士、発足当初のご苦労もやはり相当なものだったようです。初回の参加者36名が3回目には、3分の1に落ち込みました。
 そこで参加者された方や、または案内書を出しても来られないご遺族に直接電話をしたりして、遺族会に対しどういうニーズを持たれているのかお話を伺ったそうです。
 その中で浮かび上がったキーワードは、「ライフサポート」。つまり「グリーフケア」は悲嘆の癒しだけでなく、これからの人生の創造にもシフトしなくてはならない、つまり「グリーフサポート」と「ライフサポート」は車の両輪のようなものだという発見でした。死別の悲嘆に向き合う「故人中心の生活」から、人生の豊かさに目を向けた「自分中心の生活」への移行をお手伝いすることこそが必要なのだと痛感されたそうです。
 「ひだまりの会」は遺族の方の心の持ち方や活動について、「マイナスからゼロへ」だけでなく、さらに「ゼロからプラス」までのプロセスを考えて活動に取り組んでおられます。
 その具体的な活動については、次回改めて書きたいと思います。
(浦嶋偉晃)

2009年6月10日水曜日

浄土宗平和賞の第1回受賞者は30歳のビハーラ僧

 6月9日、京都の浄土宗宗務庁で「第1回浄土宗平和賞」の授賞式がありました。浄土宗平和協会が今年から創設した賞で、社会参加仏教を実践する浄土宗教師を顕彰するのが趣旨です。11名の候補者から晴れの第1回受賞者に選ばれたのは、ビハーラ僧の大河内大傳さん(30歳)。大阪市内の浄土宗寺院願生寺の副住職です。
 
 ビハーラとは、仏教の原意では「休息の地」を表しますが、これが転じて今はホスピスに対する仏教の言葉として使われています。最近は僅かながら、医療現場に出向いて患者さんのケアに当たる僧侶も出始めました。大河内さんも、かつて新潟の緩和ケア病棟で1年間、ビハーラ僧として多くの末期患者さんと向き合ってきた経験を持ちます。
 その後、大阪に戻って、2003年、宗派を超えた仲間たちとNPO法人ビハーラ21を発足させ、ビハーラについての人材育成や現場派遣などを始めました。このNPOは、さまざまな宗派の宗教家(神主さんもいます)と医療者、福祉者がメンバーとなっており、宗派とか専門職といった壁を乗り越えて、開かれた活動に取り組んでこられました。ビハーラ僧育成の受講者はすでに100名を超えています。大河内さんはいまも理事のひとりとして、事務局運営の中心を担っています。
 「社会参加仏教」というと勇ましいフレーズに聞こえますが、大河内さんの活動に特別な理念や周到な計画があったわけではありません。むしろひとりの僧侶として自分に何ができるのか、といった真摯な問いが、まず臨床に向き合い、また仲間と出会わせる契機となったのではないでしょうか。名高い実績だけが人物を評価するのではありません。まだ若い大河内さんですが、深い求道心を備えた彼の人徳は、ひとりの僧侶の生き方の可能性を指し示していると感じました。
 ビハーラを架け橋として、仏教と医療・看護の交流が進んでいくのかもしれないと、ほのかな希望を感じました。

↓ビハーラ21のホームページです。
http://vihara21.sub.jp

2009年6月7日日曜日

エンディングセミナーの開催概要が決まりました!

 大蓮寺・エンディングを考える市民の会が、毎年夏に開催している「エンディングセミナー」の今期分のプログラムが決定しました。
 今回の企画では、死の臨床に立ち会う3人のゲスト(葬祭専門業者、訪問医、家族)を招き、それぞれの体験を通して、いのちを支えることの意味を考えます。毎回の聞き手は、本会の代表で、大蓮寺・應典院住職の秋田光彦さんが担当します。

<以下、転送歓迎です>

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 夏のエンディングセミナー
  ”みとりびと”は語る
〜死と家族をめぐる3つの物語〜
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    最新情報は特設ブログにて!
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   http://mitoribito.blogspot.com
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  2009年7月18日・7月25日・8月1日
   【3回連続・いずれも土曜日】

映画「おくりびと」の大ヒットは、日本人にとっての死と家族の関係について改めて想い起こさせました。しかし、映画とは違い、実際の死の風景、とりわけ末期から死、死後のプロセスは、家族には知られざる世界であり、心身ともに大きな重圧がかかります。
年間110万以上の人が亡くなる多死社会の日本において、家族とはもはや死の臨床といってよいはずですが、そのための環境や人材、作法など、その基盤はけっして充分なものとはいえません。
遺族会、在宅ホスピス、そして家族による看取り…死と家族をめぐる3つの物語に学びながら、いのちを支えることの意味をともに考えます。


 会場■應典院(おうてんいん)
    大阪市天王寺区下寺町1-1-27
    電話06-6771-7641
      地下鉄谷町線「谷町九丁目」駅(3)番出口、
      近鉄・千日前線・堺筋線「日本橋」駅(8)番出口、
      それぞれ徒歩8分
      (※両駅ともエレベーターが設置されています)

