「新潮社の広報紙「波」に掲載された一文です。転載します」
昨年は、お寺バッシングの風が吹き荒れた。1月、『葬式は、要らない』がベストセラーとなって、これに週刊各誌が追随、A誌では「『お寺』はもういらない」を特集した。また5月に、葬祭業に進出した最大手スーパーが「お布施の目安」をネット上に公開、最近ではコンビニ全国チェーンが、葬儀の受注を検討中だ。
仏教界の危機感にも火がついた。全日本仏教会の「お布施」シンポジウムをはじめ、各宗派・教団で俄に葬式仏教総点検が始まった。葬式を巡る議論が活発化するのは結構だが、「そもそも仏教では……」と説明を尽くしても、市民には建前にしか聞こえない。このままでは、人口が減る、檀家が減る、布施収入は減って、寺は滅びる? 日本に7万8千ある寺院のいくつが生き残るのか。ある識者は「50年後、6千まで減る」と断言する(慶応義塾大学・中島隆信教授)。
1997年に、大阪の都心に新しい寺・應典院を建てた。本堂は小劇場、セミナールームやギャラリーも付設している、異貌の寺である。檀家がいないので、最初から「葬式をしない」と宣言をした。その代わり、こころの文化拠点として、若い芸術家やNPOと協働して数々の場を作り上げてきた。催しの数は大小合わせて年間百件以上。寺は夜十時までにぎわい、訪れる若者は年3万人を超える。
もちろん、私は葬式無用論に与するつもりはない。規模や形態は変わっても、葬式は日本仏教の王道であることに違いはない。ただ寺院経済と不可分となった現在の葬式は、もはや制度疲労を来たしているといっていいだろう。地域共同体や先祖供養が衰え、無縁社会といわれる今、寺院再生のためには、新たな模索が必要なのだ。
「葬式をしない寺」應典院が取り組んだものは、「寺=葬式」という凝り固まった枠組みを外して、創造資源としての寺の可能性を徹底的に掘り起こすことであった。演劇、美術展、講演会、ワークショップ……寺に、誰も考えたことのない、多種多様な場と関係性を呼び込んだ。担い手は、仕事もお金もない若者たち。ゼロから何かを創造していくプロセスで、彼らは学校や社会では教わらない、たいせつなものに出会う。フリーター、ニート、就職難民と、時代からはじかれた若者が、寺で「生き直し」を図るのだ。
「こんな寺、ありなのか」と、周囲ではいぶかる声もある。逆に私は、そもそも寺とは何をする場所なのか、と問い返す。「葬式しかしない寺」からは、仏教の何事かが立ち現れる機会は決定的に乏しい。制度と慣習に安住していては、創意も挑戦も生まれることはない。
寺は生きている。社会と向き合い、人々と対話を繰り返し、世俗と格闘しながら、寺は寺になっていくのである。
應典院は呼吸する寺なのだ。(秋田光彦)
2011年3月7日月曜日
2011年2月4日金曜日
年越いのちの村。悲しみに寄り添う。
應典院で、「グリーフタイム」を定期的に催している尾角光美さんは、大学入学目前の19歳の冬、同居していたお母さんを自死で喪いました。事業に失敗した父親はその直前に出奔、一気に両親を失くした尾角さんは失意と苦悩が襲いました。
私が出会った頃の尾角さんは、同じ境遇の自死遺児たちと東京や京都でネットワークを作り上げていました。次第に社会起業に目覚め、遺族支援の市民団体リブ・オン(生き続けるの意)を創設、去年あたりからの活躍は目覚ましく、僧侶や葬儀社に向けた研修会や中高生向けのいのちの授業の講師などを務めています。
その尾角さんから「大晦日らから元旦に、お寺で年越村ができないか」と相談を受けました。人間関係に苦しみ、帰る場所もなく、孤独感を抱いた人たちが身を寄せて「生き続けるための場所」。見知らぬ者どうしでも、正月のある暮らしをみんなで分かち合えれば。それには、お寺こそふさわしい。自死問題をずっと考えてきた尾角さんらしい企画でした。
昨年12月31日の大晦日、若い世代を中心に25名の人々が集まりました。会場となった應典院の部屋には、「年越いのちの村」の書が貼り出されました。多くはボランティアでしたが、中には「何度も死のうと思った」という男女の顔をありました。自殺未遂を繰り返した中年男性、発達障害を抱え、いじめに遭った女性、30代の引きこもりの男性…思いつめた表情の彼らも、最初は見知らぬ人の輪に溶け込むことに苦労しているようでした。
固かった関係が絆に近づいたのは、意外なことに、正月の習わしでした。ボランティアがつくった年越しそばを食べる、みんなで大蓮寺の除夜の鐘を撞く、お雑煮や書き初めや、そういう年中行事を共有するに伴い、参加者の口からゆっくりと境遇が語られ始めました。
「人間はひとり取り残されて、生きづらさを感じてしまうことがあります。病苦や経済問題より深刻なのは、苦しい時に支えとなる人とのつながりのないこと」(尾角さん)
社会保障が充実すれば、心の痛みや生きづらさが克服できるわけではありません。どんな手の込んだサービスより、たいせつなものは、生きることを支えるつながりの感覚、あなたに寄り添う他者の存在ではないでしょうか。
初めて会った者どうし、言葉(理)だけで共通理解は進まない。それをシンクロさせたのは、当たり前の年中行事を一緒に務めながら伝わった悲しみの体温ではなかったかと思います。大勢いたボランティアの中にも、悲苦を抱えた人がいました。彼らは悲しみの解決者ではなく、悲苦に寄り添う「同苦同悲」の存在だったのでしょう。
もうひとつ気づいたことがあります。
この集いに準備段階から、尾角さんのサポーターのように協力する、若い僧侶の姿がありました。大切な人を喪ったグリーフをどう支えるのか、僧侶である自分に何ができるのか---ひとりの市民が磁力となって、同じ思いを抱える若い僧侶たちが集まってきていたのです。
自死者の遺族に不用意な言葉を吐いて、顰蹙を買う僧侶がいるといいます。ただ語ればいいというような安易な布教根性では通じない、ここは文字通り「同事」(四摂事のひとつで、他者と苦楽を共にすること)の集いではなかったかと思います。
つながりとは、誰かが誰かに与えるものではない。人と人が思いやり、支えあう関係性の中から自ずと生起してくるものなのです。それは「慈悲」の真の姿に近い、と思います。
1月1日正午、閉村式を行いました。参加した女性の言葉--- 。 「皆が支えてくれて、私のいのちは、私だけのものじゃない、と感じました」
(秋田光彦)

<参加者と大蓮寺本堂で新年の回向をつとめる>
私が出会った頃の尾角さんは、同じ境遇の自死遺児たちと東京や京都でネットワークを作り上げていました。次第に社会起業に目覚め、遺族支援の市民団体リブ・オン(生き続けるの意)を創設、去年あたりからの活躍は目覚ましく、僧侶や葬儀社に向けた研修会や中高生向けのいのちの授業の講師などを務めています。
その尾角さんから「大晦日らから元旦に、お寺で年越村ができないか」と相談を受けました。人間関係に苦しみ、帰る場所もなく、孤独感を抱いた人たちが身を寄せて「生き続けるための場所」。見知らぬ者どうしでも、正月のある暮らしをみんなで分かち合えれば。それには、お寺こそふさわしい。自死問題をずっと考えてきた尾角さんらしい企画でした。
昨年12月31日の大晦日、若い世代を中心に25名の人々が集まりました。会場となった應典院の部屋には、「年越いのちの村」の書が貼り出されました。多くはボランティアでしたが、中には「何度も死のうと思った」という男女の顔をありました。自殺未遂を繰り返した中年男性、発達障害を抱え、いじめに遭った女性、30代の引きこもりの男性…思いつめた表情の彼らも、最初は見知らぬ人の輪に溶け込むことに苦労しているようでした。
固かった関係が絆に近づいたのは、意外なことに、正月の習わしでした。ボランティアがつくった年越しそばを食べる、みんなで大蓮寺の除夜の鐘を撞く、お雑煮や書き初めや、そういう年中行事を共有するに伴い、参加者の口からゆっくりと境遇が語られ始めました。
「人間はひとり取り残されて、生きづらさを感じてしまうことがあります。病苦や経済問題より深刻なのは、苦しい時に支えとなる人とのつながりのないこと」(尾角さん)
社会保障が充実すれば、心の痛みや生きづらさが克服できるわけではありません。どんな手の込んだサービスより、たいせつなものは、生きることを支えるつながりの感覚、あなたに寄り添う他者の存在ではないでしょうか。
初めて会った者どうし、言葉(理)だけで共通理解は進まない。それをシンクロさせたのは、当たり前の年中行事を一緒に務めながら伝わった悲しみの体温ではなかったかと思います。大勢いたボランティアの中にも、悲苦を抱えた人がいました。彼らは悲しみの解決者ではなく、悲苦に寄り添う「同苦同悲」の存在だったのでしょう。
もうひとつ気づいたことがあります。
この集いに準備段階から、尾角さんのサポーターのように協力する、若い僧侶の姿がありました。大切な人を喪ったグリーフをどう支えるのか、僧侶である自分に何ができるのか---ひとりの市民が磁力となって、同じ思いを抱える若い僧侶たちが集まってきていたのです。
自死者の遺族に不用意な言葉を吐いて、顰蹙を買う僧侶がいるといいます。ただ語ればいいというような安易な布教根性では通じない、ここは文字通り「同事」(四摂事のひとつで、他者と苦楽を共にすること)の集いではなかったかと思います。
つながりとは、誰かが誰かに与えるものではない。人と人が思いやり、支えあう関係性の中から自ずと生起してくるものなのです。それは「慈悲」の真の姿に近い、と思います。
1月1日正午、閉村式を行いました。参加した女性の言葉--- 。 「皆が支えてくれて、私のいのちは、私だけのものじゃない、と感じました」
(秋田光彦)

<参加者と大蓮寺本堂で新年の回向をつとめる>
2010年12月30日木曜日
年末回想。若者たちの未来の死生観に希望を託して。
2010年、今年は、いのちのありようについて重く考えさせられた一年でした。
身近には葬式仏教への逆風、社会面では、幼児や高齢者への虐待が相次ぎました。また、脳死・臓器移植の改正法や市民参加の裁判員裁判で死刑判決が初めて下されました。十分な検討も熟慮も伴わず、私には、ただ状況ばかりが前のめりに加速している印象があります。
人間は、葬式の形態や規模は別にして、死者を供養しないではいられない存在です。
年が明けるとまた「1.17」が巡ってきますが、いまなお、あれだけの人々が現地で、また日本中の人々も死者たちを鎮魂するのは何故でしょう。人間だけでありません。宮崎県を襲った口蹄疫の時も、殺処分される牛馬のために、畜産農家の人たちがこぞってユリの花を供えたと聞きます。
私は、生前個人墓「自然」を通してこれまで、結縁を希望する、200人以上の高齢者と面談してきました。多くはとりたてて宗教には関係を持たずに来た人たちでしたが、分かったことがあります。日本人は、それが家であるなしにかかわらず、「供養」という文脈を使いながら、自らの死生観を形成していくのだと。今までは家制度によって暗黙に「保証」されてきた供養が、環境の変化によって急に、個人の問題として突き付けられ、人は自分の「死後の供養」を考えて、準備に急ぎ始めたのです。「自然」という墓を契機として、いきいきと死生観を語り始める人たち。葬式や墓は、今まで眠っていた死生観を想起させる装置といっていいのかもしれません。
しかし、現実には、葬式仏教への不信は根強く、そして、消費者として君臨する人々との溝はあまりに大きい。消費者には、葬式仏教の教えはすべて建前であって、要求すべきはサービスとコストなのです。日本人は、この間、死生観を予行する大切な体験を根こそぎ喪ってしまうのではないか、という危惧も覚えます。
話はかわりますが、今月初め、ある若者の葬儀の参列しました。
彼女は息子の友人で、自宅で急に倒れ、9日間病床に伏せって、25年の生涯を閉じました。ご家族は「家族葬で」と計画したらしいですが、若い友人たちの要望で一般葬に変更となったと聞きました。
お通夜の式場は、高校、大学、職場とずっと吹奏楽を嗜んできた彼女の仲間たちで、埋め尽くされました。20代の若者たちは、ひょっとして初めて遺影に向かって手を合わせたのかもしれません。あまりに早すぎる親友の死を、まだ受け入れがたいのでしょうか、取り乱した様子もなく、式は淡々と進行していきました。
読経が終わって、若い僧侶がふりかえって語り始めました。
「私も26歳です」
けっして上手な説教というものではなかったけど、式場には若者どうしの一体感のようなものがこみ上げてきました。
「同じ世代として、もっと生きたかったろうに、やりたいこともたくさんあったろうに。そう思うと残念でなりません」
会葬者の席でずっと時間を共有しながら、私はふと不思議な感覚に襲われました。この若者たちの死者に対する謙虚で、誠実な態度は何だろう。メディアでは若い人の暴力沙汰がしばしば報道されるというのに、一転してこの身近な死に対する敬虔な姿に接し、私は、何か大きな落差を感じてしまったのです。
「いまどきの若者にふさわしくない…」と言いたいのではありません。逆に、情報とサービス漬けとなって、消費者として完成されてしまった人々には窺えない、生と死の美しい対話劇を見るような感覚でした。身近な人の死を、三人称(他人)の「死」として扱わず、自らのいのちの一脈として感応しあう。いや、あまりに急な死であったからかも、また彼らには慣れない体験であったからかもしれません。しかし、それ以上に、私は「死」に対する「若さ」の持つ清らかさと愛おしさを見てしまったような気がしてならないのです。
この国には、もはや紛争も飢餓もありません。死にゆく人は、みな病院の個室に運ばれ、多くの日本人が考えている「死」は、実体験を伴わない「死」です。それとまともに向き合わず、「千の風になって」を歌って、見せかけのイメージに溺れているのではありませんか。
だからこそ、私は若者たちの未来の死生観に、一縷の望みを託したい。
今年10月には、川中大輔さん(30歳)のグループが、應典院で「生と死を考える共育ワークショップ」を1泊2日で開催、「看取り」をわかちあいました。また、大晦日から元旦にかけては、尾角光美さん(28歳)のグループと、「年越し・いのちの村」を開催します。こちらは、年末年始、帰る場所もなく、孤立に陥る人たちと温かい正月をお寺で過ごそうという企画です。
若者たちに、決まり切った先祖供養は似合わない。あるのは、他者の「死」に自分の「生」を重ねることです。他者の死とは、ここでは、生きる痛み、悲しみといってもいい。私には、こうして若者たちの試みに寺として加担することが、「消費されていく仏教」を遠回りかもしれないが、徐々に本来の軌道に回復させる、唯一の道のように思えてならないのです。
どうぞよき新年をお迎えください。南無阿弥陀仏。(秋田光彦)
身近には葬式仏教への逆風、社会面では、幼児や高齢者への虐待が相次ぎました。また、脳死・臓器移植の改正法や市民参加の裁判員裁判で死刑判決が初めて下されました。十分な検討も熟慮も伴わず、私には、ただ状況ばかりが前のめりに加速している印象があります。
人間は、葬式の形態や規模は別にして、死者を供養しないではいられない存在です。
年が明けるとまた「1.17」が巡ってきますが、いまなお、あれだけの人々が現地で、また日本中の人々も死者たちを鎮魂するのは何故でしょう。人間だけでありません。宮崎県を襲った口蹄疫の時も、殺処分される牛馬のために、畜産農家の人たちがこぞってユリの花を供えたと聞きます。
