2010年12月5日日曜日

「同治」によるコミュニティの力

(前回12月2日ブログから引き続きお読みください)

 應典院寺町倶楽部の名物企画で、2000年からほぼ毎月開催してきた「いのちと出会う会」が、11月に通算100回目を迎えました。私も世話人に名を連ねていますが、この功績は代表世話人として、この会とともに励んでこられた石黒良彦さんの尽力によるものです。
 さて、会の報告は別に譲るとして、「スピリチュアルケアと言わないスピリチュアルケア」の可能性として市民学習の試みがあります。「いのちと出会う会」も「大蓮寺・エンディングを考える市民の会」も同様の場ですが、双方に通じるのは、大人が死生観について学ぶ場であることです。
 死生観は、これが正解というものがありません。昔は、仏教が大きな物語として作用してきましたが、現代は個人がバラバラになって、一人ひとりが自分の死生観を探しださなくてはならない時代です。世代間で引き継がれてきた伝統も、少子化と家族の多様化で、継承が難しい。インターネットで引っ張ってくるのは、知識や情報であって、「観」という考え方、あるいは生き方というようなものになっていない。そこに、市民学習の可能性があると思うのです。
 「いのちと出会う会」は、在宅ホスピスや成年後見制や葬儀の実際など、講師が情報を提供する学習もあるのですが、とくに特長的なのは、その後の語りあいです。参加者が裃を脱いで、今日の話題を共有しながら、少しお酒も入れながら意見交換をする。そこには問題解決してくれる専門家がいるのではなく、参加者同士が対等の関係で、共感の関係を紡いでいきます。時に死別体験やがん体験を、語り合うことも。誰かの言葉に耳をそば立て、そのことが他者に対する信頼となり、自己への安心となります。この「同治」の体験があって初めて、人は自分の中の死生観というものを養うのだと思います。誰かにケアしてもらう「対治」的なスピリチュアルケアではなく、皆でケアしあう、「同治」のスピリチュアルワークといった方がいいのかもしれません。
 そういう体験は、ネットで共有することは難しいものです。皆が対等に集えるリアルな場と、石黒さんのような市民の立場から場をつなぐような存在が必要となります。そして、この場に参加した人たちが、今度は自分の家庭や職場や地域に帰ってから、石黒さん同様につなぎ手となってくだされば、スピリチュアル・ワークはさらに拡がっていくことでしょう。
 「弱さ」には、周囲の人がそれ見捨ておけない、何とかしないではいられない、という求心力心があります。それは、人間の内部に秘められた「慈悲心」といってもいい。弱者がいたら、すぐに社会保障やサービスに頼る(そして、気に入らなければ文句を言う、という消費者的態度!)のではなく、それを支えあう「同治」によるコミュニティの力を私は信じたいと思います。
 枯渇した日本人の死生観も、そういうつながりの中から、次第ににじみ出してくるものであってほしいと願っています。≪おわり≫(秋田光彦)

