2011年8月31日水曜日

グリーフワークとしての葬送を考える~エンディングセミナーにて、小谷みどりさんの話を聞く。

 去る7月30日、應典院で開催された「夏のエンディングセミナー2011」において「グリーフワークとしての葬送を考える」という題で、小谷みどりさんの講演を聞いた。
 小谷さんは、第一生命経済研究所主任研究員であり、終末期医療から葬送までを生活設計の視点からとらえ、「エンディングデザイン」を提唱する。専門は生活設計論,死生学,葬送問題。『変わるお葬式、消えるお墓』『おとむらい新世紀』など著書多数。
 今回、日本人の死生観や葬送の多様化、そしてエンディングデザインについて、研究者ならではの統計データを駆使した講演であった。
 冒頭に、葬送儀礼はグリーフワークとして機能しているのか、またグリーフワーク自体が必要なのか、人が亡くなって悲しいのか、と立て続けに問いがあった。

■葬送の変容の背景
 最近、「死」の意味合いが変わってきた。一つは高齢者の死が増えてきたことである。特に後期高齢者の死になると、悲しさより安堵の気持ちがあり、周りも納得する死であると言える。
 また高齢社会が成熟した日本は,「多死社会」を迎えている。死の迎え方や価値観の多様化に伴い,葬送に対する意識も多様化している。家族葬や故人らしさを求める傾向が顕著になり,宗教色のないお葬式など,しきたりにとらわれない人たちも珍しくない。
 そして病院死の増加である。2008年度では85%で、病院で死ぬのがあたりまえになり、家で看取るのと違い、死に目に会えなくなる機会が増えてきている。
 長患いを経て、超高齢で亡くなるというのが、今の日本人のイメージであり、予期できない死ではなく、納得できる死であり、天寿を全うしたと思える死が圧倒的に多くなり、そういった背景の中で昨年、葬式はいらないのではないかという話題になったのではないか。
 またこれからは配偶者がいない、家族がいない男性が増えていくのではないか。2005年の統計上、男性の生涯未婚の率が6人に1人になっていて、さらに少しずつ増え続けている。これまでは高齢者の一人暮らしとは配偶者(男性)を亡くした女性が対象になっていた。これからは結婚したことがなく、家族がいない男性が高齢で亡くなった場合が問題である。特に親族が少ない場合は深刻である。男性一人暮らし世帯において、「会話頻度が1週間に1回以下、ほとんど話しをしない人」が11.8%を占めているという統計がある。この数字を見て、我々は気づかないのだ。ピンとこない。なぜかと言えば、そういう人たちは社会から埋没してしまって、我々にとって気づかない存在なのだ。これが社会の無縁化だと言えるのではないか。
 そういった中、死の自己決定が必要になってくる。日本人には、ぽっくり信仰が多い。人に迷惑をかけない死に方が、良き死という価値観を高齢者の多くが持っている。特に延命措置を拒否する高齢者が多いが、やはり家族に迷惑をかけたくないと言う思いが働いている。
一方で高齢者の自殺は、大家族の高齢者に多いのだ。これも子や孫に迷惑をかけたくないという気持ちがあるのではないか。

■人称別の死とエンディングデザイン
 人称別の死とエンディングデザインであるが、自分が死んだときと、大切な人が亡くなったときでは違う。二人称ではお墓参りに行きたいと思うが、自分のときはお墓はいらないと言う。それは延命治療にも言える。自分に死が迫っている場合はいらないと言うが、家族の場合はどうするかと言うと、延命治療をしてほしいという人が増える。
 死の分類として4つに分けられる。医学的な死、法的な死、社会的な死、文化的な死であるが、葬送はどこに関わっているのか。社会的な死とは、家の中に閉じこもっている、忘れられている人のことを言う。文化的な死において日本人はなかなか死なない。お盆であり、お墓参りで、亡くなった方の好きだった食べ物を供えるのだ。死んだ人との心の繋がりがある。亡くなったが、文化的には亡くならないのだ。
 葬送儀礼の役割において、死者と向き合う時間が重要なのではないか。儀礼は大切である。日本人は死別の悲嘆からの立ち直りが欧米から比べて早いと言われている。それは仏壇に向かって話しかけたり、鴨居の写真に話しかけたり、日本の家屋には元来、死んだ人と共存する装置があちこちにあった。しかし現在ではその装置がだんだん少なくなり、また儀礼が無くなってきて、亡くなった人と向き合う時間がなくなっている。そして亡くなった人と一緒に暮らしているんだという感覚も無くなってきて、欧米と同じ、悲嘆の問題が取りざたされるようになったのではないか。

