2009年7月31日金曜日

スピリチュアルケアと宗教的ケアの不幸な関係?

 先月、高知で開かれた日本在宅ホスピス・ケア研究会の全国大会に参加してきました。一昨年、飛騨で開催された大会では、「日本人の心性に適ったスピリチュアルケア(SC)」について前向きな議論があり、期待をしていましたが、今回はいささか失望しました。
 スピリチュアルケア(SC)については、シンポジウム「死の恐怖に打ち勝つために」を聴講しました。カールベッカー先生(仏教)や高木慶子先生(キリスト教)と並んで、前世療法を奉ずる内科医や元幸福の科学幹部(!)であった病院理事(おふたりとも臨床医です)が登場しましたが、その見識に違和感を抱いたのは私だけでしょうか。在宅医療の議論の場に、宗教の実践家を招く意気は評価しますが、臨床医であれば宗教は何でも一緒くたなのでしょうか。失礼ながら企画者の節操を少々疑ってしまいました。
SCとは「霊的ケア」とか「魂のケア」と訳され、主には緩和ケアにおいて、末期患者のスピリチュアルペインを和らげるケアをいいます。キリスト教社会の欧米であれば、聖書を携えたチャプレンの登場かもしれませんが、無宗教な日本ではこれがよく理解されないまま、さきほどのような何でもありの様相を呈しています。そもそもSCが人間の実存的課題というより、切迫した医療的課題として扱われてきた経緯があるからか、宗教的ケアの何たるかをよく論じないまま、双方は完全に線引きされているように見えます。
 もちろんスピリチュアリティと宗教に対する考え方は人それぞれです。宗教的ケアが何よりも万能とも思えません。しかし、臨床においてはスピリチュアリティと宗教はともに重要なのであって、両者は融合こそ必要であって、無視したり反目しあってはならないと思います。互いを包摂しあうような統合的な思考シフトがなぜ実現しないのでしょうか。
 宗教は世の東西を問わず、「いかに死ぬか」という実存的命題を時間をかけて極めてきたものです。日本の浄土教などはその歴史的精緻ともいえるものですが、そういった日本人の伝来の叡智に学ぼうとせずに、欧米風の新説を取り入れたり、挙句に怪しげな宗教信奉者まで登場させるのは、宗教に対する不信あるいは警戒からなのでしょうか。
 私はこの世界での仏教の復権を主張しているのではありません。浄土教と幸福の科学を一緒くたにするなと憤慨しているわけでもない。ただ少なくとも、日本人の死生観というからには歴史的な時間をかけて鍛錬されてきた思想的強度が不可欠であって、それがスピリチュアルな臨床を含めて生活文化の基層となるのでしょう。
 医療では「死は終末」ですが、日本人の伝統的な死生観は「死は新しい旅立ち(往生)」と受け止めてきました。死んだらみなホトケであり、その生まれ変わりのシステムとして葬儀や年回法要、墓や仏壇が永く維持されてきたのだと思います。日本人は身近な死を通して、自らの死を写し取ってきたのだし、先祖という総体にいのちのつながりを感じ取ってきました。「葬式仏教」のレッテルの奥には、じつは営々と築かれた日本人のスピリチュアリティの可能性が秘められている。死生の哲学として、もう一度仏教に学ぶ時が来ていると思います(末木文美士さんの「仏典をよむ~死からはじまる仏教史」を読んでみてください)。
 しかし、そうならないのは、仏教の側の責任も大きい。いまの僧侶の大方が、自家撞着を来たし、教団関係以外の人前でまともに対話できるとも思えない。業界だけで使いまわされてきた仏教の言葉は手垢にまみれ、干からびてしまっているともいえます。
 ですから、これには布教とか折伏という一方的な支配原理ではなく、公共的な視点から仏教を見直し、市民の言語でこれを再構築していく、というダイナミックな上書き作業が必要なのだと思います。最近はどの教団でもビハーラ(仏教版ホスピス)が流行のようでそれは結構なことですが、またぞろ同宗の人間だけを対象に、教義の活用だけを優先しているようであれば、元の木阿弥です。同業者だけで自己完結させるのではなく、医療者も含め市民と対話や協働を重ね、ともに開発していくような姿勢が肝要だと思います。その試行も(このブログで紹介した(6月10日)NPO法人ビハーラ21のように)、ゆっくりとですが、始まっています。
 最後にもう一言。そもそもSCとは、末期患者さんのベッドサイドだけで成立するものではありません。地域の生活や暮らし全体の中で醸し出される、互いを思い、慈しみ、支えあう関係性こそ、日常のSCだと思います。その気づきや促しをどう試みるか。日本に8万あるお寺が、それぞれの地域におけるスピリチュアル教育の拠点となればいい。私たち大蓮寺や應典院の活動も、その同一線上にあります。 (秋田光彦)