私は、生前個人墓「自然」を通してこれまで、結縁を希望する、200人以上の高齢者と面談してきました。多くはとりたてて宗教には関係を持たずに来た人たちでしたが、分かったことがあります。日本人は、それが家であるなしにかかわらず、「供養」という文脈を使いながら、自らの死生観を形成していくのだと。今までは家制度によって暗黙に「保証」されてきた供養が、環境の変化によって急に、個人の問題として突き付けられ、人は自分の「死後の供養」を考えて、準備に急ぎ始めたのです。「自然」という墓を契機として、いきいきと死生観を語り始める人たち。葬式や墓は、今まで眠っていた死生観を想起させる装置といっていいのかもしれません。
しかし、現実には、葬式仏教への不信は根強く、そして、消費者として君臨する人々との溝はあまりに大きい。消費者には、葬式仏教の教えはすべて建前であって、要求すべきはサービスとコストなのです。日本人は、この間、死生観を予行する大切な体験を根こそぎ喪ってしまうのではないか、という危惧も覚えます。
話はかわりますが、今月初め、ある若者の葬儀の参列しました。
彼女は息子の友人で、自宅で急に倒れ、9日間病床に伏せって、25年の生涯を閉じました。ご家族は「家族葬で」と計画したらしいですが、若い友人たちの要望で一般葬に変更となったと聞きました。
お通夜の式場は、高校、大学、職場とずっと吹奏楽を嗜んできた彼女の仲間たちで、埋め尽くされました。20代の若者たちは、ひょっとして初めて遺影に向かって手を合わせたのかもしれません。あまりに早すぎる親友の死を、まだ受け入れがたいのでしょうか、取り乱した様子もなく、式は淡々と進行していきました。
読経が終わって、若い僧侶がふりかえって語り始めました。
「私も26歳です」
けっして上手な説教というものではなかったけど、式場には若者どうしの一体感のようなものがこみ上げてきました。
「同じ世代として、もっと生きたかったろうに、やりたいこともたくさんあったろうに。そう思うと残念でなりません」
会葬者の席でずっと時間を共有しながら、私はふと不思議な感覚に襲われました。この若者たちの死者に対する謙虚で、誠実な態度は何だろう。メディアでは若い人の暴力沙汰がしばしば報道されるというのに、一転してこの身近な死に対する敬虔な姿に接し、私は、何か大きな落差を感じてしまったのです。
「いまどきの若者にふさわしくない…」と言いたいのではありません。逆に、情報とサービス漬けとなって、消費者として完成されてしまった人々には窺えない、生と死の美しい対話劇を見るような感覚でした。身近な人の死を、三人称(他人)の「死」として扱わず、自らのいのちの一脈として感応しあう。いや、あまりに急な死であったからかも、また彼らには慣れない体験であったからかもしれません。しかし、それ以上に、私は「死」に対する「若さ」の持つ清らかさと愛おしさを見てしまったような気がしてならないのです。
この国には、もはや紛争も飢餓もありません。死にゆく人は、みな病院の個室に運ばれ、多くの日本人が考えている「死」は、実体験を伴わない「死」です。それとまともに向き合わず、「千の風になって」を歌って、見せかけのイメージに溺れているのではありませんか。
だからこそ、私は若者たちの未来の死生観に、一縷の望みを託したい。
今年10月には、川中大輔さん(30歳)のグループが、應典院で「生と死を考える共育ワークショップ」を1泊2日で開催、「看取り」をわかちあいました。また、大晦日から元旦にかけては、尾角光美さん(28歳)のグループと、「年越し・いのちの村」を開催します。こちらは、年末年始、帰る場所もなく、孤立に陥る人たちと温かい正月をお寺で過ごそうという企画です。
若者たちに、決まり切った先祖供養は似合わない。あるのは、他者の「死」に自分の「生」を重ねることです。他者の死とは、ここでは、生きる痛み、悲しみといってもいい。私には、こうして若者たちの試みに寺として加担することが、「消費されていく仏教」を遠回りかもしれないが、徐々に本来の軌道に回復させる、唯一の道のように思えてならないのです。
どうぞよき新年をお迎えください。南無阿弥陀仏。(秋田光彦)
2010年12月19日日曜日
無縁から生まれた、結縁の場所
今年の流行語大賞に「無縁社会」がランクインしました。NHKが年初に放送した番組がきっかけだが、年末にはすっかり時世を映す言葉として定着した感があります。また、それを裏打ちするような事件が、今年は相次ぎました。酷暑につづいた真夏には、児童虐待の惨い事件が連続して発生し、死んだ老親をタンスに隠した事件もありました。親名義の年金欲しさにだ。無縁というより、もはや絶縁社会といったほうが的確かもしれません。
私が「無縁」という言葉に初めてふれたのは、学生時代に網野善彦さんの名著「無縁・苦界・楽座」を読んだ時です。日本の中世には無縁所という寺社を中心とした独特の共同体があって、そこには世俗を逸脱した人びと、職人や芸能者、宗教者が集住していた、といいます。鮮烈な印象が残りましたが、無縁に対する解釈は、むしろ束縛されない自由区というイメージに近いものがありました。
現代の無縁社会は、イコール悪であり絶望を意味します。それを救済するには行政サービスや社会保障に頼むしかなく、しばしば政治の無策や不正が指弾されます。それは一面その通りなのですが、それだけが救済なら、われわれは結局権力の支配にすがる他はありません。むしろ無縁だからこそ、そこから生まれる新しいつながりやネットワークに知恵を働かせるべきではないか。家族にせよ地域にせよ、従来の共同体からこぼれおちた人びとを「結縁」するために、宗教者にやれることはないのでしょうか。
今年は、釜ヶ崎で活動する宗教者たちと出会いがありました。寺もない、檀家もない、釜ヶ崎という独特のエリアで葬送の支援をしようという志に生きる僧侶もいました。対象の多くは日雇いの労務者であったり、野宿者です。ここでは、布教教化というような振る舞いが傲慢に見えるほど、宗教者と対象者の関係は限りなく近い。確かに無縁ではあるが、絶望ではない。あるのは、何とかしようという宗教者の意志と、それに協働する、さまざまな市民のはたらきです。利他の共同体ともいうべき「志縁のネットワーク」が、無縁社会の片隅から生まれつつあります。
と同時に、そこから窺える、これまでとは異なる仏教者像に、私は気づかされます。布教者としての勇ましい使命感や責任感は棚上げして、ただ対象に寄り添う、という共感共苦に生きる態度です。あれこれ建前に惑わない。自分の感覚に正直に行動する。徹底的に自意識を退けた、その無為な立ち方やふるまいに、小さな希望を垣間見るのは私だけでしょうか。無縁とは、ひょっとして布教エゴに凝り固まった僧侶たちを、一度結縁の淵へと押し戻す、如来の導きではないか、とふと感じました。
そして、間もなく大晦日。大蓮寺と應典院では翌元旦にかけて寺域を開放、生きることに疲れ、居場所を失った人びとが集う、「年越しいのちの村」(共催Live on)を開催する準備に忙しい。これもまた無縁から生まれた、もうひとつの場所なのです。(秋田光彦)
私が「無縁」という言葉に初めてふれたのは、学生時代に網野善彦さんの名著「無縁・苦界・楽座」を読んだ時です。日本の中世には無縁所という寺社を中心とした独特の共同体があって、そこには世俗を逸脱した人びと、職人や芸能者、宗教者が集住していた、といいます。鮮烈な印象が残りましたが、無縁に対する解釈は、むしろ束縛されない自由区というイメージに近いものがありました。
現代の無縁社会は、イコール悪であり絶望を意味します。それを救済するには行政サービスや社会保障に頼むしかなく、しばしば政治の無策や不正が指弾されます。それは一面その通りなのですが、それだけが救済なら、われわれは結局権力の支配にすがる他はありません。むしろ無縁だからこそ、そこから生まれる新しいつながりやネットワークに知恵を働かせるべきではないか。家族にせよ地域にせよ、従来の共同体からこぼれおちた人びとを「結縁」するために、宗教者にやれることはないのでしょうか。
今年は、釜ヶ崎で活動する宗教者たちと出会いがありました。寺もない、檀家もない、釜ヶ崎という独特のエリアで葬送の支援をしようという志に生きる僧侶もいました。対象の多くは日雇いの労務者であったり、野宿者です。ここでは、布教教化というような振る舞いが傲慢に見えるほど、宗教者と対象者の関係は限りなく近い。確かに無縁ではあるが、絶望ではない。あるのは、何とかしようという宗教者の意志と、それに協働する、さまざまな市民のはたらきです。利他の共同体ともいうべき「志縁のネットワーク」が、無縁社会の片隅から生まれつつあります。
と同時に、そこから窺える、これまでとは異なる仏教者像に、私は気づかされます。布教者としての勇ましい使命感や責任感は棚上げして、ただ対象に寄り添う、という共感共苦に生きる態度です。あれこれ建前に惑わない。自分の感覚に正直に行動する。徹底的に自意識を退けた、その無為な立ち方やふるまいに、小さな希望を垣間見るのは私だけでしょうか。無縁とは、ひょっとして布教エゴに凝り固まった僧侶たちを、一度結縁の淵へと押し戻す、如来の導きではないか、とふと感じました。
そして、間もなく大晦日。大蓮寺と應典院では翌元旦にかけて寺域を開放、生きることに疲れ、居場所を失った人びとが集う、「年越しいのちの村」(共催Live on)を開催する準備に忙しい。これもまた無縁から生まれた、もうひとつの場所なのです。(秋田光彦)
2010年12月5日日曜日
「同治」によるコミュニティの力
(前回12月2日ブログから引き続きお読みください)
應典院寺町倶楽部の名物企画で、2000年からほぼ毎月開催してきた「いのちと出会う会」が、11月に通算100回目を迎えました。私も世話人に名を連ねていますが、この功績は代表世話人として、この会とともに励んでこられた石黒良彦さんの尽力によるものです。
さて、会の報告は別に譲るとして、「スピリチュアルケアと言わないスピリチュアルケア」の可能性として市民学習の試みがあります。「いのちと出会う会」も「大蓮寺・エンディングを考える市民の会」も同様の場ですが、双方に通じるのは、大人が死生観について学ぶ場であることです。
死生観は、これが正解というものがありません。昔は、仏教が大きな物語として作用してきましたが、現代は個人がバラバラになって、一人ひとりが自分の死生観を探しださなくてはならない時代です。世代間で引き継がれてきた伝統も、少子化と家族の多様化で、継承が難しい。インターネットで引っ張ってくるのは、知識や情報であって、「観」という考え方、あるいは生き方というようなものになっていない。そこに、市民学習の可能性があると思うのです。
「いのちと出会う会」は、在宅ホスピスや成年後見制や葬儀の実際など、講師が情報を提供する学習もあるのですが、とくに特長的なのは、その後の語りあいです。参加者が裃を脱いで、今日の話題を共有しながら、少しお酒も入れながら意見交換をする。そこには問題解決してくれる専門家がいるのではなく、参加者同士が対等の関係で、共感の関係を紡いでいきます。時に死別体験やがん体験を、語り合うことも。誰かの言葉に耳をそば立て、そのことが他者に対する信頼となり、自己への安心となります。この「同治」の体験があって初めて、人は自分の中の死生観というものを養うのだと思います。誰かにケアしてもらう「対治」的なスピリチュアルケアではなく、皆でケアしあう、「同治」のスピリチュアルワークといった方がいいのかもしれません。
そういう体験は、ネットで共有することは難しいものです。皆が対等に集えるリアルな場と、石黒さんのような市民の立場から場をつなぐような存在が必要となります。そして、この場に参加した人たちが、今度は自分の家庭や職場や地域に帰ってから、石黒さん同様につなぎ手となってくだされば、スピリチュアル・ワークはさらに拡がっていくことでしょう。
「弱さ」には、周囲の人がそれ見捨ておけない、何とかしないではいられない、という求心力心があります。それは、人間の内部に秘められた「慈悲心」といってもいい。弱者がいたら、すぐに社会保障やサービスに頼る(そして、気に入らなければ文句を言う、という消費者的態度!)のではなく、それを支えあう「同治」によるコミュニティの力を私は信じたいと思います。
枯渇した日本人の死生観も、そういうつながりの中から、次第ににじみ出してくるものであってほしいと願っています。≪おわり≫(秋田光彦)
應典院寺町倶楽部の名物企画で、2000年からほぼ毎月開催してきた「いのちと出会う会」が、11月に通算100回目を迎えました。私も世話人に名を連ねていますが、この功績は代表世話人として、この会とともに励んでこられた石黒良彦さんの尽力によるものです。
さて、会の報告は別に譲るとして、「スピリチュアルケアと言わないスピリチュアルケア」の可能性として市民学習の試みがあります。「いのちと出会う会」も「大蓮寺・エンディングを考える市民の会」も同様の場ですが、双方に通じるのは、大人が死生観について学ぶ場であることです。
死生観は、これが正解というものがありません。昔は、仏教が大きな物語として作用してきましたが、現代は個人がバラバラになって、一人ひとりが自分の死生観を探しださなくてはならない時代です。世代間で引き継がれてきた伝統も、少子化と家族の多様化で、継承が難しい。インターネットで引っ張ってくるのは、知識や情報であって、「観」という考え方、あるいは生き方というようなものになっていない。そこに、市民学習の可能性があると思うのです。
「いのちと出会う会」は、在宅ホスピスや成年後見制や葬儀の実際など、講師が情報を提供する学習もあるのですが、とくに特長的なのは、その後の語りあいです。参加者が裃を脱いで、今日の話題を共有しながら、少しお酒も入れながら意見交換をする。そこには問題解決してくれる専門家がいるのではなく、参加者同士が対等の関係で、共感の関係を紡いでいきます。時に死別体験やがん体験を、語り合うことも。誰かの言葉に耳をそば立て、そのことが他者に対する信頼となり、自己への安心となります。この「同治」の体験があって初めて、人は自分の中の死生観というものを養うのだと思います。誰かにケアしてもらう「対治」的なスピリチュアルケアではなく、皆でケアしあう、「同治」のスピリチュアルワークといった方がいいのかもしれません。
そういう体験は、ネットで共有することは難しいものです。皆が対等に集えるリアルな場と、石黒さんのような市民の立場から場をつなぐような存在が必要となります。そして、この場に参加した人たちが、今度は自分の家庭や職場や地域に帰ってから、石黒さん同様につなぎ手となってくだされば、スピリチュアル・ワークはさらに拡がっていくことでしょう。
「弱さ」には、周囲の人がそれ見捨ておけない、何とかしないではいられない、という求心力心があります。それは、人間の内部に秘められた「慈悲心」といってもいい。弱者がいたら、すぐに社会保障やサービスに頼る(そして、気に入らなければ文句を言う、という消費者的態度!)のではなく、それを支えあう「同治」によるコミュニティの力を私は信じたいと思います。
