2011年2月4日金曜日

年越いのちの村。悲しみに寄り添う。

 應典院で、「グリーフタイム」を定期的に催している尾角光美さんは、大学入学目前の19歳の冬、同居していたお母さんを自死で喪いました。事業に失敗した父親はその直前に出奔、一気に両親を失くした尾角さんは失意と苦悩が襲いました。
 私が出会った頃の尾角さんは、同じ境遇の自死遺児たちと東京や京都でネットワークを作り上げていました。次第に社会起業に目覚め、遺族支援の市民団体リブ・オン(生き続けるの意)を創設、去年あたりからの活躍は目覚ましく、僧侶や葬儀社に向けた研修会や中高生向けのいのちの授業の講師などを務めています。
 その尾角さんから「大晦日らから元旦に、お寺で年越村ができないか」と相談を受けました。人間関係に苦しみ、帰る場所もなく、孤独感を抱いた人たちが身を寄せて「生き続けるための場所」。見知らぬ者どうしでも、正月のある暮らしをみんなで分かち合えれば。それには、お寺こそふさわしい。自死問題をずっと考えてきた尾角さんらしい企画でした。
 昨年12月31日の大晦日、若い世代を中心に25名の人々が集まりました。会場となった應典院の部屋には、「年越いのちの村」の書が貼り出されました。多くはボランティアでしたが、中には「何度も死のうと思った」という男女の顔をありました。自殺未遂を繰り返した中年男性、発達障害を抱え、いじめに遭った女性、30代の引きこもりの男性…思いつめた表情の彼らも、最初は見知らぬ人の輪に溶け込むことに苦労しているようでした。
 固かった関係が絆に近づいたのは、意外なことに、正月の習わしでした。ボランティアがつくった年越しそばを食べる、みんなで大蓮寺の除夜の鐘を撞く、お雑煮や書き初めや、そういう年中行事を共有するに伴い、参加者の口からゆっくりと境遇が語られ始めました。
 「人間はひとり取り残されて、生きづらさを感じてしまうことがあります。病苦や経済問題より深刻なのは、苦しい時に支えとなる人とのつながりのないこと」(尾角さん)
 社会保障が充実すれば、心の痛みや生きづらさが克服できるわけではありません。どんな手の込んだサービスより、たいせつなものは、生きることを支えるつながりの感覚、あなたに寄り添う他者の存在ではないでしょうか。
 初めて会った者どうし、言葉(理)だけで共通理解は進まない。それをシンクロさせたのは、当たり前の年中行事を一緒に務めながら伝わった悲しみの体温ではなかったかと思います。大勢いたボランティアの中にも、悲苦を抱えた人がいました。彼らは悲しみの解決者ではなく、悲苦に寄り添う「同苦同悲」の存在だったのでしょう。
 もうひとつ気づいたことがあります。
 この集いに準備段階から、尾角さんのサポーターのように協力する、若い僧侶の姿がありました。大切な人を喪ったグリーフをどう支えるのか、僧侶である自分に何ができるのか---ひとりの市民が磁力となって、同じ思いを抱える若い僧侶たちが集まってきていたのです。
 自死者の遺族に不用意な言葉を吐いて、顰蹙を買う僧侶がいるといいます。ただ語ればいいというような安易な布教根性では通じない、ここは文字通り「同事」(四摂事のひとつで、他者と苦楽を共にすること)の集いではなかったかと思います。
 つながりとは、誰かが誰かに与えるものではない。人と人が思いやり、支えあう関係性の中から自ずと生起してくるものなのです。それは「慈悲」の真の姿に近い、と思います。
 1月1日正午、閉村式を行いました。参加した女性の言葉--- 。 「皆が支えてくれて、私のいのちは、私だけのものじゃない、と感じました」
(秋田光彦)


<参加者と大蓮寺本堂で新年の回向をつとめる>

0 件のコメント:

コメントを投稿