2009年7月27日月曜日

体験者が綴ったホームホスピスの入門書

  日本のがん患者の80%以上が病院で最期を迎える現状がありますが、住み慣れた家で家族に看取られることは不可能なのでしょうか。奥様を在宅で看取った吉田さんが、体験者としてそのプロセスを伝えた本が、2007年12月に出版された「がんの在宅ホスピスケアガイド―ただいま おかえりなさい」(日本評論社)です。


 世間ではまだ在宅ホスピスケアというと、かなり縁遠いと感じる方も多いと思いますが、今後、終末期を家で迎えようと考える患者の方は増えていくに違いありません。最期を家で迎えようとする患者と家族の視点から、ご自身の体験も踏まえて書かれた本書は、そうした状況にある人なら、悩みの多くの部分に答えてくれる本だと感じました。たくさんある闘病記や患者手記とは全く異なる面持ちを感じました。
  また、吉田さんは在宅医、看護師など医療関係の方々と一緒に「おかえりなさいプロジェクト」を結成され、「あなたの家にかえろう」という冊子を作られました。


  この冊子はすでに24万部以上が発行され、全国でいろいろな方々の手に渡り、在宅ホスピスのガイドブック的な役割を果たしています。

  今回のエンディングセミナーでは、吉田さんの貴重な体験をベースに、本当に家族は「みとりびと」となれるのか、みなさんとご一緒に考えていきたいと思っています。(浦嶋偉晃)        

2009年7月24日金曜日

日本人の死に方が問われている。臓器移植法について

 これまで「資源」という言葉を比較的肯定的にとらえてきました。
 まちづくりの現場では、眠っている資源をいかに活かすかという文脈で、地域の歴史や生活を語ってきました。が、今回の臓器移植法における議論は、「臓器は公共の医療資源?」という、とんでもない資源の濫用となっていると思います。
 7月13日参院で可決なった今回の法改正で、今後死後の臓器提供については、本人の承諾がなくても、家族さえ承諾すれば摘出可能となりました。子どもの場合も、親が承諾すれば摘出できる。つまり、これまでの「臓器摘出は本人の生前の意思に限る」という箍(たが)が外れた分、すべての家族が「脳死者となった家族」の臓器の提供をするか、しないかの意思表示を求められる、ということになります。しかし、そもそも子どもの臓器は、親の意思で自由になるものなのでしょうか。
 メディアは「日本人の死生観が変わる」と騒いでいますが、いったい死生観というような民俗的な観念が国の法律ごときに左右されてしまっていいのか。医療の暴走を抑制しようと長く議論されてきた生命倫理からの問い直しはどこへ行ってしまったのかとあまりのなし崩しに憤りをおぼえます。東大の島薗進さんは、欧米諸国の場合は「キリスト教の立場からの主張とそれに対抗する論理が拮抗する中で、生命倫理の基礎づけが行われてきた」と言います。つまり、前提となる大きな死生観があって、それと際限なく発展する科学技術との両者の調整や合意に長い時間をかけてきたのです。が、今回の法案成立は違う。最初から日本人全体が含意するような死生観などなかったのかと思えてしまいます。
 心身一如の仏教的立場からいえば、死は身体と切り離して考えられません。日本人にとって死はたえず遺体や遺骨とともに認識されてきたのであって、それと共に死は諦観(真理)として受け入れられてきました。航空機事故で犠牲者の遺体や遺骨を収集するのは、日本人だけの特性です。「看取り」もまた身体まるごとの関係性との別れであって、肌は暖かく、血は流れ、ひげも伸びる「脳死者」を、「これは遺体だ」と認識できるのでしょうか。
 おかしなことです。脳死者はむろん、遺体を見たこともない人たちが、死の定義を論じている。世間では年間の自殺者3万人といいながら、そのことが社会問題の第一に挙げられることはない。そして「誰でもよかった」殺人の続発…。社会全体から死のリアリティーが失われています。というより、そういう厄介な問題はなるべく見ないようにして、「世の中のためになるから」というわかりやすさに走り、生死の一大事を技術操作の具にしている、といえないでしょうか。
 延命のみ優先して、死を追いやることは、やがて生命の限界を受け入れらない、痩せた死生観しかつくり得ません。死とどう向き合い、いまをどう生きるのか。今回の臓器移植法は、医療だけの問題ではなく、日本人全体の生き方と死に方が問われていると思います。 (秋田光彦)