枯渇した日本人の死生観も、そういうつながりの中から、次第ににじみ出してくるものであってほしいと願っています。≪おわり≫(秋田光彦)
2010年12月2日木曜日
スピリチュアルケアと言わないスピリチュアルケア
先月20日、府立の急性期総合医療センターが主催のシンポジウム「生と死を考える~がん医療とスピリチュアリティ」に出演しました。府立の総合病院が「死」をテーマに企画をし、しかも満場の聴衆が集まったことは、時代の変化を肌で感じました。
私も黒衣に輪袈裟で登壇しましたので、十分目立ったかと思いますが、ドクターやチャプレンと並んで意見を交わしました。自ずと議論の中心は、がんの緩和ケアからスピリチュアルケアへと移っていきました。
僧侶がこういう場に出てくると、ビハーラとか僧医とかいって、新しいお坊さんの臨床への参加と持ち上げられるのですが、それは言うほど簡単なことではありません。お隣の韓国などは総合病院内に宗教別の部屋があって、そこに宗教者が常駐しているのは当たり前ですが、日本では教団経営の病院以外は、皆無に等しいのが実態です。それほど「「葬式仏教」に対するアレルギーは強いのでしょう。また、それを口実に、仏教者側も一向にこの課題に取り組もうとしない。現実は、一部の良心的な宗教者によって、個別に執り行われているのであって、日本で言う「スピリチュアルケア」は絶えず宗教と切り離して考えられてきました(もともとWHOの健康の定義に、スピリチュアルケアを提案したのはイスラム諸国です。理由は明白ですね)。
もちろん、仏教者の臨床参加もたいせつな実践なのですが、だからといってスピリチュアルな活動が全部病院の中に、ベッドサイドの現場にある、と捉えていいとは思いません。それは、「ケア」という言葉を用いた瞬間、ケアギバー(ケアしてくれる人)とクライアント(患者)という二者関係を連想してしまうこととも通底しています。そもそもスピリチュアルケアとは、病院内の専門用語なのでしょうか。
年間120万人が亡くなる多死な社会にあって、「治す」医療は限界と言われています。在宅医療や訪問医療も徐々に浸透し、じつは住み慣れた家で最期を迎える人たちも微増しています(2005年の79.8%をピークに、病院死は以後微減しています)。もちろん、在宅死であっても専門職の支援は欠かせませんが、人生の最後の時間を、一緒に過ごす家族や地域との関係は、スピリチュアルケアとは言わないのでしょうか。
「同治」と「対治」という仏教の言葉があります。例えば熱が出て、その対処法がふたつあります。水で冷やして治すのが「対治」、うんと汗をかかせて治すのが「同治」です。病院というところは、何かをしてもうところなので、自ずと関係は「対治」にならざるを得ない。外科手術も投薬もすべて高等な技術としての「対治」です。しかし、その手前に、私たちの日常の生活や暮らしの中に、それ以上の「同治」の可能性があるはず。スピリチュアルケアとは、これまで「対治」してきたケアを、「同治」の関係へと取り戻すような意味があるのかもしれません。
シンポジウムの席で私は、「スピリチュアルケアとは言わないスピリチュアルケア」を提唱しました。本来、スピリチュアリティとは生活や暮らしの中にあるもので、自分たちがさまざまな関係性の中から育んでいいくものだと。大蓮寺の「エンディングを考える市民の会」や、應典院の「いのちで出会う会」などの活動は、まさに他者や地域、社会とふれる、貴重な機会となっているのではないでしょうか。(秋田光彦)
≪この項つづく≫
私も黒衣に輪袈裟で登壇しましたので、十分目立ったかと思いますが、ドクターやチャプレンと並んで意見を交わしました。自ずと議論の中心は、がんの緩和ケアからスピリチュアルケアへと移っていきました。
僧侶がこういう場に出てくると、ビハーラとか僧医とかいって、新しいお坊さんの臨床への参加と持ち上げられるのですが、それは言うほど簡単なことではありません。お隣の韓国などは総合病院内に宗教別の部屋があって、そこに宗教者が常駐しているのは当たり前ですが、日本では教団経営の病院以外は、皆無に等しいのが実態です。それほど「「葬式仏教」に対するアレルギーは強いのでしょう。また、それを口実に、仏教者側も一向にこの課題に取り組もうとしない。現実は、一部の良心的な宗教者によって、個別に執り行われているのであって、日本で言う「スピリチュアルケア」は絶えず宗教と切り離して考えられてきました(もともとWHOの健康の定義に、スピリチュアルケアを提案したのはイスラム諸国です。理由は明白ですね)。
もちろん、仏教者の臨床参加もたいせつな実践なのですが、だからといってスピリチュアルな活動が全部病院の中に、ベッドサイドの現場にある、と捉えていいとは思いません。それは、「ケア」という言葉を用いた瞬間、ケアギバー(ケアしてくれる人)とクライアント(患者)という二者関係を連想してしまうこととも通底しています。そもそもスピリチュアルケアとは、病院内の専門用語なのでしょうか。
年間120万人が亡くなる多死な社会にあって、「治す」医療は限界と言われています。在宅医療や訪問医療も徐々に浸透し、じつは住み慣れた家で最期を迎える人たちも微増しています(2005年の79.8%をピークに、病院死は以後微減しています)。もちろん、在宅死であっても専門職の支援は欠かせませんが、人生の最後の時間を、一緒に過ごす家族や地域との関係は、スピリチュアルケアとは言わないのでしょうか。
「同治」と「対治」という仏教の言葉があります。例えば熱が出て、その対処法がふたつあります。水で冷やして治すのが「対治」、うんと汗をかかせて治すのが「同治」です。病院というところは、何かをしてもうところなので、自ずと関係は「対治」にならざるを得ない。外科手術も投薬もすべて高等な技術としての「対治」です。しかし、その手前に、私たちの日常の生活や暮らしの中に、それ以上の「同治」の可能性があるはず。スピリチュアルケアとは、これまで「対治」してきたケアを、「同治」の関係へと取り戻すような意味があるのかもしれません。
シンポジウムの席で私は、「スピリチュアルケアとは言わないスピリチュアルケア」を提唱しました。本来、スピリチュアリティとは生活や暮らしの中にあるもので、自分たちがさまざまな関係性の中から育んでいいくものだと。大蓮寺の「エンディングを考える市民の会」や、應典院の「いのちで出会う会」などの活動は、まさに他者や地域、社会とふれる、貴重な機会となっているのではないでしょうか。(秋田光彦)
≪この項つづく≫
2010年11月23日火曜日
死刑と市民と死生観
■市民が選択した極刑
市民がかかわる裁判員裁判で、初めて死刑が選ばれました。
11月16日、横浜地裁は、麻雀店経営者ら2名の殺害事件の被告に対し、その計画性、残虐性から死刑判決を言い渡しました。市民が自ら命の裁きを下したことになります。
今回の裁判では、事実関係の争いはありませんでした。被告は裁判当初は同情や共感を拒み、自ら死刑に追い込むような言動が目立ちました。それが審理を経るうちに「心情が変わっていくのが、よくわかった」(裁判員の男性)といいます。「被告に人間性は残っている。わずかでも死刑をためらう気持ちがあれば、死刑にしてはならない」(弁護人弁論)。そして、市民が加わって3日間の評議を経た結果の判決は、被告の人間性を問いながらも、極刑の選択をしました。
これまでは「お上にお任せ」の裁判でしたが、去年、裁判員裁判制度が始まって以来、急速に市民の関心は高まっています。量刑の如何にかかわらず、判決という究極の判断から誰もが逃れられなくなったからです。人権の立場から「死刑反対」というのは簡単だが、自分が裁く側となった時、その主張を貫くことが可能なのか、国民全員に重い課題が突き付けられています。
■他者の死と向き合う
当初、裁判員制度立案の経緯では、裁判員のストレスなどを考慮して、刑の軽い事件から対象とすべき、という声があったといいます。しかし、それでは本当の司法の参加にならない。人の生死がかかる重大な犯罪にこそ、市民の良識を反映させる必要があるとされました。「裁判員が実際に判断することで、死刑が刑罰として適切なのか、今でも日本に必要なのかを社会全体で考えることにもつながる。制度を維持するなら、私たち1人1人が責任をもって向き合う必要がある」(土井真一京大教授)。
市民社会は、それまでの「お任せ民主主義」を批判して生まれました。社会における重大な決定を、お上に任せるのではなく、自分たちに主体を取り戻そうという運動の結果でもありました。裁判員制度の誕生にも、その精神は活かされているはずで、「死刑判決だけは別」とはいかないのです。
今回の判決の結果は、尊重しなくてはなりません。今後、死刑を含む司法参加は進んでいくことでしょう。同時に、「司法的殺人」として死刑に反対する声についても熟慮を重ねなくてはなりません。死刑に市民が皆、向き合わなくてはならないのです。
私は、もう1つ、今回の死刑判決が日本人の死生観にも大きな影響を及ぼす、と感じています。人間は一般に自己を中心に、家族や同僚、知人といった、親しい2人称の死までしか体験することはありませんでした。それが生死のかかる裁判では、自分が他者の死に意識的に関与し、責任を負い、公正な判断をしなくてはなりません。「最期まで自分らしく」というようなフレーズが委縮してしまうほど、「他者の死」は冷徹なほど自己の死生観を相対化していきます。
判決言い渡し後、裁判員の一人は記者会見でこう発言しています。
「日本がいまどんな状況にあるかを考えると、一般国民が裁判に参加する意味はあると思う」(趣旨)。
犯罪、裁き、償い…そして、人間性とは何か。市民社会における死生観とは、個人の生死のみならず、そういう重く深い命題を引き受けていかざるを得ない、と思います。(秋田光彦)
*本稿は、11月16日、17日の各新聞報道を参考にしました。
市民がかかわる裁判員裁判で、初めて死刑が選ばれました。
11月16日、横浜地裁は、麻雀店経営者ら2名の殺害事件の被告に対し、その計画性、残虐性から死刑判決を言い渡しました。市民が自ら命の裁きを下したことになります。
今回の裁判では、事実関係の争いはありませんでした。被告は裁判当初は同情や共感を拒み、自ら死刑に追い込むような言動が目立ちました。それが審理を経るうちに「心情が変わっていくのが、よくわかった」(裁判員の男性)といいます。「被告に人間性は残っている。わずかでも死刑をためらう気持ちがあれば、死刑にしてはならない」(弁護人弁論)。そして、市民が加わって3日間の評議を経た結果の判決は、被告の人間性を問いながらも、極刑の選択をしました。
これまでは「お上にお任せ」の裁判でしたが、去年、裁判員裁判制度が始まって以来、急速に市民の関心は高まっています。量刑の如何にかかわらず、判決という究極の判断から誰もが逃れられなくなったからです。人権の立場から「死刑反対」というのは簡単だが、自分が裁く側となった時、その主張を貫くことが可能なのか、国民全員に重い課題が突き付けられています。
■他者の死と向き合う
当初、裁判員制度立案の経緯では、裁判員のストレスなどを考慮して、刑の軽い事件から対象とすべき、という声があったといいます。しかし、それでは本当の司法の参加にならない。人の生死がかかる重大な犯罪にこそ、市民の良識を反映させる必要があるとされました。「裁判員が実際に判断することで、死刑が刑罰として適切なのか、今でも日本に必要なのかを社会全体で考えることにもつながる。制度を維持するなら、私たち1人1人が責任をもって向き合う必要がある」(土井真一京大教授)。
市民社会は、それまでの「お任せ民主主義」を批判して生まれました。社会における重大な決定を、お上に任せるのではなく、自分たちに主体を取り戻そうという運動の結果でもありました。裁判員制度の誕生にも、その精神は活かされているはずで、「死刑判決だけは別」とはいかないのです。
今回の判決の結果は、尊重しなくてはなりません。今後、死刑を含む司法参加は進んでいくことでしょう。同時に、「司法的殺人」として死刑に反対する声についても熟慮を重ねなくてはなりません。死刑に市民が皆、向き合わなくてはならないのです。
私は、もう1つ、今回の死刑判決が日本人の死生観にも大きな影響を及ぼす、と感じています。人間は一般に自己を中心に、家族や同僚、知人といった、親しい2人称の死までしか体験することはありませんでした。それが生死のかかる裁判では、自分が他者の死に意識的に関与し、責任を負い、公正な判断をしなくてはなりません。「最期まで自分らしく」というようなフレーズが委縮してしまうほど、「他者の死」は冷徹なほど自己の死生観を相対化していきます。
判決言い渡し後、裁判員の一人は記者会見でこう発言しています。
「日本がいまどんな状況にあるかを考えると、一般国民が裁判に参加する意味はあると思う」(趣旨)。
犯罪、裁き、償い…そして、人間性とは何か。市民社会における死生観とは、個人の生死のみならず、そういう重く深い命題を引き受けていかざるを得ない、と思います。(秋田光彦)
*本稿は、11月16日、17日の各新聞報道を参考にしました。
2010年11月16日火曜日
無縁社会に、お寺にできること。
■家族の変化と不安
社会の無縁化が進んでいます。人間関係や個人と地域とのつながりが急速に希薄になっており、葬送の分野でも、意識の変化は顕著です。
読売新聞の本年の世論調査によれば、「誰と一緒に墓に入りたいか」という質問に対し、「配偶者」が最多の67%、「先祖」の27%を大きく上回ったといいます。94年調査の同じ質問が「配偶者64%・先祖33%」だっただけに、血縁意識の変化を読み取ることができます。
自分の葬式を行う場合は、「身内と親しい人だけ」「家族だけ」を合わせると60%の人が内輪で行う、と回答、そもそも葬式とは「家」の世代交代や後継者を世間に知らせる意味がありましたが、こうした役割も低下してきているといえるのでしょうか。家族の絆やまとまりが、「弱くなってきている」と感じる人も、80%を超えています。
むろん、無縁化には社会的な原因があります。90年には親や祖父母との同居は61%で、単身世帯や、夫婦のみ世帯は39%でしたが、今や後者は50%を超えている。同時に、一人暮らしになり面倒を見てくれる人がいなくなる不安を、「感じている」人は52%と半数を超え、高齢者ほどその不安の数値が上がっていきます。無縁化は、単純に「人の心が荒んだ」だけでなく、家族や世帯の形態の変化という大きな要因が横たわっています。
「消えた高齢者」が多発する昨今、もはや家族のことは身内で、とはいかなくなりつつあります。
■月詣りで定期訪問
ひとり住まいの高齢者にとって、大きな不安は孤独です。
地域による助けあい、といっても、地縁そのものも弱まっており、昔ながらの近所づきあいだけに任せられるわけではありません。役所でも、見守りのためのさまざまな取り組みを実践しているようです。
関西のお寺には、月詣りの習慣があります(首都圏には、ありません)。毎月のお命日に僧侶がご自宅を訪問して、ご先祖さまをご回向申し上げ、短い時間ながら、供養を通して、先祖とのつながりを感じることができるでしょう。また、当山では院代が担当していますが、親しい者が定期的に訪問させていただくことが、何らかの不安の解消につながることがあるかもしれません。恐らくは大阪の浄土宗寺院だけで、合算すれば月詣りで何万という世帯に伺っているはずです。知恵を出しあえば、無縁社会に対する抑制的な役割が見いだせるのでは、と思います。
