2010年1月17日日曜日

震災15年、災害と葬送を考える

  「あの日」から15年が経ちました。地域とは何か、いのちとは何か、私とは誰か。その後、應典院再建の転換点ともなった阪神淡路大震災について、連日多くの報道が届けられています。 
  被災当時、私が所属していた仏教NGOが真っ先に着手したのは、葬送への取り組みでした。多くの遺体が、火葬も葬儀もできないまま、むごい状況にありました。当時かろうじて稼働していた神戸市北区の鵯越(ひよどりごえ)の斎場で、私たち僧侶は葬儀のボランティアにあたっていました。
 被災後、犠牲となった遺体をどう葬るのか。それまで日本が直面したことのないもうひとつの葬送問題について、1月13日付の読売新聞は、こう報じています。。 家族の遺体を安置所に置かれたまま、耐えきれず、「数日後、ある遺族から『もう見ておれない。空き地でいいから(遺体を)焼いてほしい』と懇願された。『早く火葬を』と死の災対本部に伝えたが、すぐに解決できる問題ではなかった。灘区で約700人、東灘区で約1000人などと、わかっているだけで(安置された遺体は)3300人以上だった。当時、神戸市で使える火葬場は3箇所。1日計150人しか火葬できない」 
  厚生省の役人から「野火にしては」という打診に対し、「死者への尊厳と遺族感情を優先したい。『お別れ』は大切な節目だから」と断った神戸市役所衛生局長の言葉も紹介されています。 
  死が予知可能であれば、心の準備はできたのでしょうか。いや、むしろ「日本人にとっては死を予測し、準備をしておくことなどタブー」であったと思います。だから、どこにも憤りをぶつけられない被災死に対し、死者をどのように送り、葬るのかという難しい問題が横たわっています。 
  安置所の確保、棺やドライアイスの用意や火葬、搬送の手配など、適切な死後実務は、そのまま遺族を支えるグリーフケアに直結していると容易に想像できます。しかし、遺体は火葬処理をしたから、死者になるのではない。死者はここではない、どこかに赴くのであって、そこに宗教儀礼としての葬儀の必然性が生まれてきます。 
  葬儀はあくまで個人によって選択されるものです。信仰の有無や宗派の相違といった個別性の問題が浮き立ちます。檀家の一員であっても、自分の宗旨さえ知らない人も少なくない。その違いを克服しながら、緊急対応時にあって、どう葬儀をグリーフケアとして実効させるのか、議論が必要と感じます。ある意味、公共的な宗教の役割を実践から見出すといってもいいでしょう。 
  映画「おくりびと」が大ヒットする一方で、葬儀をしない「直葬」が増えています。日本人の死生観がアンバランスに宙を漂ういま、災害と葬送を考える意味は小さくないと思います。(秋田光彦)

2010年1月4日月曜日

(5)再聖化する個人、市民とともに

葬送文化の専門誌「SOGI」に、秋田光彦住職のロングインタビューが掲載されました。大蓮寺や應典院の取り組みを通して、新しい時代の死生観について言及しています。5回に分けて連載します。

  07年に應典院で講演をしていただいた東京大学大学院の島薗進さんは、この個人の宗教化の問題を「再聖化」という言葉を使って論じています。社会制度の原理によって成り立ってきた医療や福祉、教育などが宗教的な要素を取り込むようになって、「再聖化」していく。先に挙げたスピリチュアルケアやグリーフケア、またいのちの教育、死の準備教育などがそれです。私はこの「再聖化」がひたすら個人に内面化していくのではなく、外の社会と交渉することによって、開かれ、鍛えられていくことにも期待をしています。最近では、仏教各教団でも、ビハーラや自殺防止に教団を挙げて取り組もうとする動きが見られますが、これもまた、社会と接続することで、既存の布教主義とは異なる、公共宗教へのアプローチといえるのではないでしょうか。
 應典院の活動を通して、私は多くの「再聖化」する市民と出会ってきました。彼ら彼女らは、既存の宗教にすがるのでもなく、社会制度にも頼らず、自立した個人として仲間とネットワークをつなぎ、対話や協働を繰り返して、身近な社会や地域変革に取り組んでいます。医療や教育のみならず、環境問題や食品問題も人間のいのちに直結しており、そこには医師や教師といった高度なレベルの専門家も参加しています。私はしばしばそういう場において、教化本位ではなく、ひとりの市民として仏教を語ってきました。一方的な布教を目的としたメッセージではなく、個々人に対し生きる実践ための知として仏教を語ってきたと自覚しています。どこまで伝わっているのかはわかりませんが、選ぶのは個人です。私ができることは、個が自己を見つめ直そうとするその根拠として、仏教をいかに提示するか、です。そのためには、これまでの仏教とは違う言葉、表現をもっと開発していかなくてはならない、とも思います。
 私のような立場から、伝統仏教と再聖化する個人の関係を論じることは、非常に緊張感を伴います。ただ檀信徒教化の場面以外の生々しい臨床に立ち臨んだ時、先にも述べましたが、仏教にも組織から個へと大きな質的転換の波が迫ってきていると強く感じています。また寺や僧侶がその転換にどう呼応していくのか、接続するのか、あるいは断絶するのか。何事も教団に倣えではなく、一人ひとりの仏教者の覚悟と行動が切実に求められています。そのことを、大学の研究室からの提言ではなく、生きた臨床の現場どうしの試行錯誤も含めた対話を通して、状況は少しずつ変わっていくのではないかと思っています。
 最後に、最近、應典院で講演を行った国際日本文化研究センター教授の末木文美士さんの著書から、私たち臨床にいる僧侶への問いかけとして以下を引用させていただきたいと思います。
 「仏教は平和主義であるとか、仏教は生命を大事にするとか、口先だけのきれい事をやめようではないか。自分の感覚として何が大事なのか、自分自身を見つめ、そして考え直すところから出発するのでなければならない。経典に書いてあるからとか、宗祖がこういったから、ということは、もちろん宗派内の「公」としては成り立つし、それは否定しない。しか  
し、それは宗派を離れたら何の説得力も持たないことを認識しなければならない。それでもどうしても自分が主張せずにはいられないこと、実践せずにはいられないこと---そこから出発する他ない」(「現代と仏教」佼成出版社)。(秋田光彦)