2009年7月23日木曜日

市民みんなに看取りの力が備わっている

吉田さんから最初に「告知」を受けたときの衝撃を聞きました。医師から告知を受けた瞬間、頭の中は真っ白、膝はガクガクと震え…現在の不用意な「告知」について、改めて考えさせられました。「告知」というのは医師やマスコミが思うほど、簡単なものではありません。告知の前に信頼関係が必要ですが、容赦なく言い放たれる。その一方で「告知」を受けた患者さんや家族がその後、内的に成長していくという側面もあるというのも改めて感じました。
吉田さんが奥様を在宅で介護された期間は17日間。在宅ホスピスケアの驚きは、妻であり母である人が帰ると、家中が一気に明るくなり、家族にもそれぞれ役割が自然に出来て、いきいきしはじめ、それが家での看取りをやり遂げる原動力となるということです。それが家に帰るよさだと感じました。


当時、施設ホスピスはあっても、在宅ホスピスについて、そのような医師がいるのか分からない時代で、結局は家族だけで看取ることも少なくありませんでした。枕元にあるのは、血圧計と体温計と水枕のみ。モルヒネなどは一切お使いになられなかったとお聞きし、不思議に思いましたが、ご本人の思いにいろいろな形があるのでしょう。しかし、痛みに苦しむ奥様と、その奥様を看る吉田さんの辛さは、ここで容易に言葉にできるものではありません。。
死を見つめて、生を見た。それは奥様からの贈り物だったかもしれないと吉田さんはいいます。家という環境だったから、贈り物に気がついた。病院でできることをそのまま家に持ち込んでも、家での看取りと言えないでしょうとも仰っておられました。
もちろん、吉田さんは在宅ホスピスは選択肢の一つで、病院、施設型ホスピスという形も否定はされません。ただその人と環境に合った形を選択すればよいと言われてました。

「男の介護」と言うのは、まだむずかしいかもしれませんが、これからの日本社会が直面する大きな課題のひとつとなるでしょう。吉田さんは、それはけっして無理なことではなく、そのための環境づくり、学びや啓発が必要と仰います。医療関係者が奥様の看取りは「吉田さんだからできた」といわれたそうですが、「市民をなめないでほしい」と反発されたという吉田さんの言葉に共感を感じました。
在宅介護は容易ではありませんが、私たち市民みんなにその力が備わっているのだと思いました。(浦嶋偉晃)  