2010年12月2日木曜日

スピリチュアルケアと言わないスピリチュアルケア

 先月20日、府立の急性期総合医療センターが主催のシンポジウム「生と死を考える~がん医療とスピリチュアリティ」に出演しました。府立の総合病院が「死」をテーマに企画をし、しかも満場の聴衆が集まったことは、時代の変化を肌で感じました。
 私も黒衣に輪袈裟で登壇しましたので、十分目立ったかと思いますが、ドクターやチャプレンと並んで意見を交わしました。自ずと議論の中心は、がんの緩和ケアからスピリチュアルケアへと移っていきました。
 僧侶がこういう場に出てくると、ビハーラとか僧医とかいって、新しいお坊さんの臨床への参加と持ち上げられるのですが、それは言うほど簡単なことではありません。お隣の韓国などは総合病院内に宗教別の部屋があって、そこに宗教者が常駐しているのは当たり前ですが、日本では教団経営の病院以外は、皆無に等しいのが実態です。それほど「「葬式仏教」に対するアレルギーは強いのでしょう。また、それを口実に、仏教者側も一向にこの課題に取り組もうとしない。現実は、一部の良心的な宗教者によって、個別に執り行われているのであって、日本で言う「スピリチュアルケア」は絶えず宗教と切り離して考えられてきました(もともとWHOの健康の定義に、スピリチュアルケアを提案したのはイスラム諸国です。理由は明白ですね)。
 もちろん、仏教者の臨床参加もたいせつな実践なのですが、だからといってスピリチュアルな活動が全部病院の中に、ベッドサイドの現場にある、と捉えていいとは思いません。それは、「ケア」という言葉を用いた瞬間、ケアギバー(ケアしてくれる人)とクライアント(患者)という二者関係を連想してしまうこととも通底しています。そもそもスピリチュアルケアとは、病院内の専門用語なのでしょうか。
 年間120万人が亡くなる多死な社会にあって、「治す」医療は限界と言われています。在宅医療や訪問医療も徐々に浸透し、じつは住み慣れた家で最期を迎える人たちも微増しています(2005年の79.8%をピークに、病院死は以後微減しています)。もちろん、在宅死であっても専門職の支援は欠かせませんが、人生の最後の時間を、一緒に過ごす家族や地域との関係は、スピリチュアルケアとは言わないのでしょうか。
 「同治」と「対治」という仏教の言葉があります。例えば熱が出て、その対処法がふたつあります。水で冷やして治すのが「対治」、うんと汗をかかせて治すのが「同治」です。病院というところは、何かをしてもうところなので、自ずと関係は「対治」にならざるを得ない。外科手術も投薬もすべて高等な技術としての「対治」です。しかし、その手前に、私たちの日常の生活や暮らしの中に、それ以上の「同治」の可能性があるはず。スピリチュアルケアとは、これまで「対治」してきたケアを、「同治」の関係へと取り戻すような意味があるのかもしれません。
 シンポジウムの席で私は、「スピリチュアルケアとは言わないスピリチュアルケア」を提唱しました。本来、スピリチュアリティとは生活や暮らしの中にあるもので、自分たちがさまざまな関係性の中から育んでいいくものだと。大蓮寺の「エンディングを考える市民の会」や、應典院の「いのちで出会う会」などの活動は、まさに他者や地域、社会とふれる、貴重な機会となっているのではないでしょうか。(秋田光彦)
≪この項つづく≫

2010年11月28日日曜日

シンポジウム「生と死を、今考える」を聴講して

去る11月20日に相愛大学×府立急性期・総合医療センター連携シンポジウム「生と死を、今考える」に参加した。
最初に驚いたのは、病院の入口からシンポジウム会場に向かうまでに、案内文が各所に貼られていたが、公立病院内であるのに「死」という文字が躍っていたことだ。今、「生と死」ということについて真剣に考える時代になったのだと感じ、「死」を思うということが確実に我々にとって身近なことになってきているのだと思った。

 冒頭、相愛大学の記念コンサートがあり、リラックスしたところでシンポジウムが始まった。最初の基調講演では「がん治療最前線と緩和ケア、ターミナルケアの諸問題」で府立急性期 田中診療局長の話があった。まさに日進月歩のがん治療の最前線について具体的に話して頂き、ロボット手術など今後の新しい治療法についての可能性についてお聞きし、将来に希望を感じた。また緩和ケアについてはチームとしてのアプローチが重要であり、今までのように終末 = 緩和ケアではなくて、早期の段階から緩和ケアの必要性を訴えられた。最後に医療現場の現在の問題点として、外科医になりたい人が少なくなっており、人手不足で困っている、医師でなくても出来ることの負担を取ってもらえれば、と講演を締めくくられた。
 確かに医療の人材不足は大きな問題である。何でも専門家任せではなく、我々市民と医療側との相互理解が深まれば、またそのために今回のような市民講座を開催されたのであろうが、その必要性を感じた。
 2つ目の基調講演では相愛大学の釈徹宗教授が「スピリチュアルケアの可能性」について講演をされた。スピリチュアルケアとは痛み(ペイン)を取り除く作業ではなく、その人の死生観にかかわるものであり、自分という存在そのものに関する問いへの寄り添いである。また「宗教的ケア」と「スピリチュアルケア」は違うものであり、「スピリチュアルケア」は伝統宗教にコミットしない人たちに必要なものであるが、本来は伝統的な価値を持つ宗教をもっと活用すべきであると思う、と強調された。釈さんは「慈悲の瞑想」という言葉を出され、人間は「死」を活用して生きることが出来る。宗教には「死のイメージトレーニング」という役割を持っている。「もし明日、死ぬとしたら」とリアルに死をイメージする、そうして普段の自分の価値観の枠組みが揺さぶられ再構築していく、つまり日常を点検していく作業が必要である。また「つながり」と「共振」という言葉を出され、「共振」について、同じ生と死の物語を共有する人同士でないと、宗教の救いは語れないし、共振現象が起こりにくい。生と死を超えるリアルな世界は共振現象でなければ成立しないと言われた。
釈さんは最後にこれからの可能性として、3つのトライアングルがあり、一つはエビデンスに基づいた医療(EMB)、その相対的な概念としての患者の主観的なナラティブに基づく医療(NBM)、そして地域(NPOなど)と連携、関連し合うことで生まれる医療、この3つのトライアングルが響きあって、新たな、本当の意味での医療の連携が生まれるのではないかと提起された。
 やはり釈さんが最後に言われた地域コミュニティの連携なくして、再生は有り得ないと思う。それを取り戻すのは決してハードルは低くないが、コミュニティの構築が大切になると思った。スピリチュアルケアはマニュアルのない、一人一人が違ったペインを持っている。難しい領域だ。