 私もマンションに住んでいて、仏壇などの置き場所がない。欧米にはない、日本独自の「死んだ人と共存する装置」が、死者と対峙する時間を作り出し、遺族の生活の中に死者の居場所を見出すし、もう一度新しい関係を結んでいくということがグリーフワークに繋がっていくのではないか。
 このお盆は、先日亡くなった伯母の初盆で、長崎のいとこから精霊船ができたとの連絡があった。私は小学校のときに、初めて精霊流しを見て、本当に船に故人が乗っている気がし、とても厳粛な気持ちになり、そして精霊船に故人が見えるような不思議な思いをしたのを覚えている。こういう死者と向き合っている感覚が大事なのだと思う。(浦嶋偉晃)


2011年8月21日日曜日

仏教とスピリチュアルケアをつなぐもの~エンディングセミナーにて、大下大圓さんの話を聞く。

  去る7月23日、大蓮寺で開催された「夏のエンディングセミナー2011」において「仏教とスピリチュアルケアをつなぐもの」という題で、大下大圓さんの講演を聞いた。
  大下さんは、和歌山県の高野山で修行し(現在高野山傳燈大阿闍梨)、スリランカへ留学、スリランカ僧として得度研修。飛騨で約25年前より「いのち、生と死」の学習会として「ビハ-ラ飛騨」を主宰。その活動から病院や在宅への専門的なボランティア活動として「ひだ医療福祉ボランティアの会」を結成、ベットサイドのボランテイア活動を続けている。
 今回は仏教とスピリチュアルケアをどうつないでいくのか、またグリーフワークについての講演があった。

■たましいのケア
  今更、言うまでもないがスピリチュアルケアとは、さまざまな要因で死を迎えなければならない人のスピリチュアルペインを和らげるためのケアのことだ。そして、スピリチュアルペインとは、「なぜ自分だけが苦しまなければならないのか」「自分の人生に何の意味があったのか」「死んだらどうなってしまうのか」こういった心の痛みのことあり、このような深い、強い心の痛みを和らげる、なくすための援助がスピリチュアルケアになる。
 大下さんが活動している飛騨高山地区ではスピリチュアルケアを、「たましいのケア」と訳している。実際には訳語として霊的、魂的、哲学的、いのちなどいろいろな表現があるが、日本語としての訳は確立していない。何かあった時に、定型化した解釈や訳ではなく、その時々でスピリチュアルを解釈していかないと、人によってはその時の思いの内容、深さが違う。だから日本語的に表記していくのが、これから必要となる。そしてスピリチュアルなものを具体的に癒していこうとするなら、それぞれの持っている信念や信仰が必要となる。
 もちろんスピリチュアルと宗教は同じもの、同じ意味ではない。その人の価値(宗教観)によって違うのである。ケアする側の信念や価値観の押し付けでなく、相手にどこまでも寄り添うということが重要になってくる。