家族のことは家族で、という大前提が壊れつつある現代、安易に外部のサービスに頼ったり、役所任せは慎むべきですが、もう一度支えあう共同体として地域や人づきあいの役割を見直す時が来ているのかもしれません。
日本仏教の先祖供養や年中行事が、失われつつある絆を再生していく拠り所となるのか、あるいはそれに代わる新たな共同体の揺籃となるのか、いずれにせよ、その役割は小さくないと思います。(秋田光彦)
社会の無縁化が進んでいます。人間関係や個人と地域とのつながりが急速に希薄になっており、葬送の分野でも、意識の変化は顕著です。
読売新聞の本年の世論調査によれば、「誰と一緒に墓に入りたいか」という質問に対し、「配偶者」が最多の67%、「先祖」の27%を大きく上回ったといいます。94年調査の同じ質問が「配偶者64%・先祖33%」だっただけに、血縁意識の変化を読み取ることができます。
自分の葬式を行う場合は、「身内と親しい人だけ」「家族だけ」を合わせると60%の人が内輪で行う、と回答、そもそも葬式とは「家」の世代交代や後継者を世間に知らせる意味がありましたが、こうした役割も低下してきているといえるのでしょうか。家族の絆やまとまりが、「弱くなってきている」と感じる人も、80%を超えています。
むろん、無縁化には社会的な原因があります。90年には親や祖父母との同居は61%で、単身世帯や、夫婦のみ世帯は39%でしたが、今や後者は50%を超えている。同時に、一人暮らしになり面倒を見てくれる人がいなくなる不安を、「感じている」人は52%と半数を超え、高齢者ほどその不安の数値が上がっていきます。無縁化は、単純に「人の心が荒んだ」だけでなく、家族や世帯の形態の変化という大きな要因が横たわっています。
「消えた高齢者」が多発する昨今、もはや家族のことは身内で、とはいかなくなりつつあります。
■月詣りで定期訪問
ひとり住まいの高齢者にとって、大きな不安は孤独です。
地域による助けあい、といっても、地縁そのものも弱まっており、昔ながらの近所づきあいだけに任せられるわけではありません。役所でも、見守りのためのさまざまな取り組みを実践しているようです。
関西のお寺には、月詣りの習慣があります(首都圏には、ありません)。毎月のお命日に僧侶がご自宅を訪問して、ご先祖さまをご回向申し上げ、短い時間ながら、供養を通して、先祖とのつながりを感じることができるでしょう。また、当山では院代が担当していますが、親しい者が定期的に訪問させていただくことが、何らかの不安の解消につながることがあるかもしれません。恐らくは大阪の浄土宗寺院だけで、合算すれば月詣りで何万という世帯に伺っているはずです。知恵を出しあえば、無縁社会に対する抑制的な役割が見いだせるのでは、と思います。
家族のことは家族で、という大前提が壊れつつある現代、安易に外部のサービスに頼ったり、役所任せは慎むべきですが、もう一度支えあう共同体として地域や人づきあいの役割を見直す時が来ているのかもしれません。
日本仏教の先祖供養や年中行事が、失われつつある絆を再生していく拠り所となるのか、あるいはそれに代わる新たな共同体の揺籃となるのか、いずれにせよ、その役割は小さくないと思います。(秋田光彦)
2010年11月9日火曜日
「葬式は、要らない」の島田裕巳さんと対談して考えたこと。
■東京の情報に惑わされない
去る9月20日、「葬式は、要らない」の著者、島田裕巳さんと対談をしました。應典院は満杯の盛況、「葬式は、要らない」と主張する宗教学者に、「葬式をしない寺」の住職が挑む、という格好で、当初は緊張がありましたが、なかなか中身のある話し合いができたと思っています。以下に私が申し上げたことを、3点にまとめておきます。
まず、島田さんの本の論拠は、首都圏型に偏っていること。関西には月詣りの習慣があり、五重相伝で生前戒名が授与されるなど、寺と檀家の信頼関係が厚い。首都圏はそういった前提がなく、葬式になって初めて僧侶に会うことも少なくありません。そもそも流動人口が多く、寺とのつきあいがない「浮動層」が全世帯の半分近いといいます。
メディアの責任も大きく、東京のローカル情報をさも全国ニュースのように報道し、それを鵜呑みにしている地方、という構図があります。地方にはその地方固有の伝統や習わしがあるはずなのに、情報の中央集権化に惑わされている現実は残念なことです。
2点目は、現実の葬式仏教が、儀式主義に終わっていることです。そもそも葬式仏教の成立は、地域共同体の中心として、「寺のある暮らし」が前提となっていました。死んでから始まる関係ではなく、それに至る長い時間を共有して、ゆっくりと形成していく、寺と檀家の共通理解・共通認識がありました。その時間感覚は、現代のような効率や合理性を優先する考え方とは相いれないものかもしれません。
■ 生涯全体にかかわる仏教
現実の仏教は、「葬式は」「戒名は」とテーマごとに別々に説いているのではない。生涯時間をかけながら、じわじわと身体に馴染ませていくものであって、需給関係に立っているわけではありません。島田さんの本は消費者的立場で述べられており、逆にいえば、それほど現実の仏教から生活感覚が薄れてきていると思います。
このブログでも紹介してきた、大蓮寺の生前個人墓「自然」がよい例ですが、これまでまったくつきあいのなかった方々が、お墓を縁にして入信され、そして「寺のある暮らし」を始めていかれます。寺を中心として、互いに助けあい、拝みあう関係をつくりあげていく。本来、檀家さんも同じではないでしょうか。
3点目が、では、葬式仏教はどう再生されていけばいいのか。これには統一した回答があるわけではないのですが、私はやはり生涯全体に仏教がかかわる以外ないと考えています。人生の長い時間の道のりのあちこちに、寺がある。私はいまお寺直営の幼稚園の園長を務めていますが、そこで子どもたちやその親を、應典院で若者たちを、そして大蓮寺で、と世代を選ばないかかわりを重ねている真意がそこにあります。そういう全体像の中で、人々は葬式仏教という「形式知」に、信頼や安心を寄せてくれるのではないでしょうか。
島田さんからは「しかし、大阪がいつ東京型にならないとも限らない」と警告がありましたが、そうならないためにも、私たちは関西の、大阪の伝統をしっかり保っていくべきだと思います。(秋田光彦)
去る9月20日、「葬式は、要らない」の著者、島田裕巳さんと対談をしました。應典院は満杯の盛況、「葬式は、要らない」と主張する宗教学者に、「葬式をしない寺」の住職が挑む、という格好で、当初は緊張がありましたが、なかなか中身のある話し合いができたと思っています。以下に私が申し上げたことを、3点にまとめておきます。
まず、島田さんの本の論拠は、首都圏型に偏っていること。関西には月詣りの習慣があり、五重相伝で生前戒名が授与されるなど、寺と檀家の信頼関係が厚い。首都圏はそういった前提がなく、葬式になって初めて僧侶に会うことも少なくありません。そもそも流動人口が多く、寺とのつきあいがない「浮動層」が全世帯の半分近いといいます。
メディアの責任も大きく、東京のローカル情報をさも全国ニュースのように報道し、それを鵜呑みにしている地方、という構図があります。地方にはその地方固有の伝統や習わしがあるはずなのに、情報の中央集権化に惑わされている現実は残念なことです。
2点目は、現実の葬式仏教が、儀式主義に終わっていることです。そもそも葬式仏教の成立は、地域共同体の中心として、「寺のある暮らし」が前提となっていました。死んでから始まる関係ではなく、それに至る長い時間を共有して、ゆっくりと形成していく、寺と檀家の共通理解・共通認識がありました。その時間感覚は、現代のような効率や合理性を優先する考え方とは相いれないものかもしれません。
■ 生涯全体にかかわる仏教
現実の仏教は、「葬式は」「戒名は」とテーマごとに別々に説いているのではない。生涯時間をかけながら、じわじわと身体に馴染ませていくものであって、需給関係に立っているわけではありません。島田さんの本は消費者的立場で述べられており、逆にいえば、それほど現実の仏教から生活感覚が薄れてきていると思います。
このブログでも紹介してきた、大蓮寺の生前個人墓「自然」がよい例ですが、これまでまったくつきあいのなかった方々が、お墓を縁にして入信され、そして「寺のある暮らし」を始めていかれます。寺を中心として、互いに助けあい、拝みあう関係をつくりあげていく。本来、檀家さんも同じではないでしょうか。
3点目が、では、葬式仏教はどう再生されていけばいいのか。これには統一した回答があるわけではないのですが、私はやはり生涯全体に仏教がかかわる以外ないと考えています。人生の長い時間の道のりのあちこちに、寺がある。私はいまお寺直営の幼稚園の園長を務めていますが、そこで子どもたちやその親を、應典院で若者たちを、そして大蓮寺で、と世代を選ばないかかわりを重ねている真意がそこにあります。そういう全体像の中で、人々は葬式仏教という「形式知」に、信頼や安心を寄せてくれるのではないでしょうか。
島田さんからは「しかし、大阪がいつ東京型にならないとも限らない」と警告がありましたが、そうならないためにも、私たちは関西の、大阪の伝統をしっかり保っていくべきだと思います。(秋田光彦)

2010年4月22日木曜日
市民は祈る。市民救助者の惨事ストレス。
興味深い記事を見つけた。惨事ストレス。災害救援者が凄惨な現場に出動した際にかかるストレスだ。恐怖や職業上の強い責任感から心身に不調が生じるとされ、心拍数が上がったり、情景がフラッシュバックしたりする。PTSDにつながる恐れもあるという。
記事は、2005年のJR福知山線の脱線事故の際、救援を手伝った「市民救助者」に焦点を当てていた。消防隊員などプロの救助者には対策が取られているが、市民の現状はほとんど顧みられていない。北里大学の調査によると、事故から4年を経た段階で、市民の3割近くが「不眠」「疲労感」「罪悪感」などストレス症状が続いているという。
市民救助者はたまたま事故現場に居合わせたに過ぎない。状況によると思うが、「火事場の見物」でもよかったはずだが、止むにやまれず「救助者」となったのだろう。本来なら賞賛されるはずの勇気ある行為が、当人の心のトラウマとなっていくとは、何と悲痛なことだろう。
<救助にかかわったHさんは、電車内から『お母さん、助けて』」という若い女性の声がしたため、バールを探して戻ったが、もう声は聞こえなかった。負傷者に肩を貸すなど救助を手伝い、作業着は血だらけに。その日から1週間、地獄のような情景が夢に現われた。今も朝夕、現場に向かって手を合わす。「もっと多くの人を救えたのでは、と自責の念にかられた」という>(読売2010年4月8日)
Hさんの「自責の念」の要因は、自ら招いたものではない。たまたまた現場にいた、そして見かねて救援を手伝った。それが、その後何年も拭いきれない「縛り」となってしまう。それぞれに領分があって、自分にできることには限界があるのだ。プロでも苛まれる惨状であったのなら、果たして自発的であったにせよ市民救助者を迎えるべきだったか、とも考えてしまう。
Hさんは、「(その後は)冥福を祈ることが心の救いになった」という。個人では背負いきれないストレス感情を、神仏の領域に預けるということかもしれない。自分の限界点まで辿りついて、人間はようやく諦観の念を起こす。あとは仏の救済力に任せて、自分は手を引くのだ。
近代は、ずっと個人の可能性を推し進めてきた。「自分には限りない可能性がある」と刷りこんで、自己実現から自己責任まで、実体のない「自己像」を売りさばいた。けれど、やがて個人ではどうにもならない現実に行きあたる。自分の能力の限界を思い知る。それは近代から見れば「敗北」かもしれないが、私には、もうひとつの可能性としての「霊性の気づき」のようにも見える。自らの弱さ、無力さから立ち上がる、宗教的感覚の発見といってもいい。
国内外で自然災害や大事故が続く。死傷者何万人という数字が強調され、あちこちで募金活動が活発になる。それ自体はだいじなことだが、だから「してあげた」と傲慢になってはいけない。忘れてならないのは、自然の脅威を前に、私たちの無力さを自覚しながら、誰かのために真摯に「祈る」ということではないか。惨事ストレスのニュースを見て、そんなことを感じた。(秋田光彦)
記事は、2005年のJR福知山線の脱線事故の際、救援を手伝った「市民救助者」に焦点を当てていた。消防隊員などプロの救助者には対策が取られているが、市民の現状はほとんど顧みられていない。北里大学の調査によると、事故から4年を経た段階で、市民の3割近くが「不眠」「疲労感」「罪悪感」などストレス症状が続いているという。
市民救助者はたまたま事故現場に居合わせたに過ぎない。状況によると思うが、「火事場の見物」でもよかったはずだが、止むにやまれず「救助者」となったのだろう。本来なら賞賛されるはずの勇気ある行為が、当人の心のトラウマとなっていくとは、何と悲痛なことだろう。
<救助にかかわったHさんは、電車内から『お母さん、助けて』」という若い女性の声がしたため、バールを探して戻ったが、もう声は聞こえなかった。負傷者に肩を貸すなど救助を手伝い、作業着は血だらけに。その日から1週間、地獄のような情景が夢に現われた。今も朝夕、現場に向かって手を合わす。「もっと多くの人を救えたのでは、と自責の念にかられた」という>(読売2010年4月8日)
Hさんの「自責の念」の要因は、自ら招いたものではない。たまたまた現場にいた、そして見かねて救援を手伝った。それが、その後何年も拭いきれない「縛り」となってしまう。それぞれに領分があって、自分にできることには限界があるのだ。プロでも苛まれる惨状であったのなら、果たして自発的であったにせよ市民救助者を迎えるべきだったか、とも考えてしまう。
Hさんは、「(その後は)冥福を祈ることが心の救いになった」という。個人では背負いきれないストレス感情を、神仏の領域に預けるということかもしれない。自分の限界点まで辿りついて、人間はようやく諦観の念を起こす。あとは仏の救済力に任せて、自分は手を引くのだ。
近代は、ずっと個人の可能性を推し進めてきた。「自分には限りない可能性がある」と刷りこんで、自己実現から自己責任まで、実体のない「自己像」を売りさばいた。けれど、やがて個人ではどうにもならない現実に行きあたる。自分の能力の限界を思い知る。それは近代から見れば「敗北」かもしれないが、私には、もうひとつの可能性としての「霊性の気づき」のようにも見える。自らの弱さ、無力さから立ち上がる、宗教的感覚の発見といってもいい。
国内外で自然災害や大事故が続く。死傷者何万人という数字が強調され、あちこちで募金活動が活発になる。それ自体はだいじなことだが、だから「してあげた」と傲慢になってはいけない。忘れてならないのは、自然の脅威を前に、私たちの無力さを自覚しながら、誰かのために真摯に「祈る」ということではないか。惨事ストレスのニュースを見て、そんなことを感じた。(秋田光彦)
2010年2月3日水曜日
日本人は葬式でなぜ泣かないのか
○人前で泣かないのは美徳?
