2009年8月30日日曜日

末木文美士先生、「死者」の視点から世界を見直す。

  来る9月13日、應典院で寺子屋トーク「仏典から現代社会を問う」が開催されますが、前評判も高く、すでに100名近いお申し込みをいただいています。国際日本文化研究センター教授の末木文美士(すえき・ふみひこ)先生と、兵庫大学教授で浄土真宗本願寺派如来寺の住職釈徹宗先生の対論企画ですが、日本の仏教学を代表する碩学と新鋭の初顔合わせとなり、今から楽しみです。
お盆最中の8月8日、朝日新聞に末木先生の某所での講演要旨が紹介されました(「お盆、仏典を読む」)。今回の催しに通じる内容ですので、一部を引用紹介します。
  
  末木さんは近代の合理主義は、見えないもの、聞こえないもの、理解できないものを排除しがちだった、と指摘した。死者の行方などはその最たるものだろう。
  確かに死んだ人がどこへ行ってしまうのかは、分からない。しかし「生きている人が、亡くなった人と何らかのかかわりを持とうとする気持ちは現在も残っている。どうかかかわるかを考えることは大切だ」と末木さんは述べた。」
 その上で末木さんは、「仏教は死者と生きている人とのかかわりに着目することで、世界を見直す手掛かりになる」と強調した。そもそも仏教とは、ブッダの死後、残された人々が、彼の死を乗り越えようとするところから出発しているからだという。
 死者と正面から向き合わねばならなくなった仏教が、時間をかけて書き残してきたものが様々な仏典だ。だから、死者とのかかわりを軸に、仏典を読みなおすことが重要だと末木さんは説く。


 これまでの仏典解読とは、近代主義との接点を捜し出す作業だったのが、近年むしろはそれとは異なる視座を見出そうとする傾向が大きいといいます。
 「合理的な面だけではない世界を見直す手掛かりとして、仏教を見てみたい」
 近代合理主義を異化するような、反転の視点。そこから、現代の閉鎖感を突破するような新しい可能性を見いだせないかと思います。
 9月13日、末木先生の直接の言葉にふれる絶好の機会です。ぜひご参加ください。
(蓮池 潤三)

2009年8月23日日曜日

「‘みとりびと’は語る」アットホームホスピス代表 吉田利康さんのご講演をお聞きしました。

  8月1日、夏のエンディングセミナー「’みとりびと’は語る」の第3回目のゲスト、アットホームホスピス代表の吉田利康さんの講演を聞きしました。吉田さんは、10年前に奥様を自宅で看取られた体験者です。
  お話は、奥様の「病名告知」から「おわかれ」まで、時間にそって、吉田さんの心の揺れ動きを率直に語ってくださいました。

