今年の流行語大賞に「無縁社会」がランクインしました。NHKが年初に放送した番組がきっかけだが、年末にはすっかり時世を映す言葉として定着した感があります。また、それを裏打ちするような事件が、今年は相次ぎました。酷暑につづいた真夏には、児童虐待の惨い事件が連続して発生し、死んだ老親をタンスに隠した事件もありました。親名義の年金欲しさにだ。無縁というより、もはや絶縁社会といったほうが的確かもしれません。
私が「無縁」という言葉に初めてふれたのは、学生時代に網野善彦さんの名著「無縁・苦界・楽座」を読んだ時です。日本の中世には無縁所という寺社を中心とした独特の共同体があって、そこには世俗を逸脱した人びと、職人や芸能者、宗教者が集住していた、といいます。鮮烈な印象が残りましたが、無縁に対する解釈は、むしろ束縛されない自由区というイメージに近いものがありました。
現代の無縁社会は、イコール悪であり絶望を意味します。それを救済するには行政サービスや社会保障に頼むしかなく、しばしば政治の無策や不正が指弾されます。それは一面その通りなのですが、それだけが救済なら、われわれは結局権力の支配にすがる他はありません。むしろ無縁だからこそ、そこから生まれる新しいつながりやネットワークに知恵を働かせるべきではないか。家族にせよ地域にせよ、従来の共同体からこぼれおちた人びとを「結縁」するために、宗教者にやれることはないのでしょうか。
今年は、釜ヶ崎で活動する宗教者たちと出会いがありました。寺もない、檀家もない、釜ヶ崎という独特のエリアで葬送の支援をしようという志に生きる僧侶もいました。対象の多くは日雇いの労務者であったり、野宿者です。ここでは、布教教化というような振る舞いが傲慢に見えるほど、宗教者と対象者の関係は限りなく近い。確かに無縁ではあるが、絶望ではない。あるのは、何とかしようという宗教者の意志と、それに協働する、さまざまな市民のはたらきです。利他の共同体ともいうべき「志縁のネットワーク」が、無縁社会の片隅から生まれつつあります。
と同時に、そこから窺える、これまでとは異なる仏教者像に、私は気づかされます。布教者としての勇ましい使命感や責任感は棚上げして、ただ対象に寄り添う、という共感共苦に生きる態度です。あれこれ建前に惑わない。自分の感覚に正直に行動する。徹底的に自意識を退けた、その無為な立ち方やふるまいに、小さな希望を垣間見るのは私だけでしょうか。無縁とは、ひょっとして布教エゴに凝り固まった僧侶たちを、一度結縁の淵へと押し戻す、如来の導きではないか、とふと感じました。
そして、間もなく大晦日。大蓮寺と應典院では翌元旦にかけて寺域を開放、生きることに疲れ、居場所を失った人びとが集う、「年越しいのちの村」(共催Live on)を開催する準備に忙しい。これもまた無縁から生まれた、もうひとつの場所なのです。(秋田光彦)
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