 シンポジウムの最後として、「がん医療とこころのケア」と題されたパネルディスカッションがあり、大蓮寺の秋田光彦住職、チャプレンの打本未来さん、府立急性期 吉田緩和ケアチーム長が加わって交わされた。 チャプレンの打本さんは、患者さんと2時間近くのお話しの中で、その人の人生を振り返る作業(ライフレビュー)をし、その人の歩んでこられた人生はどういうものだったのか、その人が人生の過程でぶち当たった問題に対してどうやって解決していったのかを聞き、それを話の中で参考にすると言われた。また関係性が崩れてしまった家族の場合に呼ばれることが多いという。
 秋田住職は、緩和ケアとスピリチュアルケアは元来違うものであり、そして当事者を主体としたスピリチュアルワークを積み上げていくには、「地域」こそふさわしい。一人の人間として裸になって向き合わなければならない。地図で区切られた「地域」ではなくて、場所、立場は違っても、同じ問題意識や境遇で集まってくる「コミュニティ」の再編が大切である(例えばがんコミュニティ)。また、死に対する自覚がないまま、何でも病院にお任せする前に、まず自らの死生観を学ぶことから始めなくてはならない、「今」を考えて生きることが何よりも大切であると言われた。
 秋田住職が言われた、「痛みは、悼みとも通じる。悼んでくれる誰かと出会う、悼み、悼まれる関係を整えることが必要」というのが身に沁みた。コミュニティの再構築が本当に重要だと思った。一年に一回でいいから、まず身近な家族から、こういった死生観を話し合うことから始めてみてはどうだろう。

 最初にも書いたが、府立病院が「死」という課題に取り組み、シンポジウムを開催されたのは画期的な進歩だと思う。我々市民も一緒になって、もっと「生と死」、「死生観」について考える必要性を感じた。(浦嶋偉晃)

2010年11月23日火曜日

死刑と市民と死生観

■市民が選択した極刑
 市民がかかわる裁判員裁判で、初めて死刑が選ばれました。
 11月16日、横浜地裁は、麻雀店経営者ら2名の殺害事件の被告に対し、その計画性、残虐性から死刑判決を言い渡しました。市民が自ら命の裁きを下したことになります。
今回の裁判では、事実関係の争いはありませんでした。被告は裁判当初は同情や共感を拒み、自ら死刑に追い込むような言動が目立ちました。それが審理を経るうちに「心情が変わっていくのが、よくわかった」(裁判員の男性)といいます。「被告に人間性は残っている。わずかでも死刑をためらう気持ちがあれば、死刑にしてはならない」(弁護人弁論)。そして、市民が加わって3日間の評議を経た結果の判決は、被告の人間性を問いながらも、極刑の選択をしました。
これまでは「お上にお任せ」の裁判でしたが、去年、裁判員裁判制度が始まって以来、急速に市民の関心は高まっています。量刑の如何にかかわらず、判決という究極の判断から誰もが逃れられなくなったからです。人権の立場から「死刑反対」というのは簡単だが、自分が裁く側となった時、その主張を貫くことが可能なのか、国民全員に重い課題が突き付けられています。