2010年1月1日金曜日

(4)若者とスピリチュアリティ

葬送文化の専門誌「SOGI」に、秋田光彦住職のロングインタビューが掲載されました。大蓮寺や應典院の取り組みを通して、新しい時代の死生観について言及しています。5回に分けて連載します。

 死生観の個人化という変化にいま一番近接しているのが「スピリチュアリティ」だと思います。今やちょっと流行語になっていて、SOGIの前号にも碑文谷創さんが書いていましたが、あまりに多義的、多層的で私もよくわかりません。言葉の咀嚼力が大きく、何でも呑みこんでしまうような胃袋を持っているから、わからない余白の分、解釈の自由度があるのでしょうか、フレキシブルな言葉であることには違いないが、やや振り回されている感も否めません。
 7月に高知で日本在宅ホスピスケア研究会の全国大会があって参加してきたのですが、やはり大きなテーマのひとつがスピリチュアルケアでした。宗教的ケアを論じたシンポジウムでは、京都大学のカール・ベッカーさんが日本の仏教による伝統的な死生観を語る一方で、同じ舞台に幸福の科学や前世療法の信奉者(いずれも臨床医)が登壇し、非常に違和感を覚えました。何がスピリチュアリティと宗教の境界なのか、スピリチュアリティとは宗教の代替なのか、臨床の現場も混乱しているという印象でした。
 むしろ、それを現場で予感するのは、應典院(大蓮寺の塔頭寺院)で起きている、若者たちのユニークな取り組みについてです。スピリチュアリティという言葉は使いませんが、死を見据えていかに生きるかというようなワークショップの数々が連続して起きています。宗教体験も乏しい、20代の若者に死生が語れるのか、と鼻白むかもしれませんが、私はむしろそこに新たな死生観への模索が始まっていると受け止めています。
 若者たちにはそもそも従来型の死生観がありません。拘泥するものがないから、自由に死生観をデザインすることができるように思います。いまはワークショップやカウンセリングの手法が発達しており、これまで一方的に「教わる」対象であったものから、自分たちで編み出すことができます。言い換えれば「救済される客体」から「自ら変容していこうとする主体」へと自覚的な変化が起き始めているように感じます。
 應典院で実施している、二つの事例を挙げます。
 ひとつは、自死者の遺児たちが主宰する「グリーフタイム」。母親を亡くした20代のふたりの若者、臨床心理士の宮原俊也さんと大学生の尾角光美さんが9月から始めました。グリーフケアというと、私は遺族支援を連想しますが、ここでは死別のみならずここでは「大切なものを失われた方」すべてが対象です。ペットの死、健康な体を失う、両親の離婚、引っ越しや転校による人間関係や環境の変化、失業により役割や自信がなくなる…すべてがその人にとってグリーフであり、その時自分の気持ちをいかに大切にすることができるか、が重要と考えます。集まってくる人たち(全部女性でしたが)がみな原因のはっきりしたグリーフを抱えているとも限りません。本を読んだり、お茶を飲んだり、銘々に好きな時間を過ごします。全体の交流やカウンセリングはしない。助言もせずに、ただ体験者どうしが静かな時間を共有していきます。
 若年層は周囲に死別などの体験者が少なくグリーフケアから取り残されることが多いといいます。ここでは原因究明や問題解決が目的ではなく、悲嘆を抱えた若者たちが誰にも介入されず、それぞれが自分の内面と向き合う「場」を提供しているように思えます。何らかの悩みや問題を抱えている人が当事者どうしで集まり、交流を通して相互に支えあうためのネットワークをセルフヘルプグループと言いますが、こういうのも「スピリチュアルな人間関係」であり、これに救われる若者たちもいます。
