2010年3月31日水曜日

いのちのエナジー 現代の寺子屋を求めて (1)修羅の時代を生きる

今、仏教がブームだという。記憶に新しいのは、東京と九州で開催された興福寺の阿修羅像の展示に、合わせて165万人を超える人々が足を運んだことである。そのほか、座禅や写経に参加するために、お寺を訪れる人々も増えているという。
 ただし、仏像好きの若い女性を「仏女(ぶつじょ)」と呼ぶなど、軽妙な言葉で報道やビジネスが進んでいることに対し、「信心を一過性の流行として取り扱うなんて」といった批判も聞こえてきそうだ。とはいえ、経済的な合理性が追求されるなかで、特に若者の生きづらさを仏教が支えているとすれば、仏教には現代でも不変の価値、現代にも普遍の意味があることが明らかにされたと言えるだろう。
 突然、社会と仏教の関係を語り出した私は、大阪・天王寺にある應典院で僧侶をしている。この應典院というお寺は、浄土宗大蓮寺の塔頭寺院として350年の歴史を持つが、大阪大空襲の被害を受けた後、1997年に現在の形へと再建された。見かけは鉄とガラスとコンクリートでできた現代建築であるものの、寺子屋、駆け込み寺、また勧進興行など、かつて寺院が地域における教育、福祉、芸術文化の拠点であったことに着目し、多彩な場を生み出すことに注力している。要するに温故知新で、お寺の原点回帰を目指している。
 文化人類学者の上田紀行先生の言葉を用いるなら、私は應典院による「仏教ルネッサンス」の中にいる。そんな私は、実はお寺の出ではなく、しかも出身は静岡県磐田市である。こんな私を應典院の主幹へと起用したのは、大蓮寺に生まれ、映画プロデューサーの経験を携えて應典院を再建した秋田光彦住職だ。そもそも主幹とは、お寺には聞きなじみのない役職なのだが、初代主幹を兼務した秋田住職は、「場の編集者」であり「拠点のプロデューサー」と定義する。
 2006年に2代目主幹に着任してから得度した、新米僧侶の私が教育面の当コラムを担うにあたって、奈良日日新聞の担当編集者さんとテーマの相談をしたところ、「いのちのエナジー」という看板が掲げられることになった。ここには、生きづらい時代をいかに生き抜くかの知恵を、仏教を手掛かりに見いだしたいという願いが込められている。同時に、副題にあるように、読者の方々にとっても書き手の私にとっても、この場が学びの場になれば、とも思っている。
 それこそ、阿修羅像の名にも埋め込まれている「修羅場」が満ちた時代への向き合い方とつきあい方を紐(ひも)解く手掛かりとなれば幸甚である。(山口洋典)

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