■他者の死と向き合う
 当初、裁判員制度立案の経緯では、裁判員のストレスなどを考慮して、刑の軽い事件から対象とすべき、という声があったといいます。しかし、それでは本当の司法の参加にならない。人の生死がかかる重大な犯罪にこそ、市民の良識を反映させる必要があるとされました。「裁判員が実際に判断することで、死刑が刑罰として適切なのか、今でも日本に必要なのかを社会全体で考えることにもつながる。制度を維持するなら、私たち1人1人が責任をもって向き合う必要がある」(土井真一京大教授)。
 市民社会は、それまでの「お任せ民主主義」を批判して生まれました。社会における重大な決定を、お上に任せるのではなく、自分たちに主体を取り戻そうという運動の結果でもありました。裁判員制度の誕生にも、その精神は活かされているはずで、「死刑判決だけは別」とはいかないのです。
今回の判決の結果は、尊重しなくてはなりません。今後、死刑を含む司法参加は進んでいくことでしょう。同時に、「司法的殺人」として死刑に反対する声についても熟慮を重ねなくてはなりません。死刑に市民が皆、向き合わなくてはならないのです。
 私は、もう1つ、今回の死刑判決が日本人の死生観にも大きな影響を及ぼす、と感じています。人間は一般に自己を中心に、家族や同僚、知人といった、親しい2人称の死までしか体験することはありませんでした。それが生死のかかる裁判では、自分が他者の死に意識的に関与し、責任を負い、公正な判断をしなくてはなりません。「最期まで自分らしく」というようなフレーズが委縮してしまうほど、「他者の死」は冷徹なほど自己の死生観を相対化していきます。
 判決言い渡し後、裁判員の一人は記者会見でこう発言しています。
 「日本がいまどんな状況にあるかを考えると、一般国民が裁判に参加する意味はあると思う」(趣旨)。
 犯罪、裁き、償い…そして、人間性とは何か。市民社会における死生観とは、個人の生死のみならず、そういう重く深い命題を引き受けていかざるを得ない、と思います。(秋田光彦)

*本稿は、11月16日、17日の各新聞報道を参考にしました。

2010年11月16日火曜日

無縁社会に、お寺にできること。

■家族の変化と不安

 社会の無縁化が進んでいます。人間関係や個人と地域とのつながりが急速に希薄になっており、葬送の分野でも、意識の変化は顕著です。
 読売新聞の本年の世論調査によれば、「誰と一緒に墓に入りたいか」という質問に対し、「配偶者」が最多の67%、「先祖」の27%を大きく上回ったといいます。94年調査の同じ質問が「配偶者64%・先祖33%」だっただけに、血縁意識の変化を読み取ることができます。
 自分の葬式を行う場合は、「身内と親しい人だけ」「家族だけ」を合わせると60%の人が内輪で行う、と回答、そもそも葬式とは「家」の世代交代や後継者を世間に知らせる意味がありましたが、こうした役割も低下してきているといえるのでしょうか。家族の絆やまとまりが、「弱くなってきている」と感じる人も、80%を超えています。
 むろん、無縁化には社会的な原因があります。90年には親や祖父母との同居は61%で、単身世帯や、夫婦のみ世帯は39%でしたが、今や後者は50%を超えている。同時に、一人暮らしになり面倒を見てくれる人がいなくなる不安を、「感じている」人は52%と半数を超え、高齢者ほどその不安の数値が上がっていきます。無縁化は、単純に「人の心が荒んだ」だけでなく、家族や世帯の形態の変化という大きな要因が横たわっています。
 「消えた高齢者」が多発する昨今、もはや家族のことは身内で、とはいかなくなりつつあります。

■月詣りで定期訪問

 ひとり住まいの高齢者にとって、大きな不安は孤独です。
 地域による助けあい、といっても、地縁そのものも弱まっており、昔ながらの近所づきあいだけに任せられるわけではありません。役所でも、見守りのためのさまざまな取り組みを実践しているようです。
 関西のお寺には、月詣りの習慣があります(首都圏には、ありません)。毎月のお命日に僧侶がご自宅を訪問して、ご先祖さまをご回向申し上げ、短い時間ながら、供養を通して、先祖とのつながりを感じることができるでしょう。また、当山では院代が担当していますが、親しい者が定期的に訪問させていただくことが、何らかの不安の解消につながることがあるかもしれません。恐らくは大阪の浄土宗寺院だけで、合算すれば月詣りで何万という世帯に伺っているはずです。知恵を出しあえば、無縁社会に対する抑制的な役割が見いだせるのでは、と思います。
 家族のことは家族で、という大前提が壊れつつある現代、安易に外部のサービスに頼ったり、役所任せは慎むべきですが、もう一度支えあう共同体として地域や人づきあいの役割を見直す時が来ているのかもしれません。
 日本仏教の先祖供養や年中行事が、失われつつある絆を再生していく拠り所となるのか、あるいはそれに代わる新たな共同体の揺籃となるのか、いずれにせよ、その役割は小さくないと思います。(秋田光彦)