  1999年、奥様が急性骨髄性白血病と診断された頃、まだ介護保険はなく、また、今と違ってインターネットも普及途上にあって、容易に往診医も探せない時代でした。吉田さんもかかりつけ医に在宅療養支援を相談されましたが、がん末期と知ると往診を断られたそうです。
  吉田さん夫婦は、結婚した際に、どちらかがんになっても隠さないという約束をされていました。奥様は当時病院勤務の看護師をしておられ、ある程度の死の準備教育は積んでおられましたが、実際の「告知」を受けたショックは予想を超えた衝撃でした。頭の中は真っ白、膝はガクガクと震え、「告知」というのは医療者やマスコミが言うほど、簡単なものではないと実感したそうです。
 奥様は、ご自分の病気の事を必要最小限の人だけ知らせてほしい、それ以外の人には伝えないでほしい、他人から口伝えで病名が伝わる、それだけで怖いと仰ったようです。
 病院に見舞い、家に帰って家事をつとめる吉田さんの生活が始まります。奥様のいない家では、汚れたタオルを洗濯しているだけで泣けて仕方なかったといいます。そして、余命告知が本人に告げられました。そのショックも壮絶でしたが、それ以上にすごいのは、そこから自力で立ち上がってくる人間の強さでした。告知から一ヶ月が過ぎるころ、奥様は徐々にいつもらしさを取り戻し、それに安心したのか、逆に吉田さんは精神状態が悪くなっていく。ついに奥様の前で「おれはもうどうしていいかわからない」とべそをかく。それを支えたのは、なんと死と向き合っている奥様だったのです。吉田さんの目からうろこが落ちます。そして、妻を背負って歩こうとしていた傲慢さに気づき、妻がして欲しいことをすればそれでよいのだと思った時、気持ちが楽になったと話されました。
 すると奥様が「私、家に帰ってもいいかな?」「もう他人に身体を触られるのはこりごりや」と遠慮がちに言われ、介護保険のない時代に在宅ケア、男の介護が始まりました。家には不思議な力がありました。今まで連携の悪かった父子でしたが、母親が帰ってくると見違えるように子どもたちのふるまいが変わりました。病院で眠れなかった奥様が、熟睡できるようになりました。なによりも家に帰った奥様は患者ではなく、妻に、又、母親に戻られた。
  在宅での生活は17日間でした。がんの末期は短距離競争です。枕元には氷枕と体温計と血圧計の三つだけでした。そして本人の意思により最期までモルヒネも使わず、お別れは家族だけでした。
奥様の看取りから10年たって思うことは、家での看取りは自分自身を変えた、ということ。奥様のためと思っていたことは、じつは自分自身の生き方の転機となったと吉田さんは言います。
  吉田さんが今、在宅介護や看取りの講演・執筆活動をされているのは、「もし病気がよくなるんだったら、同じ病気の人の話し相手になりたい」という言葉が契機となっています。その思いを代わりに引き受けるのが、自分のささやかな供養だと思っていると仰っておられました。
  家で看取ると言っても、家族としてどうすれば看取れるのか分からないのが正直なところではないでしょうか。その結果、在宅医や訪問看護師に過度な委託をし、家族の役割も果たせないまま終わってしまいます。時には旅立ちの二日前ほどの時期になって、再入院をさせるなどが起こります。「妻(患者)がして欲しいことをすればそれでよい」とのことばは、看取りへの大きな示唆と受け止めましたし、それが介護をするものの基本姿勢ではないかと感じました。
 いま、死は社会から封印されています。8割の人が病院で亡くなり、葬儀も6割が式場で執り行われる。死は生活から遠ざけられ、姿が見えないまま、福祉や介護といった制度論だけが先行しているように思います。在宅ホスピスの心とは、「死」を生活の場に取り戻し、それを見据えながら、今、生きることの意味を考えることなのです。
 医療や介護、福祉の充実もたいせつですが、家に備わっている「日常」に潜む力を引き出すことが何よりも必要であり、それが結局、「ケア」の本質に触れることではないでしょうか。
 吉田さんの絵本「いびらのすむ家」の「いびら」とは、「家に住む人たちを見守る神」のこと。人には見えない「いびら」の存在が私たちの「暮らし」を守っているのです。(浦嶋偉晃)