昨年11月14日に韓国の釜山の室内射撃場で陰惨な火災事故が起きて、大勢の日本人観光客が犠牲となりました。韓国ではこのニュースは大々的に論じられましたが、事故翌日に韓国に来た日本人遺族の、つつましやかな哀悼の姿に多く注目が集まりました。
「日本人遺族は感情を抑え、悲しみを心中に押しとどめた」(東亜日報)
「(遺族は)言葉を慎んだし、号泣することもなかった」(文化日報)
肉親の葬儀となれば、まさに天を仰ぎ、地に伏す「慟哭」の韓国人ですから、日本人が泣き叫ぶこともせず、静かな気配を残したことに感心するのもわかるような気がしますが、その理由について朝鮮日報のコラム子は、
「日本人には自分の悲しみで他人に気遣いさせることを迷惑と考え、悲しみを外に出さないことを美徳とする態度が背景にあるから」
と書いています。さらに、コラム子は日韓の葬祭文化の違いにも言及して、
「日本人の美徳とは日本の葬儀を見てもわかるように、他人の見ている前で感情をあらわにすることをはばかる」
と述べています。
むろん国や民族によって、感情の表出もさまざまです。韓国のデモのパワーなど見ればその違いは一目瞭然ですが、韓国人の行動力の根底には、政治意識というより自分たちの感情に正直に行動する気質がうかがえます。逆に日本人には、デモなどしても仕方ない、状況は変えられないという「長いものに巻かれろ」式の諦観があります。これも、大勢の影響を受け入れやすい、日本人の気質といえるでしょう。
○葬儀はもはや私事
その彼我の違いは十分理解しつつ、果たして葬儀で泣かないことが日本人の美徳なのか、私は逆に日本人の「悲嘆の感情」の急速な退行を思わないではいられませんでした。
最近の一般的な葬儀においても、遺族はほとんど泣くことをしません。今は家族葬など身内だけの葬儀が主流ですから、何事も合理的に効率よく運ばれていきます。けっして火災事故の日本人遺族を同列に論じるつもりはないのですが、「泣かない日本人」というのはかのコラム子が言うような美徳というより、私たちが悲しみの作法を忘れかけている、その現われではないかとも思います。
最近、直葬の問題がよく取り沙汰されています。葬儀を執り行わず、死後24時間を経て火葬に直行する葬法ですが、首都圏ではすでに葬儀全体の15%を超えたともいわれます。バブル崩壊以降、家族葬志向も著しく、今や日本の葬儀は際限のないミニマム化が続いています。葬儀はもはや私事なのです。
私事ですから、死という事実を公にしません。無意識に抑制しようとします。その根底には、死別した悲しみを最小限度に押しとどめる、悪い言い方をすれば、死を封印するような感性がにじみ出ているのではないでしょうか。。
そもそも葬儀の本義とは、愛する人を喪った悲嘆を十分に表出する公認の場であったはずです。死別の悲しみを、家族や親族、友人や地域社会に対し、公的に表明していく共通の体験として、葬儀は社会に開かれてきました。家族だけでなく、会葬者もまた死者を悼み、また遺族の悲痛に寄り添うことで、共同体として死を受け入れていきます。葬儀とは一過性のイベントではなく、遺族や地域に対し、死を公のものとし、厳然とした事実を差し出す、たいせつな「喪の体験」なのです。
○グリーフワークとしての葬儀
直葬には、そんな悲嘆に対する深い共感が見当たりません。というより、他者の死に対し無関心、不感症であり、遺体の処理だけが際立っているように見えます。家族葬もすべてとは言いませんが、私事の中に閉ざされ、遺族自身が死と十分に向き合えていない危惧があります。それは韓国メディアが礼賛するような日本人の美徳だとは、けっして言いきれないでしょう。
死別した悲しみと向き合うための働きかけを、グリーフワークといいます。その出発点は、遺族が死という事実を認識し、それを十分に悲しみ切ることから始まります。時を重ねて新たに死者と遺族との関係を結びなおす「再生」までの道のりともいえます。また葬儀以降、中陰、一周忌、三回忌と続く、長大な供養の時間も、徐々に喪失から再生へと「成長」していくグリーフワークのプロセスではなかったかと思います。
「葬儀で泣かない日本人」からは、死の実像に目をそらしたまま、精神的に成長しようとしない、私たちの地顔が透けて見えます。(秋田光彦)
昨年11月14日に韓国の釜山の室内射撃場で陰惨な火災事故が起きて、大勢の日本人観光客が犠牲となりました。韓国ではこのニュースは大々的に論じられましたが、事故翌日に韓国に来た日本人遺族の、つつましやかな哀悼の姿に多く注目が集まりました。
「日本人遺族は感情を抑え、悲しみを心中に押しとどめた」(東亜日報)
「(遺族は)言葉を慎んだし、号泣することもなかった」(文化日報)
肉親の葬儀となれば、まさに天を仰ぎ、地に伏す「慟哭」の韓国人ですから、日本人が泣き叫ぶこともせず、静かな気配を残したことに感心するのもわかるような気がしますが、その理由について朝鮮日報のコラム子は、
「日本人には自分の悲しみで他人に気遣いさせることを迷惑と考え、悲しみを外に出さないことを美徳とする態度が背景にあるから」
と書いています。さらに、コラム子は日韓の葬祭文化の違いにも言及して、
「日本人の美徳とは日本の葬儀を見てもわかるように、他人の見ている前で感情をあらわにすることをはばかる」
と述べています。
むろん国や民族によって、感情の表出もさまざまです。韓国のデモのパワーなど見ればその違いは一目瞭然ですが、韓国人の行動力の根底には、政治意識というより自分たちの感情に正直に行動する気質がうかがえます。逆に日本人には、デモなどしても仕方ない、状況は変えられないという「長いものに巻かれろ」式の諦観があります。これも、大勢の影響を受け入れやすい、日本人の気質といえるでしょう。
○葬儀はもはや私事
その彼我の違いは十分理解しつつ、果たして葬儀で泣かないことが日本人の美徳なのか、私は逆に日本人の「悲嘆の感情」の急速な退行を思わないではいられませんでした。
最近の一般的な葬儀においても、遺族はほとんど泣くことをしません。今は家族葬など身内だけの葬儀が主流ですから、何事も合理的に効率よく運ばれていきます。けっして火災事故の日本人遺族を同列に論じるつもりはないのですが、「泣かない日本人」というのはかのコラム子が言うような美徳というより、私たちが悲しみの作法を忘れかけている、その現われではないかとも思います。
最近、直葬の問題がよく取り沙汰されています。葬儀を執り行わず、死後24時間を経て火葬に直行する葬法ですが、首都圏ではすでに葬儀全体の15%を超えたともいわれます。バブル崩壊以降、家族葬志向も著しく、今や日本の葬儀は際限のないミニマム化が続いています。葬儀はもはや私事なのです。
私事ですから、死という事実を公にしません。無意識に抑制しようとします。その根底には、死別した悲しみを最小限度に押しとどめる、悪い言い方をすれば、死を封印するような感性がにじみ出ているのではないでしょうか。。
そもそも葬儀の本義とは、愛する人を喪った悲嘆を十分に表出する公認の場であったはずです。死別の悲しみを、家族や親族、友人や地域社会に対し、公的に表明していく共通の体験として、葬儀は社会に開かれてきました。家族だけでなく、会葬者もまた死者を悼み、また遺族の悲痛に寄り添うことで、共同体として死を受け入れていきます。葬儀とは一過性のイベントではなく、遺族や地域に対し、死を公のものとし、厳然とした事実を差し出す、たいせつな「喪の体験」なのです。
○グリーフワークとしての葬儀
直葬には、そんな悲嘆に対する深い共感が見当たりません。というより、他者の死に対し無関心、不感症であり、遺体の処理だけが際立っているように見えます。家族葬もすべてとは言いませんが、私事の中に閉ざされ、遺族自身が死と十分に向き合えていない危惧があります。それは韓国メディアが礼賛するような日本人の美徳だとは、けっして言いきれないでしょう。
死別した悲しみと向き合うための働きかけを、グリーフワークといいます。その出発点は、遺族が死という事実を認識し、それを十分に悲しみ切ることから始まります。時を重ねて新たに死者と遺族との関係を結びなおす「再生」までの道のりともいえます。また葬儀以降、中陰、一周忌、三回忌と続く、長大な供養の時間も、徐々に喪失から再生へと「成長」していくグリーフワークのプロセスではなかったかと思います。
「葬儀で泣かない日本人」からは、死の実像に目をそらしたまま、精神的に成長しようとしない、私たちの地顔が透けて見えます。(秋田光彦)
2010年1月17日日曜日
震災15年、災害と葬送を考える
「あの日」から15年が経ちました。地域とは何か、いのちとは何か、私とは誰か。その後、應典院再建の転換点ともなった阪神淡路大震災について、連日多くの報道が届けられています。
被災当時、私が所属していた仏教NGOが真っ先に着手したのは、葬送への取り組みでした。多くの遺体が、火葬も葬儀もできないまま、むごい状況にありました。当時かろうじて稼働していた神戸市北区の鵯越(ひよどりごえ)の斎場で、私たち僧侶は葬儀のボランティアにあたっていました。
被災後、犠牲となった遺体をどう葬るのか。それまで日本が直面したことのないもうひとつの葬送問題について、1月13日付の読売新聞は、こう報じています。。 家族の遺体を安置所に置かれたまま、耐えきれず、「数日後、ある遺族から『もう見ておれない。空き地でいいから(遺体を)焼いてほしい』と懇願された。『早く火葬を』と死の災対本部に伝えたが、すぐに解決できる問題ではなかった。灘区で約700人、東灘区で約1000人などと、わかっているだけで(安置された遺体は)3300人以上だった。当時、神戸市で使える火葬場は3箇所。1日計150人しか火葬できない」
厚生省の役人から「野火にしては」という打診に対し、「死者への尊厳と遺族感情を優先したい。『お別れ』は大切な節目だから」と断った神戸市役所衛生局長の言葉も紹介されています。
死が予知可能であれば、心の準備はできたのでしょうか。いや、むしろ「日本人にとっては死を予測し、準備をしておくことなどタブー」であったと思います。だから、どこにも憤りをぶつけられない被災死に対し、死者をどのように送り、葬るのかという難しい問題が横たわっています。
安置所の確保、棺やドライアイスの用意や火葬、搬送の手配など、適切な死後実務は、そのまま遺族を支えるグリーフケアに直結していると容易に想像できます。しかし、遺体は火葬処理をしたから、死者になるのではない。死者はここではない、どこかに赴くのであって、そこに宗教儀礼としての葬儀の必然性が生まれてきます。
葬儀はあくまで個人によって選択されるものです。信仰の有無や宗派の相違といった個別性の問題が浮き立ちます。檀家の一員であっても、自分の宗旨さえ知らない人も少なくない。その違いを克服しながら、緊急対応時にあって、どう葬儀をグリーフケアとして実効させるのか、議論が必要と感じます。ある意味、公共的な宗教の役割を実践から見出すといってもいいでしょう。
映画「おくりびと」が大ヒットする一方で、葬儀をしない「直葬」が増えています。日本人の死生観がアンバランスに宙を漂ういま、災害と葬送を考える意味は小さくないと思います。(秋田光彦)
被災当時、私が所属していた仏教NGOが真っ先に着手したのは、葬送への取り組みでした。多くの遺体が、火葬も葬儀もできないまま、むごい状況にありました。当時かろうじて稼働していた神戸市北区の鵯越(ひよどりごえ)の斎場で、私たち僧侶は葬儀のボランティアにあたっていました。
被災後、犠牲となった遺体をどう葬るのか。それまで日本が直面したことのないもうひとつの葬送問題について、1月13日付の読売新聞は、こう報じています。。 家族の遺体を安置所に置かれたまま、耐えきれず、「数日後、ある遺族から『もう見ておれない。空き地でいいから(遺体を)焼いてほしい』と懇願された。『早く火葬を』と死の災対本部に伝えたが、すぐに解決できる問題ではなかった。灘区で約700人、東灘区で約1000人などと、わかっているだけで(安置された遺体は)3300人以上だった。当時、神戸市で使える火葬場は3箇所。1日計150人しか火葬できない」
厚生省の役人から「野火にしては」という打診に対し、「死者への尊厳と遺族感情を優先したい。『お別れ』は大切な節目だから」と断った神戸市役所衛生局長の言葉も紹介されています。
死が予知可能であれば、心の準備はできたのでしょうか。いや、むしろ「日本人にとっては死を予測し、準備をしておくことなどタブー」であったと思います。だから、どこにも憤りをぶつけられない被災死に対し、死者をどのように送り、葬るのかという難しい問題が横たわっています。
安置所の確保、棺やドライアイスの用意や火葬、搬送の手配など、適切な死後実務は、そのまま遺族を支えるグリーフケアに直結していると容易に想像できます。しかし、遺体は火葬処理をしたから、死者になるのではない。死者はここではない、どこかに赴くのであって、そこに宗教儀礼としての葬儀の必然性が生まれてきます。
葬儀はあくまで個人によって選択されるものです。信仰の有無や宗派の相違といった個別性の問題が浮き立ちます。檀家の一員であっても、自分の宗旨さえ知らない人も少なくない。その違いを克服しながら、緊急対応時にあって、どう葬儀をグリーフケアとして実効させるのか、議論が必要と感じます。ある意味、公共的な宗教の役割を実践から見出すといってもいいでしょう。
映画「おくりびと」が大ヒットする一方で、葬儀をしない「直葬」が増えています。日本人の死生観がアンバランスに宙を漂ういま、災害と葬送を考える意味は小さくないと思います。(秋田光彦)

2009年11月11日水曜日