■死者との対話
 グリーフを癒していくには、本来はその人がその人なりのグリーフプロセスを経ていき、自分で立ち上がっていくものである。お釈迦さまの言う、「自灯明、法灯明」である。つまりあなた自身が灯明であり、あなたの目の前に出てくる課題や苦しみは、すべてあなたの中に解決の糸口(灯明)が隠されている、ということを言われている。時間がかかるかも知れないが、立ち上がっていくものだ。
  しかし最近は病的悲嘆に陥る場合が出てきている。悲嘆感情とその恢復を促すためには、急性期、中期、回復期とあるが、死別者の10~15%が病的悲嘆に陥ると言われている。すべてが順調にグリーフプロセスを経ていくわけではない。日常生活に支障をきたす場合がある。
 グリーフを乗り越える課題として、一つは喪失の事実を受け入れることであるが、それはなかなか受け入れられないのが現状である。ある研究から、スピリチュアリティの角度から考えると、信念、信仰や哲学宗教観、死生観を持っている人のほうが受容しやすいという結果がある。
  また死者を情緒的に再配置することが必要だ。つまり死者と極楽浄土で会えるんだという気持ちを持つことが重要であり、要はあるかないかの問題ではなく、そう思えるかどうかが大事なのである。
 自分の感情や思いを素直に表出し、語り合える関係性が、こころの恢復を促すことがある。つまり出せる場が重要だ。外国人から見れば、日本には仏壇に手を合わすという素晴らしい文化がある。仏壇で亡くなった人と会話が出来る場があるのである。死者と対話をしているのである。
  こういう仏教が持ってきた伝統的儀式を活用すべきである。
  仏教の宗派によって、葬式後、初七日から四十九日までのあいだ仏さまに食事を供える習慣がある。このプロセスが大変重要である。大下さんは亡くなってから毎週七日ごとに訪問し、家族と一緒になってお経をあげて、今の気持ちを聞く場にしている。そうしているとだんだんと四十九日の間に遺族が話す内容がゆっくりと変化していく。気持ちを口に出して人に伝えることにより、再構築がうまくいく場合が多い。グリーフプロセスにとって、四十九日というのは、家族が故人と対話できる最期の期間で、文化としての葬送儀礼だけでなくて、スピリチュアルケアの側面からも意味があり、とても大切な習慣、そして期間である。遺族が一つ階段を上るのである。自分の心を見て、変化していく大切なプロセスである。

■日本人の儀礼性
  大下さんは最近、葬式に関して新たな試みをおこなっている。それが「家族参加型葬儀」だ。
  僧侶と葬儀屋だけで葬式を進めていくのではなく、家族にも積極的に葬儀に参加してもらう。つまり故人に対する別れの言葉を家族から語ってもらうのである。感謝などの言葉を棺と写真に向かって語りかけるのである。家族が故人と最後にしっかり向き合える場、対話する場をつくることにより悲しみを癒すグリーフワークが成立する。遺族は喪に服し悲しみに耐えるのではなく、どこかで悲しみの感情を表出しないと、心が癒されないのだ。

  今回、大下さんの話を聞いて、シンプルかつ身近にできることがたくさんあるのに気づいた。古来より日本人が行ってきた儀式、儀礼を取り戻すことにより、グリーフを癒すことができるのだと感じた。
  私自身、実家に行った折には必ず仏壇に向かって、阿弥陀様、ご先祖に最近起こったこと、今の不安なことを語りかける。そうすると心が開けてスッとする。見えない世界に祈りを捧げる。そういう祈りの時間、祈りの場を持つことの大切さを感じている。
  仏教で「諸行無常」というように、全ての事象はつねに動いていて、苦しみを抱えている人でも、いますぐ事態が変わることはなくても、永遠にその状況が続くのではないということを、大下さんの話を聞いて、よく理解できた。
 とにかく1時間という短い時間だったのが残念である。まだまだ聴きたいと思った。(浦嶋偉晃)


2011年8月16日火曜日

グリーフから希望を ~エンディングセミナーにて尾角光美さんの話を聞く。

去る7月16日、應典院で開催された「夏のエンディングセミナー2011」において「若者発:グリーフコミュニティのすすめ」という題で、尾角光美さんの講演を聞いた。
  尾角さんは、2003年3月、母親を自死で喪い、その体験と折り合いをつけながら、2004年から「あしなが活動」を通じて病気、自殺、戦争、テロ、津波などで親を亡くした国内外の遺児に物心両面のグリーフサポートを行っている。現在、任意団体[Live on」代表として、グリーフにまつわる講演や研修などに活躍し、直接当事者に寄り添いながら、そして若者の視点から、生きやすいコミュニティづくりに向けて積極的な提言を続けている。
  本来は私の感想を中心に書こうとしたが、尾角さんの話はとても繊細で奥深く、尾角さんの発したメッセージを中心に書きたいと思う。

  「グリーフって、希望の源なんです。」と尾角さんが言ったとき、正直驚いた。喪失とはただなくすことだけでなく、そこから生まれるもの、得られるものがあると言葉を続けた。以下は尾角さんの講演の内容である。

