2010年4月9日金曜日

いのちのエナジー 現代の寺子屋を求めて (2)情熱は他人のためだけならず

 私が現在身を置く應典院には「呼吸するお寺」というキャッチコピーがつけられている。再建10年を記念して2007年に刊行された記念誌にも同じ名が掲げられた。人間の身体をお寺の伽藍に見立て、社会の動きを空気として捉えた比喩である。その心臓部にあたるのが、住職以下、私を含め6名のスタッフであり、血液にあたるのが本堂ホールで公演をする劇団、研修室でワークショップ等を行うNPOの皆さん、またロビーで展示を行うアーティスト等であり、またそれらの場を楽しみに集まる多くの方々という具合だ。
 昨年10月から3回連続で開催した「大乗仏典講座」の講師を務めていただいた釈徹宗先生は、「お寺には社会とは違う時間が流れるかたらこそ、そこに物語が生まれます」と語る。そして、違う時間が流れるからこそ、社会の歯車とうまく合わない人たちが救われるのだ、と説く。その前提にあるのは、お寺が人を無条件に受け入れる機能持っているからだという。それは、あくまでお寺の宗教性であって、お寺の社会性ではない、と断言する。
 特に大乗仏教では、自利利他が理想とされている。自分のための努力と他人のための行動の双方が伴っていることが大切だとされているのだ。時に「情けは人の為ならず」という表現は誤解されているようだが、このことわざのとおりに、自らの情熱は自分だけに返ってくるものでも、他人にばかりに流れていくわけでもない。なぜなら、「わたし」と「あなた」とは、かけがえのないつながりを持っているため、と経典は教えてくれる。
 仏典講座の主催者の立場だが、改めて関係性を大切にする大乗仏教の宗教性に触れると、昨今注目を集めているスピリチュアリティの概念とは大幅に異なる点に気づかされる。特に、関係性の重視とは自らが他者との間で我を見つめていくことを意味するのに対し、いわゆるスピリチュアリティのブームにおいては自らの世界に浸ることが重視されていないか、考えるようになった。宗教学者の島薗進先生による「スピリチュアリティの興隆」(岩波書店)では、健康や娯楽といった利己的な活動と、「わたし」と「あなた」の探求活動とのあいだには、大きな開きがあることが指摘されている。モノや情報があふれる現代社会を生きる上では、一面的な心地よさに浸るのでも一方的な感情移入を行うでもなく、他者との呼吸や間合いを積極的に調整する「利他心」を大切にしたい。(山口洋典)

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