仏教都市の変遷~大阪・上町台地の魅力
大阪・上町台地は伽藍の街である。その歴史は古代、仏法伝来の地・四天王寺に始まり、中世には浄土教の聖地として、また近世には石山本願寺を中心に発達した自治都市大阪の表舞台として名高い。江戸時代には町民文化の開花に伴い、都心の寺町文化が発展するなど、近代までの上町台地の歴史はそのまま仏教都市・大阪の変遷を写し取っている。
今日もなお上町台地は現役の一大寺町ゾーンである。都市の光景は著しく変貌し、あたりにはタワーマンションが林立しているが、寺町だけは時間が止まったように三五〇年以上前の豪壮な姿を今に留めている。しかも寺々には隣接して、商店街や市場、学校や病院があり、人々の暮らしのただ中に祈りがある。京都や奈良のような巨大な観光寺院はないが、何よりも都心に息づく歴史の触感が、上町台地最大の魅力だ。
私の寺にはしばしば海外からのゲストが来訪するが、彼らはお笑いや食い倒れ以上に、この街中に溶け込んだ歴史の存在感に大きな関心を表す。歴史はただ事実を探ることだけでなく、今という地点から読み返されてこそ意味を持つが、外国人には、教科書に記述された正史より、日常の中で育まれてきた歴史の物語の方が魅力的に映るのだろう。歴史は生き物であって、それを古臭い博物館の中に閉じ込めてはならない。
私の寺のある天王寺区下寺町は南北に一.四キロ伽藍が並ぶ市内随一の寺町だが、ここでは物語を上書きする実践に取り組んでいる。界隈では一心寺がお堂に寺町インフォメーションセンターを付設、また一心寺シアター倶楽や應典院など芝居や落語を楽しめるお寺もあって活況を呈している。毎年、桜の季節には寺町を挙げて人形芝居のフェスティバルが開催され、昨年秋には「防災てらまちウォーク」という防災にちなんだユニークなまち歩きも実施された。仰ぎ見る歴史ではなく、自身の足で歴史に参加していく試みだ。
近年上町台地では観光資源の開発に熱心だが、本当に必要なものは土産物やグルメではない。歴史の現在にふれながら、まずそこに生きる人々が地域に対する誇りや愛着を取り戻すこと。また無数の生老病死を繰り返してきた先人たちの知恵や作法に学ぶことではないか。内に暮らす人に「死ぬまでここで暮らしたい」と思わせる都市は、自ずと外の人も引きつける。
上町台地は、歴史を現代の中で再生させていく最後の「聖地」なのである。(秋田光彦)

(本稿は11月10日産経新聞夕刊に掲載されたものを転載しました)
今日もなお上町台地は現役の一大寺町ゾーンである。都市の光景は著しく変貌し、あたりにはタワーマンションが林立しているが、寺町だけは時間が止まったように三五〇年以上前の豪壮な姿を今に留めている。しかも寺々には隣接して、商店街や市場、学校や病院があり、人々の暮らしのただ中に祈りがある。京都や奈良のような巨大な観光寺院はないが、何よりも都心に息づく歴史の触感が、上町台地最大の魅力だ。
私の寺にはしばしば海外からのゲストが来訪するが、彼らはお笑いや食い倒れ以上に、この街中に溶け込んだ歴史の存在感に大きな関心を表す。歴史はただ事実を探ることだけでなく、今という地点から読み返されてこそ意味を持つが、外国人には、教科書に記述された正史より、日常の中で育まれてきた歴史の物語の方が魅力的に映るのだろう。歴史は生き物であって、それを古臭い博物館の中に閉じ込めてはならない。
私の寺のある天王寺区下寺町は南北に一.四キロ伽藍が並ぶ市内随一の寺町だが、ここでは物語を上書きする実践に取り組んでいる。界隈では一心寺がお堂に寺町インフォメーションセンターを付設、また一心寺シアター倶楽や應典院など芝居や落語を楽しめるお寺もあって活況を呈している。毎年、桜の季節には寺町を挙げて人形芝居のフェスティバルが開催され、昨年秋には「防災てらまちウォーク」という防災にちなんだユニークなまち歩きも実施された。仰ぎ見る歴史ではなく、自身の足で歴史に参加していく試みだ。
近年上町台地では観光資源の開発に熱心だが、本当に必要なものは土産物やグルメではない。歴史の現在にふれながら、まずそこに生きる人々が地域に対する誇りや愛着を取り戻すこと。また無数の生老病死を繰り返してきた先人たちの知恵や作法に学ぶことではないか。内に暮らす人に「死ぬまでここで暮らしたい」と思わせる都市は、自ずと外の人も引きつける。
上町台地は、歴史を現代の中で再生させていく最後の「聖地」なのである。(秋田光彦)

(本稿は11月10日産経新聞夕刊に掲載されたものを転載しました)
2009年10月29日木曜日
個の時代。フリースタイルな僧侶たち
8月に京都で「フリースタイルな僧侶たちのフリーマガジン」が創刊された。A4版、8頁、カラーグラビア印刷でお金がかかっているが、そもそも何で僧侶がフリーマガジンなんだろう。
編集の仕掛け人である池口さんに会った。昭和55年生まれ、尼崎の浄土宗のお寺に生まれ、京都大学から同大学院に進み、いま総本山知恩院の職員として働いている。若いがれっきとしたプロの僧侶だ。フリーマガジンのその他の書き手は、彼の大学院での仲間の僧侶たち。宗派は異なる。その意気に応じたライターやカメラマンが参加した僧俗混成部隊だ。

マガジンはそのままインターネット上でも読むことができるが、その中に池口さん自身が発刊の趣旨にこう書いている。
「インターネットで僧侶一人一人の情報が交換され、それぞれの個性が評価される時代は遠くない。すでにその息吹は見受けられる。その時は、人々は「自分の価値観に合う僧侶」を選ぶだろう。それならば、手垢のついた表現を駆使するよりも、「フリースタイル」で自分の個性をアピールするほうが、時代のニーズに合っていると思うのだ」
この文章の前後には、池口さんの僧侶としての時代認識や仏教への可能性など熱く述べられているのだが、とりわけ私が共感したのは、若い優秀な僧侶はすでに「僧侶個人」が「選択される」ことを認識している点だ。ここではフリースタイルとは、市民と僧侶個人のフリーアクセス、フリーコンタクトということであって、最初から宗派、教団という囲いの外に自分の地点を持っている。最初から相手は檀信徒ではなく、「個」としての市民を向いている。
これまで僧侶は、外の社会とのアクセスを教団組織を介して行ってきた。教団はそこに所属する僧侶にとってだいじな出世機関であり、いい意味で僧侶(人材)の能力を吸い上げるヒエラルキーでもあった。そのため宗内には星の数ほど団体や役職が設けられ、若い僧侶を囲い込んできた。
が、同時に徹底したムラ社会である教団では、際立った個人の能力は嫌われる。布教、でも子ども会でも、昔ながらの教化には鉄壁の上意下達のシステムがあって、若い才能など発揮しようもない。そもそも若い人材を活かそうという発想が教団にはない。幹部職は大抵が70代以上なのだから無理もないのだが。
「個」が隆起する時代にあって、組織にしがみついている場合ではないのだ。寺は一つ一つが独立した拠点であって、教団組織の下部にぶらさがっているわけではない。自分で考え、自分で判断する。同じ宗門人だからといって、何でも教団に横並びでいいのか。でなければ、日本に寺が7万5千もある説明がつかないではないか。
ひとりの僧侶としての生涯において、青年僧の時代は貴重だ。無垢なまま社会と向き合い、自他の関係に身を投じてみる。外とフリーアクセスすれば、教団の言葉が閉じた世界でしか通用しないことがわかるだろう。自分たちが何を期待されていて、何がズレているか、よくわかるだろう。次代の仏教者の基本は、教化でも折伏でもなく、協働と対話であることが骨にしみてわかるだろう。
よるべきなき「個」の時代である。「個」が確立されないまま「自己決定」「自己責任」と追いたくられ、現代の「個」は孤立して喘いでいる。仏教は集団や組織の原理でなく、いま目の前の「個」を救う教えでなくてはならない。たくましい「個」をつなぎ、もうひとつの共同体を形成する力といおうか。これまでの仏教とは異なる、語り口やスタイルが必要とされている。
ちなみに池口さんのフリーマガジンは、京都市内の大手書店にも置いてある。聞けば、書店とは一軒一軒足を運んで直接交渉したとか。「どうせ仏教なんて…」などとやりもしないで、嘆くなかれ。青年僧の情熱に、きっと社会は答えてくれている。(秋田光彦)

*ネットでフリスタを読むこともできます。
http://www.freemonk.net/
編集の仕掛け人である池口さんに会った。昭和55年生まれ、尼崎の浄土宗のお寺に生まれ、京都大学から同大学院に進み、いま総本山知恩院の職員として働いている。若いがれっきとしたプロの僧侶だ。フリーマガジンのその他の書き手は、彼の大学院での仲間の僧侶たち。宗派は異なる。その意気に応じたライターやカメラマンが参加した僧俗混成部隊だ。

マガジンはそのままインターネット上でも読むことができるが、その中に池口さん自身が発刊の趣旨にこう書いている。
「インターネットで僧侶一人一人の情報が交換され、それぞれの個性が評価される時代は遠くない。すでにその息吹は見受けられる。その時は、人々は「自分の価値観に合う僧侶」を選ぶだろう。それならば、手垢のついた表現を駆使するよりも、「フリースタイル」で自分の個性をアピールするほうが、時代のニーズに合っていると思うのだ」
この文章の前後には、池口さんの僧侶としての時代認識や仏教への可能性など熱く述べられているのだが、とりわけ私が共感したのは、若い優秀な僧侶はすでに「僧侶個人」が「選択される」ことを認識している点だ。ここではフリースタイルとは、市民と僧侶個人のフリーアクセス、フリーコンタクトということであって、最初から宗派、教団という囲いの外に自分の地点を持っている。最初から相手は檀信徒ではなく、「個」としての市民を向いている。
これまで僧侶は、外の社会とのアクセスを教団組織を介して行ってきた。教団はそこに所属する僧侶にとってだいじな出世機関であり、いい意味で僧侶(人材)の能力を吸い上げるヒエラルキーでもあった。そのため宗内には星の数ほど団体や役職が設けられ、若い僧侶を囲い込んできた。
が、同時に徹底したムラ社会である教団では、際立った個人の能力は嫌われる。布教、でも子ども会でも、昔ながらの教化には鉄壁の上意下達のシステムがあって、若い才能など発揮しようもない。そもそも若い人材を活かそうという発想が教団にはない。幹部職は大抵が70代以上なのだから無理もないのだが。
「個」が隆起する時代にあって、組織にしがみついている場合ではないのだ。寺は一つ一つが独立した拠点であって、教団組織の下部にぶらさがっているわけではない。自分で考え、自分で判断する。同じ宗門人だからといって、何でも教団に横並びでいいのか。でなければ、日本に寺が7万5千もある説明がつかないではないか。
ひとりの僧侶としての生涯において、青年僧の時代は貴重だ。無垢なまま社会と向き合い、自他の関係に身を投じてみる。外とフリーアクセスすれば、教団の言葉が閉じた世界でしか通用しないことがわかるだろう。自分たちが何を期待されていて、何がズレているか、よくわかるだろう。次代の仏教者の基本は、教化でも折伏でもなく、協働と対話であることが骨にしみてわかるだろう。
よるべきなき「個」の時代である。「個」が確立されないまま「自己決定」「自己責任」と追いたくられ、現代の「個」は孤立して喘いでいる。仏教は集団や組織の原理でなく、いま目の前の「個」を救う教えでなくてはならない。たくましい「個」をつなぎ、もうひとつの共同体を形成する力といおうか。これまでの仏教とは異なる、語り口やスタイルが必要とされている。
ちなみに池口さんのフリーマガジンは、京都市内の大手書店にも置いてある。聞けば、書店とは一軒一軒足を運んで直接交渉したとか。「どうせ仏教なんて…」などとやりもしないで、嘆くなかれ。青年僧の情熱に、きっと社会は答えてくれている。(秋田光彦)

*ネットでフリスタを読むこともできます。
http://www.freemonk.net/
2009年10月8日木曜日
見えない死を、見えるカタチにする。
死ぬと、私という存在が消滅するのではないか…そのような死後の行方の不確かさについて、人は恐怖心を抱きます。身近な人を喪った時も、「いまどこにいるのだろう」「本当に安らかに逝ったのだろうか」と不安をおぼえる遺族は少なくありません。
日本の仏教は、お釈迦さまが説かれた直説的な教えとは別に「いかに死すべきか」を説き、日本人固有の死生観をつくってきました。中でも浄土教は「極楽浄土に行って仏として生まれ変わる」と死後の世界を保証しました。つまり、生と死を連続した「いのち」としてとらえたのです。
昔、お寺は、病院や薬局の機能も兼ね備えた医療福祉センターとして成り立っていました。ご本尊のあるお堂はホスピスです。看取りも僧侶たちの役割であって、「病気をいかに治すか」よりも「安楽に往生させるか(看取ることができるか)」を追求していました。今風にいえば、スピリチュアルな痛みを緩和させていたわけですが、同じ信仰に支えられた者どうし、死へのソフトランディングを可能にしたのだと思います。
いま看取りの作法や文化がなくなりつつあります。臨終は家族から病院へ、葬儀も自宅から葬斎場へとアウトソーシングされていく。かつて家族が、共同体が喪の作業として協同してきたものが、外部サービへとス委託されることで、死が見えにくくなっています。いかに老い、いかに死ぬかは、年齢を重ねれば自ずと理解できるわけではない。後事は子どもにすべて任せるといえる人も今や少数派です。
少子高齢化の時代といえど、人間は誰の世話にもならず死ぬことはできません。血縁に頼る看取りが実現しにくくなっている今、死を孤立させずに、互いサポートする仕組みと関係が必要となっています。自分の死を、生前に準備する。固有の死を支えあうもうひとつの家族が必要になります。