 もうひとつは、NPO法人のシティズンシップ共育企画の川中大輔さんたちと3年前から共催している「生と死の共育ワークショップ」です。07年に「自死」、08年は「葬式」、09年は「老い」(予定)をテーマにそれぞれ大蓮寺に泊まり込んでの合宿形式で行われました。08年、「自分のお葬式はどうあげられたいか?」」のネットの広報文を一部少し紹介します。
 「『お葬式』」という生者と死者が共に過ごす、場の持つ意味を探りながら、自分が死ぬ時、どのように記憶され、見送られていきたいのか、その『ありたい死』」を考えた時に、私はいま何をすべきかという問いが深みをもっておとずれるのではないかと考えています。
 『よく死ぬことはよく生きることだ』」という言葉があります。自分や他者の「死」と向き合いながら、これからの自分の『生きかた』」をゆっくりと考える時間を共にしませんか? 」
 これを書いた主催の川中さんは29歳。彼は、さまざまなテーマを参加学習の手法で伝えるファシリテーターとして将来を嘱望されてる人材ですが、最大の関心のひとつが「生死」といいます。
 一日目こそ、寺の住職として私が仏式の葬儀の基本を講義しましたが、そのあとは翌日いっぱいまで参加者どうしが生と死を巡って語りたいことを存分に語り合う場となりました。自他の死の葬送、自らの死にざま・生きざま、あるいは死後のイメージなど、様々な話題が広がりました。全国から集まってきた20人ほどの若者が、お寺でひたすら死生について語り合う、というのは寺の住職にとっては感動的な場ですらありました。しかし、ここでは仏教はあくまで参照点でしかなく、重要なことはそれぞれの個にとっての死生観の創造なのです。「答えを求めるのではなく、問いを温める場所」(川中さん)として、こういうワークショップが生まれ始めていることを私は、これまでの伝統的な死生観とは異なる、スピリチュアリティの萌芽ではないかとらえています。
 ここは非常にデリケートな問題も孕んでいるのですが、私はこのスピリチュアリティの動きと伝統的な仏教が対立的な関係にあるとは思いません。彼ら彼女ら應典院というお寺に場を求め、住職である私に「法話」を要請してきました。入信・折伏といった直接的な宗教体験を求めるのではなく、一定の距離を担保しつつ、重要な参照点としてアクセスしようとしています。
 先に「伝統的な儀礼や教義は一旦退行した」と述べましたが、それは権威的であり、教条主義的なものの退行であって、若者たちもまた先人たちの知の蓄積に学ぼうとしていることを強く感じます。問題はそういう若者たちの立ち位置を尊重できない、いまの仏教の定形化された話法であり、硬直したコミュニケーションスタイルにあるのではないでしょうか。一方的な教化圧力が浮き立つだけで、若者との対話や共感がない。そうなれば、当然僧侶の役割もアジテーターからメデュエーター(仲介者)へと転換していくと思います。語ること以上に、聴く姿勢が求められます。そのうえで、両者は今後寄り添いながら、緩やかな連携を深めていくのではないでしょうか。
 川中さんの団体名にもある「シティズンシップ」とは、個人の市民性、市民的行動と訳され、市民社会とはそういった主体的な個人参加型の社会をいいます。個人というものが欲望だけを肥大させるのではなく、説明や合意をどう図りながら、ゆるやかな共同性を獲得していくのか、これは個人の時代における社会観形成の上で、極めて重要な意味を持つと思います。いま注目される「公共宗教」とは、東京基督教大学の稲垣久和さんの定義によれば、「私と公の間に市民的・公共的領域が多様に存在し、宗教はそこで(国家的統制を受けず)本来の役割を果たすことが期待」され、「そのような市民社会形成のエートスを与える宗教」(稲垣久和・金泰昌編「公共哲学16 宗教から考える公共性」東京大学出版会)を言うといいます。もし、そうであれば、まさに仏教もまたつぎのステージを模索しはじめる時を迎えているのではないでしょうか。まだまだ今後の動きを見つめていかなくてはなりませんが、その考察は今後も深めていきたいと思っています。(秋田光彦)