2010年11月9日火曜日

「葬式は、要らない」の島田裕巳さんと対談して考えたこと。

■東京の情報に惑わされない

 去る9月20日、「葬式は、要らない」の著者、島田裕巳さんと対談をしました。應典院は満杯の盛況、「葬式は、要らない」と主張する宗教学者に、「葬式をしない寺」の住職が挑む、という格好で、当初は緊張がありましたが、なかなか中身のある話し合いができたと思っています。以下に私が申し上げたことを、3点にまとめておきます。
 まず、島田さんの本の論拠は、首都圏型に偏っていること。関西には月詣りの習慣があり、五重相伝で生前戒名が授与されるなど、寺と檀家の信頼関係が厚い。首都圏はそういった前提がなく、葬式になって初めて僧侶に会うことも少なくありません。そもそも流動人口が多く、寺とのつきあいがない「浮動層」が全世帯の半分近いといいます。
 メディアの責任も大きく、東京のローカル情報をさも全国ニュースのように報道し、それを鵜呑みにしている地方、という構図があります。地方にはその地方固有の伝統や習わしがあるはずなのに、情報の中央集権化に惑わされている現実は残念なことです。
 2点目は、現実の葬式仏教が、儀式主義に終わっていることです。そもそも葬式仏教の成立は、地域共同体の中心として、「寺のある暮らし」が前提となっていました。死んでから始まる関係ではなく、それに至る長い時間を共有して、ゆっくりと形成していく、寺と檀家の共通理解・共通認識がありました。その時間感覚は、現代のような効率や合理性を優先する考え方とは相いれないものかもしれません。

■ 生涯全体にかかわる仏教
 現実の仏教は、「葬式は」「戒名は」とテーマごとに別々に説いているのではない。生涯時間をかけながら、じわじわと身体に馴染ませていくものであって、需給関係に立っているわけではありません。島田さんの本は消費者的立場で述べられており、逆にいえば、それほど現実の仏教から生活感覚が薄れてきていると思います。
 このブログでも紹介してきた、大蓮寺の生前個人墓「自然」がよい例ですが、これまでまったくつきあいのなかった方々が、お墓を縁にして入信され、そして「寺のある暮らし」を始めていかれます。寺を中心として、互いに助けあい、拝みあう関係をつくりあげていく。本来、檀家さんも同じではないでしょうか。
 3点目が、では、葬式仏教はどう再生されていけばいいのか。これには統一した回答があるわけではないのですが、私はやはり生涯全体に仏教がかかわる以外ないと考えています。人生の長い時間の道のりのあちこちに、寺がある。私はいまお寺直営の幼稚園の園長を務めていますが、そこで子どもたちやその親を、應典院で若者たちを、そして大蓮寺で、と世代を選ばないかかわりを重ねている真意がそこにあります。そういう全体像の中で、人々は葬式仏教という「形式知」に、信頼や安心を寄せてくれるのではないでしょうか。
 島田さんからは「しかし、大阪がいつ東京型にならないとも限らない」と警告がありましたが、そうならないためにも、私たちは関西の、大阪の伝統をしっかり保っていくべきだと思います。(秋田光彦)