2009年7月20日月曜日

家庭の看取りの復権

  エンディングセミナー「”みとりびと”は語る」(8月1日)の話題提供者・アットホームホスピス代表の吉田利康さんにお会いする機会がありました。
  吉田さんは、1999年に看護師だった奥様を急性骨髄性白血病で、最期は在宅で看取られました。その時のご体験、そして今後の思いについてお話しをお聞きしました。
 奥様の死後からインターネットでターミナルの方やそのご家族、そしてご遺族の方に心のケアをはじめられ、「もしもこの病気がよくなるのなら、同じ病気の人の話し相手になりたい」といっていた奥様のご遺志を継ぐ為、ルークトーク(白血病談話室)、CTML(キャンサートーク・メイリングリスト)、メモリアルML(白血病遺族談話室)などで、「鉄郎」というハンドルでネットカウンセリングを行なわれました。
 その後、在宅医療にかかわる開業医の方に出会い、ネット外での活動も開始され、日常の視点から、こころのケアを考える講演や執筆活動に取り組んでおられます。



 吉田さんに在宅死についてお話を伺いました。

 昭和54年を境に、病院で迎える最期は在宅死を追い越し、現在全体の80%以上、これは、世界でも他に類をみない現象といいます。その結果、30年ほど前には当たり前であった、家庭での介護や看取りが姿を消し、同様に家族を支援する診療所も徐々に姿を消していき、ごくわずかが残るだけとなっていきました。
逆に、認知症など根治が難しい病気が増え、がんは二人にひとりがかかります。しかし、政府は入院日数短縮を打ち出し、急性期を過ぎた患者さんは嫌でも、転院か在宅療養を余儀なくされます。現実に急性期病院の平均入院日数は2週間に縮まっており、以前のように最期まで病院に留まるところは難しい。
 今、急務なのは家庭介護や看取りの復権です。ここ30年ほど生も死もどっぷり医療に依存してきましたが、元来それらは市民生活の一部でした。吉田さんは、「アットホームホスピス」の場を通して、生活の座から生老病死を見つめなおし、市民の視線から介護・看取りと交流・助けあいを実践していこうと活動を続けておられます。(浦嶋偉晃)

2009年7月8日水曜日

末期患者さんを支える人々 傾聴ボランティア

 7月4日、尼崎で開催された「阪神ホームホスピスを考える会」に参加してきました。
 ゲストとしてお話をお伺いしたのは、海外でのボランティア経験を活かし、現在はホスピスで傾聴ボランティアをされている薬剤師の石田有紀さんでした。
 石田さんは1回、原則1時間で患者さんとお会いになられていますが、なぜ患者さんは、このような短い時間で、ご家族にも医療関係者にも言えない思いを、見ず知らずの「他人」に話されているのか?
 やはり初対面でいきなり話がはずむような事はないそうです。また、患者さんの訴えがいつも本心とは限らず、口から出た一言をもう少し聞き込むと、背景に違う思いや願いのあることが多く、たいへんなご苦労もあるといいます。しかし家族や医療関係者にも言えないような事を、「これは誰にも言えないんだけど」ともらされることがあるそうです。
 患者さんはすごく周りに気を使っていておられます。家族は一所懸命お見舞いに来てくれる、医師も看護師も熱心にケアしてくれる・・・そんな時に「自分はつらいんだ」とは言いにくいのです。「他人」だから言える話がある。だからといってそれが家族や医療関係者に伝わることもないし、何を言っても迷惑がかからない。自分の立場が悪くなることもない。そんな安心感のようなものがあるのではないでしょうか、と仰っておられました。関係性が深くないから、逆に本音が言えるのかもしれません。
 傾聴の大原則に、「相手が発した言葉を使って、再び問い返す」とありますが、患者さんから「くどい!」と言われることもあり、また患者さんがお話の間を置いたときに、それが体調が辛いのか、考えている間なのかを常に気をつけられているといいます。実際に体験された方だからこその感覚かと思います。また患者さんの人生のお話を聞いていると目の前に映像がプレビューされて、自分とは全く違う生き方がリアルに迫ってくるそうです。どんなフィクションにも描けない、真の人生の物語ではないでしょうか。



