日本ホリスティック医学協会のシンポジウム「今を生きる力」で、当協会の会長である帯津良一さんから「生きることと死ぬこと~青雲の志について」のご講演をお聞きした。帯津さんは、1982年帯津三敬病院を設立、現在は同病院名誉院長。西洋医学だけでなく、中国医学、ホメオパシー、 代替医療など様々な療法を駆使してがん診療に立ち向かい、人間を丸ごととらえるホリスティック医学の確立を目指している。2004 年には東京・池袋に帯津三敬塾クリニックを開設している。著書多数。
「ホリスティック医学」とは、一言で言うと、「人間をまるごと全体的に見る医学」を言う。ホリスティック医学は生きること全て、人生を貫いて関わり、命の場を対象にした場の医学である。「縁」と「場」のエネルギーが高くないとホリスティックにならない。ホリスティック医学は体の中の場が外界の場の一部であるという前提を一番強くもっている。
場の医学では命の場を体内にみるだけではなく、おかれた場にも注目しなければならない。そしておかれた場を高めるために苦心する。実際に患者さんをみると、家族の場や職場は外界の場のエネルギーが高い人、病院では良い医師、スピリットの高い医師にぶっかった人がよくなっている。またそういう医師がそろっている病院は非常にエネルギーが高く、そこでは人が回復する力が高い。だから医療現場では命の場を高め続けて、外界の場も高め続けるという志をもった人が必要である。
私自身、ホリスティック医学の自然治癒力を癒しの原点に置くという定義に興味を持った。とても大切な事だと思うが、実際にはこのエネルギーを高めるには、またそういう人と出会うにはどうすれば良いのかと正直迷ってしまう。
一方、体の故障の修理である医学から出られないと「治った」か「治らない」という二極化になってしまう。命はエネルギーレベルを上げながら前進している。そのなかで起こってきたトラブルが病である。トラブル対処も命の流れを進めながらやっていく。
そこをしっかりみていかなくてはならない。あまりに「治った」「治らない」だけにこだわると分からなくなる。それではホリスティックにはならない。
病の経過も治り方も生きていくことと同じように少しずつ高めていくこと。命はエネルギーだから修理とは違う。
私(帯津)の死生観は「青雲の志」であり、これを果たしていくためには、虚空の大いなる命の場に身を任せながら、内なる生命のエネルギーを高め続けなければならない。つまり他力と自力の統合の中に青雲の志が在る。他力と自力の統合とは生と死の統合に他ならない。生と死の統合こそホリスティック医学の究極である。
私にはホリスティック医学がいう「人間をまるごと見る医学」という定義ががもう一つはっきり把握できませんでしたが、イメージはつかめました。ホリスティック医学はまだまだ奥が深く、期待できる部分が多いと感じました。また注目されている代替療法についても、ホリスティック医学の中でどのような関係性を持っているのか、今後に対する興味がますます広がりました。(浦嶋偉晃)
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