お申し込みはインターネット、ファクシミリ(06-6770-3147)、お電話(06-6771-7641)にて。


参加費■800円(茶菓付)(予約優先制)
    《各回とも定員40名。定員になり次第、締め切ります》

お申込■インターネットの「上町台地.cotocoto」(http://uemachi.cotocoto.jp)からご希望の回を選んでお申し込み下さい。

 主催■大蓮寺・エンディングを考える市民の会
 共催■大蓮寺應典院寺町倶楽部
 協力■上町台地からまちを考える会、cocoroomむすび

      ------------------------《話題提供者》------------------------

○7月18日(土)
 14時開会(閉会16時)
ゲスト:廣江輝夫 さん(公益社執行役員) 
【お申し込み】http://uemachi.cotocoto.jp/event/30444

------------【聞き手・秋田の視点】------------
廣江さんは葬儀専業最大手・公益社で葬送事業の最先端の開発に取り組む仕掛け人です。早くからエンディングサポート企画を手がけ、とくに遺族支援「ひだまりの会」を設置して、グリーフケアの普及に取り組まれました。「死後」を扱う葬儀社が「生前」を扱うことで何が見えてきたのでしょうか。映画とは一味違う「おくりびと」の声です。

○7月25日(土)
 15時開会(閉会17時)
ゲスト:今井信行 さん(いまい内科クリニック院長) 
【お申し込み】http://uemachi.cotocoto.jp/event/30445

------------【聞き手・秋田の視点】------------
今井さんは宝塚市のクリニックの院長として、地域 に根づいた医療の実践に取り組んでこられました。 「住み慣れた自宅で、最期まで」という、患者の願いに沿うように、在宅医療に取り組み、 昨年には在宅療養支援をめざして、通所介護施設を開所、 医療と介護の両面から、「地域居住」を支援されています。

○8月1日(土)
 14時開会(閉会16時)
ゲスト:吉田利康 さん(アットホームホスピス代表)
【お申し込み】http://uemachi.cotocoto.jp/event/30446

------------【聞き手・秋田の視点】------------
吉田さんは、99年に白血病で最愛の奥様を自宅で看取られました。その体験を契機に、インターネットでがん患者さんやその家族、遺族と交流を始め、医療現場にも、市民の観点から積極的な発言をしておられます。昨年「がんの在宅ホスピスケア」を刊行、最後のみとりびと「家族」の心境を綴っておられます。

   ------------------------《聞き手(各回とも)》------------------------

秋田光彦(浄土宗大蓮寺・應典院住職)
55年大阪市生まれ。大蓮寺・エンディングを考える市民の会代表。パドマ幼稚園々長も兼ねる。97年に塔頭寺院「應典院」を再建し、地域での社会的・文化的活動の拠点に開放。また、新しい葬送のかたちを探して、02年には大蓮寺墓地に生前契約個人墓「自然」及び永代供養墓「共命」を建立。


    最新情報は特設ブログにて!
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   http://mitoribito.blogspot.com
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2009年6月6日土曜日

みとりびとブログ、スタートしました。

 このたび「みとりびと」ブログを立ち上げました。
  運営は、大蓮寺・エンディングを考える市民の会が担当、私は代表の秋田光彦です。浄土宗大蓮寺と應典院の住職を兼務しています。 映画「おくりびと」の大ヒットがきっかけになったのでしょうか、 最近、日本人の死生観について考えようという声が市民の間で大きくなってきています。
 少子化かつ多死化社会にあって、最期まで自分らしくあるためには何がたいせつなのか…高齢者の単身世帯も急増しており、「おひとりさま」の学びもブームのようです。
 それはたいへん結構なことなのですが、死生観といっても最初から正解があるわけではあありません。昔は宗教(仏教)が一定のガイドラインを示しましたが、どうも最近は「脱宗教」と「個人化」というのが趨勢のようです。現代人にとっては、死生観は思索を重ねるものというより、自分の最期を見据えて行う生前準備の体験の中から浮き上がってくるものなのかもしれません。
 たとえば終末医療や看取り(ホスピス)、お葬式、お墓(葬送)等々、自分がもしそうなったら…と、死の一点を見据えて、これからの自分の生き方、家族とのかかわりなどを自発的に学び、考える過程の中で、現代の死生観はにじみ出るものともいえます。
  このブログは、本会の活動(7月~8月開催の「エンディングセミナー」)を中軸として、医師、宗教家、あるいいは専門業者や市民活動に取り組む人々などの声を拾い上げ、生と死の臨床の前線からレポートをお送りします。
 また、市民のみなさんと開かれた対話を交わしながら、市民の時代の死生のありかたについて一緒に考えていきたいと思います。

大蓮寺・エンディングを考える市民の会