 傾聴ボランティアとは、患者さんの心を癒し、孤独感や不安が軽減して安心感につながり、また相手の隠れた思いを聴くことで本当の援助が可能となります。
 ここにも、末期患者さんの心に寄り添い、支える人がいました。(浦嶋偉晃)

2009年7月6日月曜日

BOOKガイド 「寺よ、変われ」

 京都府城陽市の寺の住職です。このブログの主旨に賛同し、これから参加をさせていただきたいと思います。
 最近、「寺よ、変われ」というタイトルの本が出版されました。著者の高橋卓志さんとは以前から面識があり、長野県の臨済宗・神宮寺の住職として、「お寺は地域に開かれたものであるべき」との信念のもとに、デイサービスやNPO活動などを行い、そのアイデアと熱意あふれた行動力には学ぶことばかりです。
 この本は、「形骸化した葬儀と法事を続けるだけなのか?」、帯に書かれた言葉の通り、葬式仏教と揶揄される現状の仏教寺院、僧侶へ警鐘を鳴らす内容が展開されています。今までも仏教学者の方々が、伝統仏教、寺の現状を憂う内容ものはあまた出版されていますが、当事者である僧侶が書かれたものであるだけに、同じ立場にあるものとして、より深く受け止めるところがありました。
 かくいう私の僧侶としての活動の大半は法事と葬儀。仏教のいう四苦「生」「老」「病」「死」の「死」、それも死にゆく場面でなく、死後に関わること、さまり葬式仏教にどっぷりとつかっているのが現状です。
 「寺と僧侶は、死者だけを相手にするのでなく、現に生きて『苦』をかかえている人の支えや助けにならねばならない」というのが高橋師の行動の原点です。本書の中に「寺院改革ベスト5」というアンケート結果を紹介していますが、①お寺は今日の生き方を教えてほしい、②寺院を地域に開放しよう、③僧侶の所行(おこない)を正せ、④檀家制度は改革すべき、⑤葬儀・仏事のやり方に工夫を……。この結果、多くの僧侶は敏感に感じ取っているはずなのに、知らないふりをしていると感じるのは私だけでしょうか。かくいう私も、寺を改革するにはまだまだなのですが……。

 本書に語られる寺が変わる道筋は、幅広く読んでいただきたいものです。寺は本来そこに住まう住職(その家族)のものだけではなく、それを支える方々のものであるはずです。寺が変わるには、双方の協力なくしては難しいものでしょう。寺に、住職に対する期待を本書をヒントに菩提寺の住職に投げかけることで、寺が変わるきっかけとなるのかもしれません。(池野亮光)

2009年7月4日土曜日

医療と介護のふたつの視点で地域を支える

在宅医療にかかわるようになってから、今井さんの気がかりは、がんなどの難病になると患者が自宅以外に出向いたり、面倒を見てくれる場所が他にまったくないという現実についてでした。
 もっと地域ぐるみでひとりひとりと向き合える関係がつくれないだろうか。そこで平成20年10月、クリニックの近くに民家を購入し、「在宅療養支援ハウス 中州・有隣荘」と呼称して、デイサービスを開始されました。つい最近まで老夫婦がお使いになっていた二階建ての日本家屋です。施設とは違う、暮らしのぬくもり、生活の時間が自ずと伝わってきます。