2009年8月20日木曜日

死生観を取り戻す。お墓を起点とした、もうひとつの共同体づくり。


本稿は仏教タイムスから依頼されて寄稿したものです。9月上旬に掲載の予定。

 映画「おくりびと」は、われわれ僧侶の間では「宗教抜き」の映画として話題となった。「葬儀」を扱って大ヒットしたこの映画には、宗教の教えはもちろん、住職も寺もていねいに取り除かれていて、まったく姿がない。制作側は、特定の宗教色に偏向することを警戒したのだろうが、また今さら日本人誰にも共通する死生観などすでにないことを承知していたのではないか。たいせつなものは個々人の思いであって、融通の利かない死生観に拘泥されるものであってはならない。そういう規範や因習より個人の自由な価値観が優先されるべき、という風潮は、最近のスピリチュアルブームにも通底するものがある。
 もとより死生観は個人の面貌ほど多様であることに異論はない。「宗教なき死生観」も否定しない。しかし、死生観は人生の経験と学習の中で熟度を深めるものであって、ろくに思索も対話もないまま、「自分らしくありたい」と何でも好き勝手をすることと意味が違う。逆にそういう個人の小さな経験を積み重ねながら、全体のコンセンサスを規範として高めていく共同体のありかたに無関心であっていいのか。
 2002年から、大蓮寺の墓域に生前個人墓「自然」という新しい考え方の墓を設けた。すでに申し込みをされた会員は80名を超えたが、大方はまだ元気な人たちで、年三回の合同供養のほかに、セミナーやバスツアー、懇親会等で互いの交流を深めてきた。生前に個人の資格でお墓を準備するということは(申し込みを受けた直後に個人の墓碑を建碑する)、死を見据えてこれからを生きるということであり、それを血縁を超えて会員どうしで支えあおうというのが、この墓のポリシーだ。最初は一人ひとりは他人でも、「自然」を出会いの場として、やがて互いを供養しあえるような、共同体的な関係づくりを目指している。
 一般に年齢を重ねれば、自ずと死生観は深まるというが、どうもそれは疑わしい。「自然」申し込みに際し、これまで200人以上の中高年と面談してきたが、熟年世代であっても、痩せた死生観しか持ち合わせない人も少なくない。かつては地域共同体の中で継承されてきた生死にまつわる作法や知恵が途絶え、現代ではそれに代わってインターネットで収集したような情報や知識が幅を利かす。しかし、死生観とは検索エンジンで手軽に巡りあえるものではないだろう。
「自然」の場合も、個人墓といいながら、その根幹を成しているのは会員どうしがともに向き合う生死の共同体験だ。入会当初は戸惑いがちだった会員たちも、お寺が織りなすさまざまな「場」から、死生観の基本を学びとっていく。毎年夏に行う会員セミナーでは、葬送の変化の様々を学習しているし、生前戒名授与の道場には、すでに会員の七割が結縁した。
 日本全国に8万もの寺があるというが、私は、寺こそがそれぞれの地域における死生観形成の拠点でなくてはならないと思う。
 役所も学校も親も教えてくれない「いのち」「生死」について、地域社会に問い続け、また学びの場を持続的に提供すること。葬儀や墓についての学習や相談は、その入り口として誰にも馴染みやすいものだろう。また、「いのち」の視点から積極的に社会問題にも関心を寄せていってほしい。このたび実施した大蓮寺のエンディングセミナーでも、グリーフケアや在宅ホスピス、脳死・臓器移植問題などを話題に取り上げたが、いずれも生死の問題を「私事」に閉じ込めずに、たえず公共的な視点で問い返して、開かれた関係をつくりあげていくことをねらいとしている。当事者のみならず、専門家や市民を巻き込み、多様な知恵と実践を出し合うことによって、地域全体の潜在力を高めていく。それはやがて、死生観についての共感や合意を育み、「いのち」を主体としたまちづくりへとつながっていくだろう。
 「死生観なき現代」に向けて、生死の道を架橋するのは仏教の大きな使命である。それも、上から目線の布教伝道ではなく、地域の暮らしや人々の生き方と対話、協働を通して、仏教の実践的強度を高めていかなくてはならない。同時にそういう臨床的な態度から数々の仏典を読み込めば、それぞれが「生きる思想書」として新たな指標を与えてくれるにちがいない。大蓮寺の塔頭應典院では、この秋から現代人に向けたさまざまな仏典講座も開催する。
その地平の行方に、日本人の死生観を支えてきたゆたかな土壌として、日本仏教の可能性が再び見出せる、と思う。
(秋田光彦)


(大蓮寺の施餓鬼法要の一場面。家族が集って、先祖の御霊を祀る。日本のお盆の典型的な光景だ。8月19日撮影)

2009年8月14日金曜日

少子化時代の「供養」をどう考えるか。お盆に想うこと。

お盆のこの時期、私たち僧侶は「棚経」といって連日檀家さん宅を回ってお経をあげていますが、伝統的な先祖供養の中で大きな変化を実感することがあります。
 複数の檀家さんから同様の相談を受けました。
 「妻の生家の仏壇(位牌)を、当家(婚家)で祀りたい」。
 そうしなければ、妻の実家の先祖を供養することが守っていけない。供養の途絶です。今後、少子化が加速すると、これまで家族直系で継承されてきた供養の保証がますます難しくなってくることでしょう。私が死んだら、いったい誰が供養をしてくれるのか。そういう「供養の不安」は、いまや日本人の共通の危機感としてじわりと浸透しはじめています。
 日本人の供養とは、絶えず「先祖」という血縁とセットで継承されてきました。相手の顔は知らずとも、代々の祖先を祀り、子々孫々に引き継いでいく。それが「家」を基軸とした、いのちのつながりを形作ってきました。ふだんそんなことに意識はなくても、お盆やお彼岸という国民的行事を通して、日本人の霊的な感性は自然と養われてきたともいえるでしょう。
 ところが、少子化時代となって、ドラスチックな変化が起きます。家が縮んで、仏壇や墓の継承が困難となり、供養が途絶していく。それを恐れる心理からか、「(死後)迷惑をかけたくないから」散骨・自然葬を選ぶ人も少なくないと聞いたことがあります。また「供養の不安」という問題は、何でも自己決定すればいいと、安易な市場主義をはびこらせる要因ともなっています。
 現実の供養システムが、家族を基軸としている限り、やがて機能不全を来すことは想像に難くありません。では、明日の供養をどう救済すればいいのか。私は血縁による供養が難しくなったいま、「結縁」による供養のシステムづくりを考えなくてはならないと思います。いわば血縁に頼らない、もうひとつの家族づくりです。供養のネットワークといってもいい。
 その実践の取り組みとして、2002年から大蓮寺で始めた「生前個人墓・自然(じねん)」について、次回から述べていきたいと思います。(秋田光彦)

