お盆最中の8月8日、朝日新聞に末木先生の某所での講演要旨が紹介されました(「お盆、仏典を読む」)。今回の催しに通じる内容ですので、一部を引用紹介します。
末木さんは近代の合理主義は、見えないもの、聞こえないもの、理解できないものを排除しがちだった、と指摘した。死者の行方などはその最たるものだろう。
確かに死んだ人がどこへ行ってしまうのかは、分からない。しかし「生きている人が、亡くなった人と何らかのかかわりを持とうとする気持ちは現在も残っている。どうかかかわるかを考えることは大切だ」と末木さんは述べた。」
その上で末木さんは、「仏教は死者と生きている人とのかかわりに着目することで、世界を見直す手掛かりになる」と強調した。そもそも仏教とは、ブッダの死後、残された人々が、彼の死を乗り越えようとするところから出発しているからだという。
死者と正面から向き合わねばならなくなった仏教が、時間をかけて書き残してきたものが様々な仏典だ。だから、死者とのかかわりを軸に、仏典を読みなおすことが重要だと末木さんは説く。
これまでの仏典解読とは、近代主義との接点を捜し出す作業だったのが、近年むしろはそれとは異なる視座を見出そうとする傾向が大きいといいます。
「合理的な面だけではない世界を見直す手掛かりとして、仏教を見てみたい」
近代合理主義を異化するような、反転の視点。そこから、現代の閉鎖感を突破するような新しい可能性を見いだせないかと思います。
9月13日、末木先生の直接の言葉にふれる絶好の機会です。ぜひご参加ください。
(蓮池 潤三)

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