「有隣」とは、論語の里仁篇の「徳不孤、必有隣」という言葉から転じて、デイサービスを始めるにあたり、“独居であっても年を重ねても、病気や障害を患っていても、あなたは孤独ではない。”というメッセージをこめて命名されたもの。日々に営みを綴ったブログも始まっています。

http://yuurin-kunpfukai.blogspot.com/

有隣荘は医療法人の経営ですので、医療的な配慮も充分可能であり、点滴、胃ろうなど医療処置の必要な方にも対応できます。患者さん本人にはデイサービスでの食事や入浴で寛いでいただきたいと思う一方で、看病を続ける家族の方にもレスパイトに利用して欲しいとのことです。そして、何よりも生きがいづくりをたいせつにしておられ、食事会をしたり、講演会を開催したり、また最近では花壇も作られ、トマトやズッキーニなどを植え、皆さんで成長を見守っているそうです。
 今井さんは、住み慣れた町でいつまでも住み続けたいという願いを実現するために、これからも生まれ育った町で、医療と介護の両面の視点を持って来るべき高齢社会に備えたいと考えておられます。どんな街にでもある小さなクリニックかもしれませんが、ひとりの医療者の願いが、こんなふうに地域に広がっていくことに希望を感じました。

セミナーの当日は、今井さんとご一緒に在宅ホスピスケアのこれからについて考えて行きたいと思います。(浦嶋偉晃)

2009年7月2日木曜日

「枯淡の美学」は失われたか。         団塊世代の「老後」を考える。

■若い世代は 「負け組」 か

 いよいよ解散総選挙、日本の政局は混迷ぶりを極め、またまた日替わり人事の様相ですが、そのたびにいつも感心するのは、70歳を超えたであろう政治家のみなさんの飽くなきエネルギーです。権謀術数の渦巻く世界だからなのか国会中継で、腰が曲がった、しょぼくれた老人を見かけることはありません。
 一方で日本の若者は分が悪い。ワーキンプアだ、格差世代だ、といつまでたっても社会のお荷物観は払拭できません。15歳から24歳の失業率は10%を超えて、非正規雇用の若者は500万人を下らないといわれています。年収200万円以下が1千万人もいると聞いて、改めて「新・貧困の時代」を迎えていることを感じました。
 そもそも日本社会は、若い世代と高齢者の間に長く仕事のすみわけができていました。正規雇用は若者が担い、派遣や日勤は60歳以上が担うという暗黙の了解がありました。人口減少の時代に入り、この秩序が壊れ、 若者は仕事からあぶれ、大量の団塊高齢層が、「一生現役」を目指しています。乱暴な言い方をすれば、若い世代の安定が、社会の優先事項から見放されつつあるのです。
 もちろん団塊世代には、これまでの戦後日本を支えてきた自負もあるでしょう。いまの若者(自分の息子たち)を見て、歯がゆく思うところも大きいでしょう。しかし、若い世代の幸福を支えることは次の社会全体の、また団塊世代のためでもあることを、日本の高齢層は忘れてはいけません。それは少子化時代における一種の「世代責任」でもあると思います。

■理想の人生とは何か 

 古来、日本人には「枯淡の美学」というものがありました。だんだんと俗事から離れ、人格を極めていくような究極のライフスタイルです。 そこから、日本人特有の数々の「芸道」や、また「信心」も育まれたのではないでしょうか。いつまでも第一線にこだわらず、陽の当たる場所は若い世代に任せ、だんだんと自分のため、地域のために何ができるか、そういういい意味での「自分本位」に立ち返るべきだと思います。
 もちろん、老後は悠々自適といかない現実は分かります。 隠遁生活を勧めているのでもありません。むしろ、ここらで人生を見直し、現役時代にはできなかった思索や探求、親睦や遊山などを目指していく生き方はどうでしょうか。夫婦や親子、友人や仲間といった、人間関係の原点に立ち返ることもたいせつでしょう。 そして、その延長線上に、本物の信仰との出会いがあるはずです。
 應典院にしばしばNPO活動に励む高齢者たちが集まります。福祉や医療、あるいは生死の問題など自分たちの人生に直結した課題を、みなで語り合い、実践する人々です。そこには現役時代のような達成感はないかもしれませんが、会社や組織にはない、自己を起点としたつながりや思いの深まりが必ずあるはずです。
 これからの日本人の生き方から、人生の理想や倫理がにじみ出るものであってほしい。それもまた、若い世代に贈る「世代責任」なのです。(秋田光彦)