2009年8月12日水曜日

「‘みとりびと’は語る」いまい内科クリニック院長 今井信行さんのご講演をお聞きしました。

 7月25日、エンディングセミナー第2回目のゲスト、いまい内科クリニック院長 今井信行さんの講演をお聞きしました。聴講の内容を以下に報告します。
 今井さんは冒頭、一つのケアの連続性の中に看取りがあり、在宅ホスピスが看取り自体を目的としているわけではないと言います。その上で、今井さんは看取りに関心があり、文章に必ず句読点があるように、一人の方の人生に関われて、ピリオドを打つお手伝いが出来ること、そして少しでも喜んで頂けるなら、これに勝るものはないと仰いました。
 今井さんにはかつて病院の勤務医経験があります。病院は治療という目的を最優先する管理された空間ですが、その反面自宅というのは、人が生涯をかけてコツコツと作り上げてきた、かけがえのない、最も心地よい空間だといいます。だから、自ずから勤務医と在宅医はそれぞれの舞台が違うとも仰っておられました。


 最期と対峙しながら、在宅では患者さんと家族のさまざまなかかわりがあります。講演では今井さんが在宅で関わってきた症例について、いくつかお話を頂きました。
 60歳代の末期患者さんがいよいよ状態が悪化してきた時、その方の枕元に家族や知人が集まって、銘々に大きな声で声をかけ、一生懸命に励まされたそうです。だんだん呼吸が小さくなる一方で、周囲の励ましに応えるように生きながらえる患者さんを見て、生と死の境界上に生まれる家族どうしの濃密な関係を目の当たりにされたといいます。
 在宅医療とは、いのちが際立つ臨床です。病院や施設にはない尊い存在感であり、生と死のリアリティであり、そこに今井さんは人間として深い共感を感じるといいます。
 今井さんは、在宅ホスピスの主人公はあくまで「家族」であると言います。家族の方がいかに安心してわが家で療養をしてもらえるか、たとえれば家族でなければ演じることのできない「家族劇場」をいかに舞台裏から支えるかが、自分たち在宅医の役目であり、これからも黒子に徹したいと仰っておられました。別の言い方をすれば、在宅ホスピスとは、家族が家族であることの幸せを再確認する場なのです。
 今井さんは昨年から「有隣荘」という、在宅療養支援ハウスを新たに開設されました。これは、病院・施設と自宅との間にある、いわばまちの縁側のような新たな場です。少子化が進み、ひとり暮らしが増える地域において、互いを支え合う拠点として、育てていきたいと言います。管理中心の施設ではなく、中間的な拠り所になるようにしたいと仰られました。

 今回、今井さんのお話しをお聞きして、在宅ホスピスは患者さんとご家族がいのちに向き合う場。そしてあくまでも家族が中心だと分かりました。また自宅で残された日々を輝いて生きたいという患者さんの願いを、いかにしてサポートするかを含め、在宅ホスピスの今後の可能性について、じっくりと考えさせられた一日でした。
(浦嶋偉晃)