それは、見えなくなった死を、見えるカタチにする(デザイン)ということと同義です。エンディングデザインの思想がそこから生まれます。(秋田光彦)
日本の仏教は、お釈迦さまが説かれた直説的な教えとは別に「いかに死すべきか」を説き、日本人固有の死生観をつくってきました。中でも浄土教は「極楽浄土に行って仏として生まれ変わる」と死後の世界を保証しました。つまり、生と死を連続した「いのち」としてとらえたのです。
昔、お寺は、病院や薬局の機能も兼ね備えた医療福祉センターとして成り立っていました。ご本尊のあるお堂はホスピスです。看取りも僧侶たちの役割であって、「病気をいかに治すか」よりも「安楽に往生させるか(看取ることができるか)」を追求していました。今風にいえば、スピリチュアルな痛みを緩和させていたわけですが、同じ信仰に支えられた者どうし、死へのソフトランディングを可能にしたのだと思います。
いま看取りの作法や文化がなくなりつつあります。臨終は家族から病院へ、葬儀も自宅から葬斎場へとアウトソーシングされていく。かつて家族が、共同体が喪の作業として協同してきたものが、外部サービへとス委託されることで、死が見えにくくなっています。いかに老い、いかに死ぬかは、年齢を重ねれば自ずと理解できるわけではない。後事は子どもにすべて任せるといえる人も今や少数派です。
少子高齢化の時代といえど、人間は誰の世話にもならず死ぬことはできません。血縁に頼る看取りが実現しにくくなっている今、死を孤立させずに、互いサポートする仕組みと関係が必要となっています。自分の死を、生前に準備する。固有の死を支えあうもうひとつの家族が必要になります。
それは、見えなくなった死を、見えるカタチにする(デザイン)ということと同義です。エンディングデザインの思想がそこから生まれます。(秋田光彦)
2009年9月11日金曜日
休眠宗教法人が不正行為の温床に。
NHKの朝のテレビで「休眠宗教法人が不正行為の温床となっている」というニュースがあった。暴力団によるお寺のっとり事件が報道されていた。
文化庁によると現在休眠中の宗教法人、神社仏閣は全国に4500もあり、立地がよく資産の多いお寺はターゲットになりやすいという。暴力団はまず有名寺院の肩書を騙り、お寺の経営難を救済すると新しい事業を持ちかけてくる。最初は親切に尽くしてくれるので、お寺側が信用すると、手のひらを返して墓地の名義を勝手に書き換えたり、最悪の場合登記も偽造して、のっとられたケースもあるらしい。休眠中のお寺にも新しい事業で再建したい焦りがあって、まんまと口車にのせられたという。
いかにもガードが甘い。といってしまえばそれまでだが、地方の一寺院に危機管理に万全を凝らせというのもさびしい。文化庁では、休眠の宗教法人を解散させて対応するというが、実態はどこまで明らかにできるのだろう。
休眠寺院は即廃寺では早晩仏教教団は衰退する。何とか別の形で寺を再建して、経営維持することはできないか。寺の事業といえば、墓地や納骨堂の分譲が代表的だが、いわば不動産事業であり、莫大な資金も要する。そこに暴力団もうまみを感じるのだろう。たとえば社会福祉法人と共同して、福祉介護施設をつくるとか、デイサービスのような公益性の高い拠点でもいい。いまはNPO法人という手法もある。地域住民に喜ばれ、公金投入の仕組みをつくることで、経営の透明性を高める。そういう新しい発想が生まれないだろうか。
寺が休眠化するのは、後継者難という事情も大きいと聞く。社会貢献型のお寺の事業であれば、そこにやりがいを感じる、有為な若者が「発心」に目覚めることもあるだろう。教団レベルの幅広い議論が必要だ。(秋田光彦)
文化庁によると現在休眠中の宗教法人、神社仏閣は全国に4500もあり、立地がよく資産の多いお寺はターゲットになりやすいという。暴力団はまず有名寺院の肩書を騙り、お寺の経営難を救済すると新しい事業を持ちかけてくる。最初は親切に尽くしてくれるので、お寺側が信用すると、手のひらを返して墓地の名義を勝手に書き換えたり、最悪の場合登記も偽造して、のっとられたケースもあるらしい。休眠中のお寺にも新しい事業で再建したい焦りがあって、まんまと口車にのせられたという。
いかにもガードが甘い。といってしまえばそれまでだが、地方の一寺院に危機管理に万全を凝らせというのもさびしい。文化庁では、休眠の宗教法人を解散させて対応するというが、実態はどこまで明らかにできるのだろう。
休眠寺院は即廃寺では早晩仏教教団は衰退する。何とか別の形で寺を再建して、経営維持することはできないか。寺の事業といえば、墓地や納骨堂の分譲が代表的だが、いわば不動産事業であり、莫大な資金も要する。そこに暴力団もうまみを感じるのだろう。たとえば社会福祉法人と共同して、福祉介護施設をつくるとか、デイサービスのような公益性の高い拠点でもいい。いまはNPO法人という手法もある。地域住民に喜ばれ、公金投入の仕組みをつくることで、経営の透明性を高める。そういう新しい発想が生まれないだろうか。
寺が休眠化するのは、後継者難という事情も大きいと聞く。社会貢献型のお寺の事業であれば、そこにやりがいを感じる、有為な若者が「発心」に目覚めることもあるだろう。教団レベルの幅広い議論が必要だ。(秋田光彦)
2009年9月6日日曜日
布施は宗教サービスの代価ではない。派遣僧侶という問題。
お盆最中にNHKの「おはよう日本」で「お盆ビジネス」(!)の特集があって、驚いた。極めつけは「僧侶派遣会社」からの実況中継。会社の会議室で、スーツ姿の社長を剃髪した僧侶たちが取り囲む場面。銘々に手帳を持ち、「派遣」のスケジュールを確認していた。僧侶たちは地方寺院の住職らしく、「檀家が数十軒で、成り立たない」から「出稼ぎ」に来たとインタビューに答える。あまりのあからさまぶりに、見ているこちらが赤面するほどだった。「僧侶プロダクション」にあって、まったく自省する影もない。
首都圏では檀那寺を持たない人が圧倒的に多い。そこに葬儀ができると市場が生まれて、業者が僧侶を斡旋する。お布施は「派遣サービス料」で、リベートは4割とも5割ともいわれる。「迅速丁寧」「院号も安い」「面倒なお寺とのつきあいもなし」等々、ここでは僧侶は「便利屋」と同格の扱いである。
日本にお寺は8万もあるが、じつはお寺だけで経営が成り立つ寺院は首都圏・大都市部の3割程度といわれている。反対に地方寺院は過疎の極みにあり、葬儀がひとつあると1軒檀家が減るといわれる。当然住職専業ではやっていけないから教員や公務員を兼職する僧侶が多い。首都圏に「出稼ぎ」せざるを得ない、地方寺院の疲弊こそ問題なのだ(しかし、宗派や仏教会がこぞってこの問題に取り組もうという動きも聞かない)。
布施はあくまで布施であって、サービスの代価ではない。在家信者にとって仏道の実践行のひとつとして、本尊に施し供えるものでなくてはならない。それが「建前」であったとしても、その前提が崩れると、仏教の布施はすべてお金で買う消費行為になってしまう。だから不要であれば、買わなければいいのだ。例の直葬もその延長線上にある。
映画「おくりびと」では、日本人の死者に対する敬意や親密感が描かれ、多くの感動を呼んだ。死者を懇ろに葬り、供養するという営みは、逝く者と残された者が交わす、人間のもっとも崇高なコミュニケーションであるはずだ。そこに位置付けられてこそ、葬式仏教の本当の存在感があるはずなのに、それがビジネスの具と化していくのは、碑文谷創さんではないが、「死者への冒涜」に等しい。
しかし、テレビの派遣僧侶たちには悪びれる様子もなく、あっけらかんとしていた。すでに実態は不信用を超えて、自明のものになっているのかもしれない。宗教サービスは織り込み済みであって、目くじらたてるほどのこともない。そんな無自覚ぶりが恐ろしい。
(秋田光彦)
首都圏では檀那寺を持たない人が圧倒的に多い。そこに葬儀ができると市場が生まれて、業者が僧侶を斡旋する。お布施は「派遣サービス料」で、リベートは4割とも5割ともいわれる。「迅速丁寧」「院号も安い」「面倒なお寺とのつきあいもなし」等々、ここでは僧侶は「便利屋」と同格の扱いである。
日本にお寺は8万もあるが、じつはお寺だけで経営が成り立つ寺院は首都圏・大都市部の3割程度といわれている。反対に地方寺院は過疎の極みにあり、葬儀がひとつあると1軒檀家が減るといわれる。当然住職専業ではやっていけないから教員や公務員を兼職する僧侶が多い。首都圏に「出稼ぎ」せざるを得ない、地方寺院の疲弊こそ問題なのだ(しかし、宗派や仏教会がこぞってこの問題に取り組もうという動きも聞かない)。
布施はあくまで布施であって、サービスの代価ではない。在家信者にとって仏道の実践行のひとつとして、本尊に施し供えるものでなくてはならない。それが「建前」であったとしても、その前提が崩れると、仏教の布施はすべてお金で買う消費行為になってしまう。だから不要であれば、買わなければいいのだ。例の直葬もその延長線上にある。
映画「おくりびと」では、日本人の死者に対する敬意や親密感が描かれ、多くの感動を呼んだ。死者を懇ろに葬り、供養するという営みは、逝く者と残された者が交わす、人間のもっとも崇高なコミュニケーションであるはずだ。そこに位置付けられてこそ、葬式仏教の本当の存在感があるはずなのに、それがビジネスの具と化していくのは、碑文谷創さんではないが、「死者への冒涜」に等しい。
しかし、テレビの派遣僧侶たちには悪びれる様子もなく、あっけらかんとしていた。すでに実態は不信用を超えて、自明のものになっているのかもしれない。宗教サービスは織り込み済みであって、目くじらたてるほどのこともない。そんな無自覚ぶりが恐ろしい。
(秋田光彦)
2009年8月20日木曜日
死生観を取り戻す。お墓を起点とした、もうひとつの共同体づくり。
本稿は仏教タイムスから依頼されて寄稿したものです。9月上旬に掲載の予定。
映画「おくりびと」は、われわれ僧侶の間では「宗教抜き」の映画として話題となった。「葬儀」を扱って大ヒットしたこの映画には、宗教の教えはもちろん、住職も寺もていねいに取り除かれていて、まったく姿がない。制作側は、特定の宗教色に偏向することを警戒したのだろうが、また今さら日本人誰にも共通する死生観などすでにないことを承知していたのではないか。たいせつなものは個々人の思いであって、融通の利かない死生観に拘泥されるものであってはならない。そういう規範や因習より個人の自由な価値観が優先されるべき、という風潮は、最近のスピリチュアルブームにも通底するものがある。
もとより死生観は個人の面貌ほど多様であることに異論はない。「宗教なき死生観」も否定しない。しかし、死生観は人生の経験と学習の中で熟度を深めるものであって、ろくに思索も対話もないまま、「自分らしくありたい」と何でも好き勝手をすることと意味が違う。逆にそういう個人の小さな経験を積み重ねながら、全体のコンセンサスを規範として高めていく共同体のありかたに無関心であっていいのか。
2002年から、大蓮寺の墓域に生前個人墓「自然」という新しい考え方の墓を設けた。すでに申し込みをされた会員は80名を超えたが、大方はまだ元気な人たちで、年三回の合同供養のほかに、セミナーやバスツアー、懇親会等で互いの交流を深めてきた。生前に個人の資格でお墓を準備するということは(申し込みを受けた直後に個人の墓碑を建碑する)、死を見据えてこれからを生きるということであり、それを血縁を超えて会員どうしで支えあおうというのが、この墓のポリシーだ。最初は一人ひとりは他人でも、「自然」を出会いの場として、やがて互いを供養しあえるような、共同体的な関係づくりを目指している。
一般に年齢を重ねれば、自ずと死生観は深まるというが、どうもそれは疑わしい。「自然」申し込みに際し、これまで200人以上の中高年と面談してきたが、熟年世代であっても、痩せた死生観しか持ち合わせない人も少なくない。かつては地域共同体の中で継承されてきた生死にまつわる作法や知恵が途絶え、現代ではそれに代わってインターネットで収集したような情報や知識が幅を利かす。しかし、死生観とは検索エンジンで手軽に巡りあえるものではないだろう。
「自然」の場合も、個人墓といいながら、その根幹を成しているのは会員どうしがともに向き合う生死の共同体験だ。入会当初は戸惑いがちだった会員たちも、お寺が織りなすさまざまな「場」から、死生観の基本を学びとっていく。毎年夏に行う会員セミナーでは、葬送の変化の様々を学習しているし、生前戒名授与の道場には、すでに会員の七割が結縁した。
日本全国に8万もの寺があるというが、私は、寺こそがそれぞれの地域における死生観形成の拠点でなくてはならないと思う。
役所も学校も親も教えてくれない「いのち」「生死」について、地域社会に問い続け、また学びの場を持続的に提供すること。葬儀や墓についての学習や相談は、その入り口として誰にも馴染みやすいものだろう。また、「いのち」の視点から積極的に社会問題にも関心を寄せていってほしい。このたび実施した大蓮寺のエンディングセミナーでも、グリーフケアや在宅ホスピス、脳死・臓器移植問題などを話題に取り上げたが、いずれも生死の問題を「私事」に閉じ込めずに、たえず公共的な視点で問い返して、開かれた関係をつくりあげていくことをねらいとしている。当事者のみならず、専門家や市民を巻き込み、多様な知恵と実践を出し合うことによって、地域全体の潜在力を高めていく。それはやがて、死生観についての共感や合意を育み、「いのち」を主体としたまちづくりへとつながっていくだろう。