2010年8月8日日曜日

自死遺族と仏教~自殺問題に取り組む僧侶たち~

 7月25日、大蓮寺にて【夏のエンディングセミナー2010】第3回「自死遺族と仏教~自殺問題に取組む僧侶たち~」で、自殺対策に取り組む僧侶の会 代表・浄土真宗本願寺派安楽寺 住職の藤澤克己さんの講演を聞いた。
 藤澤さんは2007年5月に「自殺対策に取り組む僧侶の会」を立ち上げ、自死に関する悩みを手紙で受け付ける「自死の問い・お坊さんとの往復書簡」や、自死遺族のための追悼法要「いのちの日 いのちの時間」などを開催している。
 冒頭に藤澤さんから自死(自殺)問題とは?という問いかけがあった。「自殺対策」って自死者が減れば良いのか?、自死(自殺)は身勝手な死か?、自死(自殺)することは悪いことか?、宗教者はこの問題に関わるべきか?これらについて、どのように考えるかを心に留めながら講演を聞いてほしいと言われた。
 「自死」と「自殺」という言葉では、出来るだけ「自死」という言葉を使いたい。「殺」の字は「悪いもの」というニュアンスを含んでいて、自死遺族の方の心に突き刺さり、苦しめる。
 自死念慮者と話をすると分かるが、死にたくて自死する人はいない。「死にたい」とは言うけれど、本当は生きていたい、でも生きていくことが出来ないほど辛い、逃げたい、だから死ぬしかないというに思っている。死ぬしか選べないほど苦しいのだと。
 一方で自死遺族の方は、寂しさ以外に自責の念や怒り、疑問などの怯えがある。どうして救えなかったのかなど自分を責めてしまう。また社会の偏見があって、安心して悲しめない、語りたいのに語れないという状況に追い込まれていく。自死遺族はただでさえ悲しみがあるのに周りから、どうして気づかなかったのかと責められるのである。そして悲しみ、苦しさにも様々なパターンがあり、関わる際に万能な言葉などない、それぞれの立場によって違うので、一人ひとりと丁寧に関わっていかしかない、と藤澤さんは言う。以下に印象に残った言葉を記録しておきたい。 自殺対策を進めていくのに政府はスローガンとして、自殺は追い込まれた末の死であり、自殺は防ぐことが出来る、自殺を考える人はサインを発している、と発言しているが、これらの言葉が余計に遺族を苦しませている。
 世間では自死した人に対して「死ぬ気になれば何でも出来たのに」「いのちを粗末にした」などと言う。でも亡くなった人の気持ちを100%分かる人なんていない。
 自死遺族は世間の色々な言葉に傷つき、様々な態度に嫌な思いをしている。遺族に対し「しっかりね」「がんばってね」と不適切な言葉発し、また安易な励ましや、あなたの気持ちは良く分かると言ったりして、余計に傷つけてしまっている。色々と悩んでいるときにどうしてもらいたいか。それには支え合う、お互いさまと声を掛け合う、何か困っていることはありませんか、何か力になれることはありませんか声を掛けてもらいたいと思っているのではないだろうか。
 自死遺族支援というのは、何かしてあげることではなくて、「見守り」と「伴走」であると言える。
 そのままの気持ちに寄り添い、ペースに合わせて一緒に進むのである。その時に留意することは、上から目線は禁物で、引っ張らず、追い立てずである。何故かと言えば、「人にはだれでも回復力」を持っているのである。全ての人に回復力があると信じて、「見守り」「伴走」する関わり方が自死遺族支援として大切なことと思う。
 「自死対策で目指すもの」として、自死者は決して特別な人ではない、ほっとけない気持ちで悼むことが大切である。自死念慮者、遺族に対してはお互いに認め合い、支え合うことが大切である。誰にとっても生き心地の良い社会にしなければならない。
 冒頭の問いにあったように、この問題は、ただ自死者数が減ればいいのではない。生き生きと暮らすようになり、その結果、自死する人の数が減ってほしい。そして遺族が認め合い安心して悲しめるような社会でなければならない。安心して生きることが出来る社会づくりを目指して行きたいと言われた。そして、困っているときこそ、遠慮なく人の世話になって良いのである、そして回復すれば今度は他の人を助ければ良い。お互いさま、支え合うということである。安心して悩むことが出来る社会にしたいと最後に強く言われた。

 藤澤さんのお話しは実践に基づいたとても説得力があるところが多かった。私も昔、深く悩み自死がよぎったことがあった。というより自死しか解決法がないのではないかと考えたことがある。自分さえいなくなれば、全て上手くいくのではないかとも思ったが、今思えば身勝手な考えである。しかしそんな時に冷静には考えられない。幸いにもその時の私には、支えてくれる人がいたのである。
 藤澤さんが言われたように、「お互いさま」と支え合う、安心して悩むことが出来る社会になれば良いなあと改めて強く思った。(浦嶋偉晃)