去る9月12日、奈良県ホスピス勉強会の定例勉強会に参加した。奈良県田原本町で在宅医療(在宅療養支援診療所)に取り組んでいる坂根医院 坂根俊輔院長から「日常生活の中の死」という題で講演を聞いた。
医大に入ったのは26歳で30過ぎて医者になり、「自分ならそうして欲しいと思う医療の実現」が、生涯のテーマである。
医療側から見て、在宅医療はバラ色かと言われると、正直医師一人で外来診療を続けながら在宅療養支援診療所を運営するのは無理があり、地域の在宅療養支援診療所間で相互扶助もなかなか難しく、在宅医は相当疲弊している。でも自分はとにかく在宅が好きだから続けている。
在宅医療は、自宅で死ぬことの援助ではなく、最期まで自宅で生きることへの援助であり、患者さん、ご家族を含めた皆で作り上げていく面が強く、患者さん本人、ご家族がしっかりした意見を持ち表明することが肝要である。また日常生活が人生そのものであり、在宅医療の整備こそが、日常の中の死(最期まで自分自身であり続ける死)を可能にする。
大事なこととして、自宅で最期を迎えたいという思いを通すには、まず自分の死をイメージし、自分の横で世話をしてくれる人は誰か、そしていざという時、面倒を見てくれる人の「愛情」を獲得しておくことが必要である。可能なら在宅医療に理解のある自分より長生きしそうな医者をかかりつけにし、普段から希望を述べておく。
私もこのことはとても大事なことと思う。やはり日頃からの家族の中で死について語り合うという機会を持つこと、そしてかかりつけ医を持つことが大変大切だと感じる。
自分自身(坂根)も最期まで慣れ親しんだ自宅で家族と共に生きたい。その実現には患者さんも介護者の方も、苦痛なく不安なく在宅で過ごせる社会的体制作りが必要で、そして体制の容器を満たすのは家族愛、隣人愛に他ならない。自分は在宅患者さんに自分の将来を投影している。患者さんはタイムマシンで見える自分の将来像だと感じている。自分自身、主体性を持ったまま死を迎えたい、ワガママに死んでいきたい。そして何よりも、患者さんはもっとワガママになるべきだと思う。
結局、最期に何処で心臓が止まるかは、大きな問題ではなく、大切なのは、生活をどこまで続ける事ができるかだと思う。末期患者在宅生活の一助となれるよう、今後とも尽力したいと思っている。
私たち市民にとって、医療者が熱く語っているのを聞き、安心すると共に、私たちも市民の立場から、在宅医療をしている医療者の方々に対して、どうすれば支える力になれるかを考えないといけないと感じた。市民のパワーが何よりも大切である。(浦嶋偉晃)
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