2011年7月10日日曜日

これからのグリーフケアのかたち

■葬儀社が主宰するグリーフケア

  去る6月18日、葬儀社 公益社のグリーフサポート「ひだまりの会」月例会の見学に参加した。
公益社は、数多くのご遺族の悲しみに接してきた経験から、葬儀だけにとどまらず社会貢献活動の一環として、グリーフサポート「ひだまりの会」の活動を2003年12月から開始している。
私が例会に参加するのは2回目だが、以前の様子については、下記のブログをご参照いただきたい。
http://mitoribito.blogspot.com/2009/10/blog-post_19.html

 今回は21名のご遺族の方が来られていた。「ひだまりの会」には、ルールが二つある。1つは、「悲しみ比べをしない」。もう1つは、「(分かち合い)で起こったことは、口外しない」。この二つのルールによって、当事者にとって分かち合いの場が安全なものとなる。
 何よりも「ひだまりの会」の強みは、スタッフ間の情報共有ができていることであると思う。故人の亡くなった状況、葬儀の状況、遺族を取り巻く状況やそれぞれの気持ちなどをデータベース化しているのだが、さらに驚くのはその情報が、スタッフの頭の中に完全に入っていることだ。
 私は前回に続き、クロージングミーティングに参加させていただいたのだが、「分かち合い」の振り返りをし、一人一人の状態、そして今後のフォローをどうしていけば良いのかを話し合う。たとえば次月も月例会に誘ったほうがよいのか、数ヶ月空けたほうがよいのか、しばらくは定期的な電話のみにするのかなど、フォローのあり方について深く議論を交わす。スタッフ全員のコンセンサスのもと、方向性を共有するのである。この締めのミーティングのあり方が、本当に素晴らしいと思う。やりっぱなし、聞きっぱなしにしておかないのだ。
 昨年の春に公益社という看板を外して、「ひだまりの会」の「卒業生」が集まってNPO法人「遺族支え愛ネット」を設立した。今や会員は135名という。現在、その中の70名ほど方が、緩和ケア病棟で傾聴ボランティアをされているそうだ。すごいことだと思う。一般的に、自分の辛い体験を思い出すので、病院などそういう場を避ける傾向にあると思っていた。まさにこの人たちは、よい意味で自分の体験を客観的に捉えられるまでなられたのである。それを支えてきたのが「ひだまりの会」のスタッフの方々だ。
葬儀社によるグリーフケアの活動に対しては、営利目的の営業活動としてとらえられるおそれがあると思う。「ひだまりの会」でも、遺族に初めて会の案内の電話をする際に、遺族から警戒されることがある。そのほか、営利企業である葬儀社は、地域の自治体、医療機関との連携が困難なので、会の発足まで、社内勉強会などを重ねることを通して、医療機関や市民団体が行うグリーフケアの現状を理解する努力をしたと聞く。

■同じグリーフの体験者どうし

かけがえのない人を亡くした死別体験者を支援する「グリーフケア」という用語は、少しずつ知られるようになったが、まだまだ定着したとは言えない。しかし葬儀への世間一般の関心の高まり、超高齢化社会、死亡率が急増する多死社会の進展とともに、グリーフケアの重要性は今後ますます高まると思う。
そういった中、すでにグリーフケアを実施している様々な『自助グループ』と呼ばれる市民団体との交流がますます盛んになり、地域の社会資源との連携にまで広がることを期待する。
こういう遺族会の存在は、たった一人で立ち向かうより、同じ体験者と一緒になって立ち向かい、そしてそれぞれが別の体験を聴くことで、自らケアされるという役目をはたしている。また、「自分の経験が、他の人の役に立つ」という事実が、自尊心を回復するのではないか。傷口を舐めあうのではなく、皆で話し合って立ち直るきっかけにするということであるのであろう。
家にこもっている状態から、こういう会に出かけることで、外出着に着替え、電車から車窓の風景を見ることが、すでにグリーフサポートが始まっているのではないかと思える。
私は「ひだまりの会」のあり方が好きだ。今後も関わりを深めて、いろいろな刺激を受けさせていただければと願っている。
 私はこういう「分かち合い」を小単位からで良いので、お寺で開かれることを望んでいる。またお寺にはその可能性が大いにあると信じている。(浦嶋偉晃)