「死生観なき現代」に向けて、生死の道を架橋するのは仏教の大きな使命である。それも、上から目線の布教伝道ではなく、地域の暮らしや人々の生き方と対話、協働を通して、仏教の実践的強度を高めていかなくてはならない。同時にそういう臨床的な態度から数々の仏典を読み込めば、それぞれが「生きる思想書」として新たな指標を与えてくれるにちがいない。大蓮寺の塔頭應典院では、この秋から現代人に向けたさまざまな仏典講座も開催する。
その地平の行方に、日本人の死生観を支えてきたゆたかな土壌として、日本仏教の可能性が再び見出せる、と思う。
(秋田光彦)
2009年8月14日金曜日
少子化時代の「供養」をどう考えるか。お盆に想うこと。
お盆のこの時期、私たち僧侶は「棚経」といって連日檀家さん宅を回ってお経をあげていますが、伝統的な先祖供養の中で大きな変化を実感することがあります。
複数の檀家さんから同様の相談を受けました。
「妻の生家の仏壇(位牌)を、当家(婚家)で祀りたい」。
そうしなければ、妻の実家の先祖を供養することが守っていけない。供養の途絶です。今後、少子化が加速すると、これまで家族直系で継承されてきた供養の保証がますます難しくなってくることでしょう。私が死んだら、いったい誰が供養をしてくれるのか。そういう「供養の不安」は、いまや日本人の共通の危機感としてじわりと浸透しはじめています。
日本人の供養とは、絶えず「先祖」という血縁とセットで継承されてきました。相手の顔は知らずとも、代々の祖先を祀り、子々孫々に引き継いでいく。それが「家」を基軸とした、いのちのつながりを形作ってきました。ふだんそんなことに意識はなくても、お盆やお彼岸という国民的行事を通して、日本人の霊的な感性は自然と養われてきたともいえるでしょう。
ところが、少子化時代となって、ドラスチックな変化が起きます。家が縮んで、仏壇や墓の継承が困難となり、供養が途絶していく。それを恐れる心理からか、「(死後)迷惑をかけたくないから」散骨・自然葬を選ぶ人も少なくないと聞いたことがあります。また「供養の不安」という問題は、何でも自己決定すればいいと、安易な市場主義をはびこらせる要因ともなっています。
現実の供養システムが、家族を基軸としている限り、やがて機能不全を来すことは想像に難くありません。では、明日の供養をどう救済すればいいのか。私は血縁による供養が難しくなったいま、「結縁」による供養のシステムづくりを考えなくてはならないと思います。いわば血縁に頼らない、もうひとつの家族づくりです。供養のネットワークといってもいい。
その実践の取り組みとして、2002年から大蓮寺で始めた「生前個人墓・自然(じねん)」について、次回から述べていきたいと思います。(秋田光彦)
複数の檀家さんから同様の相談を受けました。
「妻の生家の仏壇(位牌)を、当家(婚家)で祀りたい」。
そうしなければ、妻の実家の先祖を供養することが守っていけない。供養の途絶です。今後、少子化が加速すると、これまで家族直系で継承されてきた供養の保証がますます難しくなってくることでしょう。私が死んだら、いったい誰が供養をしてくれるのか。そういう「供養の不安」は、いまや日本人の共通の危機感としてじわりと浸透しはじめています。
日本人の供養とは、絶えず「先祖」という血縁とセットで継承されてきました。相手の顔は知らずとも、代々の祖先を祀り、子々孫々に引き継いでいく。それが「家」を基軸とした、いのちのつながりを形作ってきました。ふだんそんなことに意識はなくても、お盆やお彼岸という国民的行事を通して、日本人の霊的な感性は自然と養われてきたともいえるでしょう。
ところが、少子化時代となって、ドラスチックな変化が起きます。家が縮んで、仏壇や墓の継承が困難となり、供養が途絶していく。それを恐れる心理からか、「(死後)迷惑をかけたくないから」散骨・自然葬を選ぶ人も少なくないと聞いたことがあります。また「供養の不安」という問題は、何でも自己決定すればいいと、安易な市場主義をはびこらせる要因ともなっています。
現実の供養システムが、家族を基軸としている限り、やがて機能不全を来すことは想像に難くありません。では、明日の供養をどう救済すればいいのか。私は血縁による供養が難しくなったいま、「結縁」による供養のシステムづくりを考えなくてはならないと思います。いわば血縁に頼らない、もうひとつの家族づくりです。供養のネットワークといってもいい。
その実践の取り組みとして、2002年から大蓮寺で始めた「生前個人墓・自然(じねん)」について、次回から述べていきたいと思います。(秋田光彦)
2009年7月31日金曜日
スピリチュアルケアと宗教的ケアの不幸な関係?
先月、高知で開かれた日本在宅ホスピス・ケア研究会の全国大会に参加してきました。一昨年、飛騨で開催された大会では、「日本人の心性に適ったスピリチュアルケア(SC)」について前向きな議論があり、期待をしていましたが、今回はいささか失望しました。
スピリチュアルケア(SC)については、シンポジウム「死の恐怖に打ち勝つために」を聴講しました。カールベッカー先生(仏教)や高木慶子先生(キリスト教)と並んで、前世療法を奉ずる内科医や元幸福の科学幹部(!)であった病院理事(おふたりとも臨床医です)が登場しましたが、その見識に違和感を抱いたのは私だけでしょうか。在宅医療の議論の場に、宗教の実践家を招く意気は評価しますが、臨床医であれば宗教は何でも一緒くたなのでしょうか。失礼ながら企画者の節操を少々疑ってしまいました。
SCとは「霊的ケア」とか「魂のケア」と訳され、主には緩和ケアにおいて、末期患者のスピリチュアルペインを和らげるケアをいいます。キリスト教社会の欧米であれば、聖書を携えたチャプレンの登場かもしれませんが、無宗教な日本ではこれがよく理解されないまま、さきほどのような何でもありの様相を呈しています。そもそもSCが人間の実存的課題というより、切迫した医療的課題として扱われてきた経緯があるからか、宗教的ケアの何たるかをよく論じないまま、双方は完全に線引きされているように見えます。
もちろんスピリチュアリティと宗教に対する考え方は人それぞれです。宗教的ケアが何よりも万能とも思えません。しかし、臨床においてはスピリチュアリティと宗教はともに重要なのであって、両者は融合こそ必要であって、無視したり反目しあってはならないと思います。互いを包摂しあうような統合的な思考シフトがなぜ実現しないのでしょうか。
宗教は世の東西を問わず、「いかに死ぬか」という実存的命題を時間をかけて極めてきたものです。日本の浄土教などはその歴史的精緻ともいえるものですが、そういった日本人の伝来の叡智に学ぼうとせずに、欧米風の新説を取り入れたり、挙句に怪しげな宗教信奉者まで登場させるのは、宗教に対する不信あるいは警戒からなのでしょうか。
私はこの世界での仏教の復権を主張しているのではありません。浄土教と幸福の科学を一緒くたにするなと憤慨しているわけでもない。ただ少なくとも、日本人の死生観というからには歴史的な時間をかけて鍛錬されてきた思想的強度が不可欠であって、それがスピリチュアルな臨床を含めて生活文化の基層となるのでしょう。
医療では「死は終末」ですが、日本人の伝統的な死生観は「死は新しい旅立ち(往生)」と受け止めてきました。死んだらみなホトケであり、その生まれ変わりのシステムとして葬儀や年回法要、墓や仏壇が永く維持されてきたのだと思います。日本人は身近な死を通して、自らの死を写し取ってきたのだし、先祖という総体にいのちのつながりを感じ取ってきました。「葬式仏教」のレッテルの奥には、じつは営々と築かれた日本人のスピリチュアリティの可能性が秘められている。死生の哲学として、もう一度仏教に学ぶ時が来ていると思います(末木文美士さんの「仏典をよむ~死からはじまる仏教史」を読んでみてください)。
しかし、そうならないのは、仏教の側の責任も大きい。いまの僧侶の大方が、自家撞着を来たし、教団関係以外の人前でまともに対話できるとも思えない。業界だけで使いまわされてきた仏教の言葉は手垢にまみれ、干からびてしまっているともいえます。
ですから、これには布教とか折伏という一方的な支配原理ではなく、公共的な視点から仏教を見直し、市民の言語でこれを再構築していく、というダイナミックな上書き作業が必要なのだと思います。最近はどの教団でもビハーラ(仏教版ホスピス)が流行のようでそれは結構なことですが、またぞろ同宗の人間だけを対象に、教義の活用だけを優先しているようであれば、元の木阿弥です。同業者だけで自己完結させるのではなく、医療者も含め市民と対話や協働を重ね、ともに開発していくような姿勢が肝要だと思います。その試行も(このブログで紹介した(6月10日)NPO法人ビハーラ21のように)、ゆっくりとですが、始まっています。
最後にもう一言。そもそもSCとは、末期患者さんのベッドサイドだけで成立するものではありません。地域の生活や暮らし全体の中で醸し出される、互いを思い、慈しみ、支えあう関係性こそ、日常のSCだと思います。その気づきや促しをどう試みるか。日本に8万あるお寺が、それぞれの地域におけるスピリチュアル教育の拠点となればいい。私たち大蓮寺や應典院の活動も、その同一線上にあります。 (秋田光彦)
スピリチュアルケア(SC)については、シンポジウム「死の恐怖に打ち勝つために」を聴講しました。カールベッカー先生(仏教)や高木慶子先生(キリスト教)と並んで、前世療法を奉ずる内科医や元幸福の科学幹部(!)であった病院理事(おふたりとも臨床医です)が登場しましたが、その見識に違和感を抱いたのは私だけでしょうか。在宅医療の議論の場に、宗教の実践家を招く意気は評価しますが、臨床医であれば宗教は何でも一緒くたなのでしょうか。失礼ながら企画者の節操を少々疑ってしまいました。
SCとは「霊的ケア」とか「魂のケア」と訳され、主には緩和ケアにおいて、末期患者のスピリチュアルペインを和らげるケアをいいます。キリスト教社会の欧米であれば、聖書を携えたチャプレンの登場かもしれませんが、無宗教な日本ではこれがよく理解されないまま、さきほどのような何でもありの様相を呈しています。そもそもSCが人間の実存的課題というより、切迫した医療的課題として扱われてきた経緯があるからか、宗教的ケアの何たるかをよく論じないまま、双方は完全に線引きされているように見えます。
もちろんスピリチュアリティと宗教に対する考え方は人それぞれです。宗教的ケアが何よりも万能とも思えません。しかし、臨床においてはスピリチュアリティと宗教はともに重要なのであって、両者は融合こそ必要であって、無視したり反目しあってはならないと思います。互いを包摂しあうような統合的な思考シフトがなぜ実現しないのでしょうか。
宗教は世の東西を問わず、「いかに死ぬか」という実存的命題を時間をかけて極めてきたものです。日本の浄土教などはその歴史的精緻ともいえるものですが、そういった日本人の伝来の叡智に学ぼうとせずに、欧米風の新説を取り入れたり、挙句に怪しげな宗教信奉者まで登場させるのは、宗教に対する不信あるいは警戒からなのでしょうか。
私はこの世界での仏教の復権を主張しているのではありません。浄土教と幸福の科学を一緒くたにするなと憤慨しているわけでもない。ただ少なくとも、日本人の死生観というからには歴史的な時間をかけて鍛錬されてきた思想的強度が不可欠であって、それがスピリチュアルな臨床を含めて生活文化の基層となるのでしょう。
医療では「死は終末」ですが、日本人の伝統的な死生観は「死は新しい旅立ち(往生)」と受け止めてきました。死んだらみなホトケであり、その生まれ変わりのシステムとして葬儀や年回法要、墓や仏壇が永く維持されてきたのだと思います。日本人は身近な死を通して、自らの死を写し取ってきたのだし、先祖という総体にいのちのつながりを感じ取ってきました。「葬式仏教」のレッテルの奥には、じつは営々と築かれた日本人のスピリチュアリティの可能性が秘められている。死生の哲学として、もう一度仏教に学ぶ時が来ていると思います(末木文美士さんの「仏典をよむ~死からはじまる仏教史」を読んでみてください)。
しかし、そうならないのは、仏教の側の責任も大きい。いまの僧侶の大方が、自家撞着を来たし、教団関係以外の人前でまともに対話できるとも思えない。業界だけで使いまわされてきた仏教の言葉は手垢にまみれ、干からびてしまっているともいえます。
ですから、これには布教とか折伏という一方的な支配原理ではなく、公共的な視点から仏教を見直し、市民の言語でこれを再構築していく、というダイナミックな上書き作業が必要なのだと思います。最近はどの教団でもビハーラ(仏教版ホスピス)が流行のようでそれは結構なことですが、またぞろ同宗の人間だけを対象に、教義の活用だけを優先しているようであれば、元の木阿弥です。同業者だけで自己完結させるのではなく、医療者も含め市民と対話や協働を重ね、ともに開発していくような姿勢が肝要だと思います。その試行も(このブログで紹介した(6月10日)NPO法人ビハーラ21のように)、ゆっくりとですが、始まっています。
最後にもう一言。そもそもSCとは、末期患者さんのベッドサイドだけで成立するものではありません。地域の生活や暮らし全体の中で醸し出される、互いを思い、慈しみ、支えあう関係性こそ、日常のSCだと思います。その気づきや促しをどう試みるか。日本に8万あるお寺が、それぞれの地域におけるスピリチュアル教育の拠点となればいい。私たち大蓮寺や應典院の活動も、その同一線上にあります。 (秋田光彦)

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