2010年4月16日金曜日

いのちのエナジー 現代の寺子屋を求めて(3)慈しみ、悲しむということ。

 「あの日」から15年が経つ。そう、阪神・淡路大震災から15回目の1月17日がやってくる。当時、京都で学生生活を送っていた私は、当初、事の大きさが理解できなかった。しかし、もはや朝とは呼べない時間に、実家のある静岡県からの電話口で「やっとつながった」と安堵ことばを聞いた頃、甚大な被害が出たことを実感し、言いようのない感覚に浸っていったことを今でもよく想い起こす。
 人は必ず死ぬが、突然の災害で大量の方が亡くなった空間に身を置くことは本当にいたたまれなかった。幼少の頃から「備えよ常に」と、東海地震への警鐘が鳴らされる中で育ってきたものの、「いざ、そのとき」に身体が覚えていないことは、とっさに動けないことも知った。大学の試験が落ち着いて以降、同級生らの呼びかけで、現地視察とボランティアの機会を得た。震災から1週間ほど経ち、まちは救急・救命の段階から、復旧に向けた動きが始まっていた。
 実は、今の私の生き方には、震災ボランティアとして動いたときの経験が影響している。神戸大学国際文化学部の避難所で救援物資の整理をし、瓦礫の片付けなどを山手幹線から2号線のあたりで行い、芦屋市内の幼稚園・保育園を訪問して遊び場をつくった。こうして積極的に動いたのだが、若さゆえに「何でもできる」という万能感に陥り、さらに作業や雰囲気への慣れが重なることによって、気づかぬうちに、合理的で効率ばかりを優先させてしまっていたことに後々気づいた。パソコンが得意だからと暗い中手作業でつくられていた避難所の名簿を勝手に作り替えたり、避難所に届く救援物資のパンがもったいからと徐々に店が開き始めた街角にて無料で配るなど、支援する側の視点ばかりを優先させていたのだ。
 大阪大学の渥美公秀先生は、ご自身も被災された「あの日」について、ある詩人のことばを引用し、「悲しみが果てることの悲しみ」を訴えている。ここに、大乗仏教の「慈悲」の教えを重ねれば、悲しむことに加えて、慈しむことも大切となる。震災から10年のとき、「お寺で働かないか」と声をかけて頂いたとき、私は、押しつけに近いボランティア活動で心地よさに浸ってしまった自らの愚かさと、未だに果てることのない悲しみに向き合うと共に、多くの気づきや学びをいただいた神戸のまちに慈しみの念を抱きたいと、仏道を歩むことに決めた。今年、「ことばくよう」という手紙の企画を展開し、15年目を迎えている。(山口洋典)

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