■物語ることの力

  大切なことは、「物語ることの力」である。自分の中で体験を繰り返し物語ることにより、そのことに意味を与えることができるときがある。
 今、いろいろな人と出会い、講演などさまざまな活動をしているが、元をたどっていくと母親の喪失が今のつながりを作っていると言える。それは普段意識することではなく、自分が人に何かを語っているときにふと気づくものである。まるで母親が今のつながりを届けてくれているような気がする。そしてそれは自分なりに母親の死に対する意味づけでもある。母親の死は、悲しみも怒りも辛さもあるが、自分を生かしてくれているものであり、また感謝するものであり、今のさまざまなつながりに感謝できることが、物語ることにより見えてきた母親の喪失の意味であった。
   人が誰かと物語ることにより、グリーフの形を変えていく。悲しみを相対化するのである。人は亡くした対象など、いろいろな体験によって痛みが違う。その中で人の体験を聴くことにより、自分の悲しみが一番不幸ではないと気づくことにより、力が湧くことがある。だからこそコミュニティでの物語ることの力は大きいと感じる。
  グリーフワークとは、絵を描く、語り合う、手紙を書くなどいろいろな形で自分を表現することで、自分のグリーフの形を変えていく、自分の中で折り合いをつけていく。
現在、「母の日プロジェクト」を主宰し、母親を亡くしたひとたちから、手紙、詩、手記などメッセージを募り、文集、書籍にしている。今年で4回目になるプロジェクトである。
  母の日は誰のものか?お母さんと子どものためであろうが、その「お母さん」は「生きている」のが前提になってはいないだろうか。もともと、母の日の起源は、アメリカでお母さんを亡くした子が行った追悼のあつまりにある。そして2008年が100周年に当たると知った。
  もうこの世には生きていない、亡くなってしまった母親にギフトを贈ることはできなくても、言葉に想いをのせて届けることはできる。母の日プロジェクトと銘打って、文集を通してそんな声を届ける郵便屋さんになりたい。今、改めて母親に伝えたいこと、感謝の気持ちはもちろん、後悔、さみしさ、怒り、それぞれの心の中にある、母親への素直な「ほんとう」の気持ちを伝えてもらえればと思う。
  「何歳になっても、子どもは子ども。お母さんの子どもには変わりない。」そう言った意味から年齢制限は設けないことにしている。
  現在、母の日の文集は人の輪を広げている。投稿者の中にも「文集の中に共感し合える仲間がいて、涙を流す日がずいぶんと減った」と言っている。尾角さんの活動は、もうすでに尾角さん一人のものではないと言えるのではないかと思う。
  尾角さんは、自死で母親を亡くしたのをきっかけに、経済的、精神的、社会的な問題を複数抱えた。その中で運良くサポート資源につながることができ、今まで生きることができ、喪失の体験を希望や生きるエネルギーへと昇華させてきた。

■お寺とグリーフコミュニティ
  しかし遺児の後輩や、活動を通じて出会ってきた当事者の声を聞くと、必要なサポートにつながっていなかったり、むしろ周囲の誤解、偏見や無理解によって傷つけられている話を耳にすることが多くある。そこで、確実に必要なサポート資源につながる仕組みをまず創りだすことを考え続けている。
  グリーフのサポートが整った地域や社会というのは、痛みや悲しみを受け止める成熟した状態である。つながりのあるコミュニティ、安心して悩める間柄をグリーフサポートをきっかけにつくっていくことで、まちづくりや、ひとづくりにもつながっていく。痛みや、悲しみにフタをしない社会、むしろ闇のうちに一筋の光を見出したり、注ぎ込める社会をつくりたいと思っている。
 その中でお寺は昔から地域の拠点で、命と向き合う空間であった。グリーフケアで寺の果たす役割は大きい。

  私も全く同感だ。お寺は生と死を見つめられる文化、価値観を育む場であると思う。東日本大震災以降、なおさらそう思う。僧侶といえども、自死遺族への対応には悩みが多いと思う。しかしお寺、僧侶には、このコミュニティを再構築する責任があるとも言えるのではないか。
  私はこの日までに尾角さんの経歴はある程度知っており、母の日プロジェクトなど活動も知っていたが、今回改めて、行なっている活動と、考えを聞いて、全体のつながりが良く理解できた。尾角さんに課せられた期待や課題は大きいものであるが、それに応える能力のある尾角さんを天が選んだのでないかとさえ思った。
  これからの尾角さんの活動が楽しみであり、また私もいつか一緒にできる何かを見つけたいと思った。(浦嶋偉晃)