2009年8月9日日曜日

日本人と『死の準備』~これからをより良く生きるために

 本書は2部構成となっていて、第1部が山折氏、第2部には浄土宗総本山知恩院発行機関誌『知恩』と佛教大学四条センターの共同企画、よく生きるための『死の準備』講座から6人の講演を採録、という構成になっています。第1部では、宗教学者である著者が、人生80年時代の死生観を説いています。
 人生50年時代、「生と死を同等の比重で考える人生観」が、急激な高齢化の中で、人生80年時代となり、「老いと病いの領域が肥大化して死のテーマを遠く押しやり覆いかくしてしまった」と山折氏は言います。
 「死」というものの実感が遠ざかるほどに、「生」に対する感覚も薄れていくのは、いろいろな学者が提言していることですが、近年の親殺し子殺し、無差別殺人などの多発、また臓器移植問題を通じて様々な問題定義をする著者ですが、根底には「死生観」の欠如を語っているように思います。
 葬送の現場に立ち会う立場の実感としても、枕経から始まる一連の儀式が、単なるセレモニー化となっており、「死」を見えにくく、感じにくくしているという感を持ちます。我々の立場からそれを遺族はもとより、参列する方々にとって、「死」と向き合う大切な経験とするにはどうしたらよいのか、僧侶として考えるべき大きなテーマをいただいたように思います。
 第2部の6人の方々の講演の採録も、それぞれの立場から「いかに生き、いかの死ぬのか」を語られています。
 豊かさとひきかえに失った大切なものは何なのか、本を読み終え、地域の中で語り合っていきたいと思いました。
(池野亮光)

2009年8月5日水曜日

「‘みとりびと’は語る」公益社 執行役員 廣江さんのご講演をお聞きしました。

 このたびの夏のエンディングセミナーも無事3回の実施を終えました。このコーナーでは、各回の内容など報告していきます。

 7月18日、1回目のゲストは葬儀社最大手の公益社執行役員の廣江輝夫さんの講演をお聞きしました。会場は定員を超える方々がご来場いただき、エンディング関する関心の大きさがうかがえました。
 葬儀社は死後の送別のセレモニーを業務とされているはずですが、廣江さんのお話は、死後の遺族の悲嘆をいかに癒すか、いかに支えるかといったグリーフケアやエンディングサポートが中心となりました。遺族会「ひだまりの会」の活動やエンディングワークとしての「生前葬」など、葬儀社としての新しい取り組みに新鮮な驚きを感じました。

 少子高齢化社会、葬儀に対する意識も大きく変化しており、中でも「家族葬」に対する関心はきわめて増大しているといいます。「家族葬」の特徴は「故人をよく知る人だけが集まるので、多くの会葬者への対応が必要なく、故人とゆっくりお別れが出来る」、また「世間の目を気にせず、故人や遺族の考えを反映した個性的な葬儀が出来る」など、家族の絆を深めていく葬儀といえます。
 本来葬儀とは遺族と故人とのコミュニケーションの場であるはず。さらにエンバーミング(遺体衛生保全)で時間にとらわれず、納得のいくお別れができるようになったといいます。病院や施設では死後、十分なお世話やコミュニケーションができにくいという反省点から、「コミュニケーションの場としての葬儀」のあり方が再構築されているといえます。
 また「エンディングワークの考え方」という新しいキーワードも示されました。つまり自分の残された人生を考え、生前に人生の棚卸しをしようという事です。モノについての遺言だけではなくて、「ココロの遺言」(財産だけでなく、家族の絆を結び付ける)を考える時代になってきたと言えます。
 さらにエンディングワークの一つとして、社会的に死を告知する、つまり葬儀の前に告別式を行う「生前葬」を取り上げ、生きている間に友人に挨拶し、人生のけじめをつけるという方もいらっしゃるといいます。その背景には、子どもに迷惑をかけたくない、元気なうちにお世話になった方々とお礼を伝えたいという気持ちがあるようです。
 また、遺族会「ひだまりの会」のは、公益社で葬儀をあげられたご遺族を対象としており、その精神的自立を支える相談・援助活動を大きな目的としています。会員となっている方々のアンケート回答の紹介がありました。ひだまりの会参加動機は、「同じような体験をした人の話を聞きたかったから」が一番で約6割を占めています。また現在、参加している理由としては、「講演会を聞きたかったから」で、とくに「死生観・人生論に関する講演を希望する」人が多いといいます。また「同じような体験をした方の助けになりたいから」という理由も多くを占めました。
ひだまりの会は個別の遺族ケアが目的ではありません。むしろ遺族サポートのための人材育成と組織づくりがねらいであり、遺族の方が「依存」ではなく「自立」してもらうことが目的です。そのための同じ死別体験者どうしの自助グループ的な性格といえます。

 今回、廣江さんのお話をお聞きして、本来「死後」を扱っておられる葬儀社が、実は「生前」をも扱っておられる、まさに「みとりびと」的な存在であると思いました。機会を改めて、次はぜひひだまりの会の見学などをさせていただき、ご報告させていただきます。(浦嶋偉晃)