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2009年8月23日日曜日

「‘みとりびと’は語る」アットホームホスピス代表 吉田利康さんのご講演をお聞きしました。

  8月1日、夏のエンディングセミナー「’みとりびと’は語る」の第3回目のゲスト、アットホームホスピス代表の吉田利康さんの講演を聞きしました。吉田さんは、10年前に奥様を自宅で看取られた体験者です。
  お話は、奥様の「病名告知」から「おわかれ」まで、時間にそって、吉田さんの心の揺れ動きを率直に語ってくださいました。

  1999年、奥様が急性骨髄性白血病と診断された頃、まだ介護保険はなく、また、今と違ってインターネットも普及途上にあって、容易に往診医も探せない時代でした。吉田さんもかかりつけ医に在宅療養支援を相談されましたが、がん末期と知ると往診を断られたそうです。
  吉田さん夫婦は、結婚した際に、どちらかがんになっても隠さないという約束をされていました。奥様は当時病院勤務の看護師をしておられ、ある程度の死の準備教育は積んでおられましたが、実際の「告知」を受けたショックは予想を超えた衝撃でした。頭の中は真っ白、膝はガクガクと震え、「告知」というのは医療者やマスコミが言うほど、簡単なものではないと実感したそうです。
 奥様は、ご自分の病気の事を必要最小限の人だけ知らせてほしい、それ以外の人には伝えないでほしい、他人から口伝えで病名が伝わる、それだけで怖いと仰ったようです。
 病院に見舞い、家に帰って家事をつとめる吉田さんの生活が始まります。奥様のいない家では、汚れたタオルを洗濯しているだけで泣けて仕方なかったといいます。そして、余命告知が本人に告げられました。そのショックも壮絶でしたが、それ以上にすごいのは、そこから自力で立ち上がってくる人間の強さでした。告知から一ヶ月が過ぎるころ、奥様は徐々にいつもらしさを取り戻し、それに安心したのか、逆に吉田さんは精神状態が悪くなっていく。ついに奥様の前で「おれはもうどうしていいかわからない」とべそをかく。それを支えたのは、なんと死と向き合っている奥様だったのです。吉田さんの目からうろこが落ちます。そして、妻を背負って歩こうとしていた傲慢さに気づき、妻がして欲しいことをすればそれでよいのだと思った時、気持ちが楽になったと話されました。
 すると奥様が「私、家に帰ってもいいかな?」「もう他人に身体を触られるのはこりごりや」と遠慮がちに言われ、介護保険のない時代に在宅ケア、男の介護が始まりました。家には不思議な力がありました。今まで連携の悪かった父子でしたが、母親が帰ってくると見違えるように子どもたちのふるまいが変わりました。病院で眠れなかった奥様が、熟睡できるようになりました。なによりも家に帰った奥様は患者ではなく、妻に、又、母親に戻られた。
  在宅での生活は17日間でした。がんの末期は短距離競争です。枕元には氷枕と体温計と血圧計の三つだけでした。そして本人の意思により最期までモルヒネも使わず、お別れは家族だけでした。
奥様の看取りから10年たって思うことは、家での看取りは自分自身を変えた、ということ。奥様のためと思っていたことは、じつは自分自身の生き方の転機となったと吉田さんは言います。
  吉田さんが今、在宅介護や看取りの講演・執筆活動をされているのは、「もし病気がよくなるんだったら、同じ病気の人の話し相手になりたい」という言葉が契機となっています。その思いを代わりに引き受けるのが、自分のささやかな供養だと思っていると仰っておられました。
  家で看取ると言っても、家族としてどうすれば看取れるのか分からないのが正直なところではないでしょうか。その結果、在宅医や訪問看護師に過度な委託をし、家族の役割も果たせないまま終わってしまいます。時には旅立ちの二日前ほどの時期になって、再入院をさせるなどが起こります。「妻(患者)がして欲しいことをすればそれでよい」とのことばは、看取りへの大きな示唆と受け止めましたし、それが介護をするものの基本姿勢ではないかと感じました。
 いま、死は社会から封印されています。8割の人が病院で亡くなり、葬儀も6割が式場で執り行われる。死は生活から遠ざけられ、姿が見えないまま、福祉や介護といった制度論だけが先行しているように思います。在宅ホスピスの心とは、「死」を生活の場に取り戻し、それを見据えながら、今、生きることの意味を考えることなのです。
 医療や介護、福祉の充実もたいせつですが、家に備わっている「日常」に潜む力を引き出すことが何よりも必要であり、それが結局、「ケア」の本質に触れることではないでしょうか。
 吉田さんの絵本「いびらのすむ家」の「いびら」とは、「家に住む人たちを見守る神」のこと。人には見えない「いびら」の存在が私たちの「暮らし」を守っているのです。(浦嶋偉晃)

2009年8月12日水曜日

「‘みとりびと’は語る」いまい内科クリニック院長 今井信行さんのご講演をお聞きしました。

 7月25日、エンディングセミナー第2回目のゲスト、いまい内科クリニック院長 今井信行さんの講演をお聞きしました。聴講の内容を以下に報告します。
 今井さんは冒頭、一つのケアの連続性の中に看取りがあり、在宅ホスピスが看取り自体を目的としているわけではないと言います。その上で、今井さんは看取りに関心があり、文章に必ず句読点があるように、一人の方の人生に関われて、ピリオドを打つお手伝いが出来ること、そして少しでも喜んで頂けるなら、これに勝るものはないと仰いました。
 今井さんにはかつて病院の勤務医経験があります。病院は治療という目的を最優先する管理された空間ですが、その反面自宅というのは、人が生涯をかけてコツコツと作り上げてきた、かけがえのない、最も心地よい空間だといいます。だから、自ずから勤務医と在宅医はそれぞれの舞台が違うとも仰っておられました。


 最期と対峙しながら、在宅では患者さんと家族のさまざまなかかわりがあります。講演では今井さんが在宅で関わってきた症例について、いくつかお話を頂きました。
 60歳代の末期患者さんがいよいよ状態が悪化してきた時、その方の枕元に家族や知人が集まって、銘々に大きな声で声をかけ、一生懸命に励まされたそうです。だんだん呼吸が小さくなる一方で、周囲の励ましに応えるように生きながらえる患者さんを見て、生と死の境界上に生まれる家族どうしの濃密な関係を目の当たりにされたといいます。
 在宅医療とは、いのちが際立つ臨床です。病院や施設にはない尊い存在感であり、生と死のリアリティであり、そこに今井さんは人間として深い共感を感じるといいます。
 今井さんは、在宅ホスピスの主人公はあくまで「家族」であると言います。家族の方がいかに安心してわが家で療養をしてもらえるか、たとえれば家族でなければ演じることのできない「家族劇場」をいかに舞台裏から支えるかが、自分たち在宅医の役目であり、これからも黒子に徹したいと仰っておられました。別の言い方をすれば、在宅ホスピスとは、家族が家族であることの幸せを再確認する場なのです。
 今井さんは昨年から「有隣荘」という、在宅療養支援ハウスを新たに開設されました。これは、病院・施設と自宅との間にある、いわばまちの縁側のような新たな場です。少子化が進み、ひとり暮らしが増える地域において、互いを支え合う拠点として、育てていきたいと言います。管理中心の施設ではなく、中間的な拠り所になるようにしたいと仰られました。

 今回、今井さんのお話しをお聞きして、在宅ホスピスは患者さんとご家族がいのちに向き合う場。そしてあくまでも家族が中心だと分かりました。また自宅で残された日々を輝いて生きたいという患者さんの願いを、いかにしてサポートするかを含め、在宅ホスピスの今後の可能性について、じっくりと考えさせられた一日でした。
(浦嶋偉晃)


2009年8月5日水曜日

「‘みとりびと’は語る」公益社 執行役員 廣江さんのご講演をお聞きしました。

 このたびの夏のエンディングセミナーも無事3回の実施を終えました。このコーナーでは、各回の内容など報告していきます。

 7月18日、1回目のゲストは葬儀社最大手の公益社執行役員の廣江輝夫さんの講演をお聞きしました。会場は定員を超える方々がご来場いただき、エンディング関する関心の大きさがうかがえました。
 葬儀社は死後の送別のセレモニーを業務とされているはずですが、廣江さんのお話は、死後の遺族の悲嘆をいかに癒すか、いかに支えるかといったグリーフケアやエンディングサポートが中心となりました。遺族会「ひだまりの会」の活動やエンディングワークとしての「生前葬」など、葬儀社としての新しい取り組みに新鮮な驚きを感じました。

 少子高齢化社会、葬儀に対する意識も大きく変化しており、中でも「家族葬」に対する関心はきわめて増大しているといいます。「家族葬」の特徴は「故人をよく知る人だけが集まるので、多くの会葬者への対応が必要なく、故人とゆっくりお別れが出来る」、また「世間の目を気にせず、故人や遺族の考えを反映した個性的な葬儀が出来る」など、家族の絆を深めていく葬儀といえます。
 本来葬儀とは遺族と故人とのコミュニケーションの場であるはず。さらにエンバーミング(遺体衛生保全)で時間にとらわれず、納得のいくお別れができるようになったといいます。病院や施設では死後、十分なお世話やコミュニケーションができにくいという反省点から、「コミュニケーションの場としての葬儀」のあり方が再構築されているといえます。
 また「エンディングワークの考え方」という新しいキーワードも示されました。つまり自分の残された人生を考え、生前に人生の棚卸しをしようという事です。モノについての遺言だけではなくて、「ココロの遺言」(財産だけでなく、家族の絆を結び付ける)を考える時代になってきたと言えます。
 さらにエンディングワークの一つとして、社会的に死を告知する、つまり葬儀の前に告別式を行う「生前葬」を取り上げ、生きている間に友人に挨拶し、人生のけじめをつけるという方もいらっしゃるといいます。その背景には、子どもに迷惑をかけたくない、元気なうちにお世話になった方々とお礼を伝えたいという気持ちがあるようです。
 また、遺族会「ひだまりの会」のは、公益社で葬儀をあげられたご遺族を対象としており、その精神的自立を支える相談・援助活動を大きな目的としています。会員となっている方々のアンケート回答の紹介がありました。ひだまりの会参加動機は、「同じような体験をした人の話を聞きたかったから」が一番で約6割を占めています。また現在、参加している理由としては、「講演会を聞きたかったから」で、とくに「死生観・人生論に関する講演を希望する」人が多いといいます。また「同じような体験をした方の助けになりたいから」という理由も多くを占めました。
ひだまりの会は個別の遺族ケアが目的ではありません。むしろ遺族サポートのための人材育成と組織づくりがねらいであり、遺族の方が「依存」ではなく「自立」してもらうことが目的です。そのための同じ死別体験者どうしの自助グループ的な性格といえます。

 今回、廣江さんのお話をお聞きして、本来「死後」を扱っておられる葬儀社が、実は「生前」をも扱っておられる、まさに「みとりびと」的な存在であると思いました。機会を改めて、次はぜひひだまりの会の見学などをさせていただき、ご報告させていただきます。(浦嶋偉晃)