去る11月29日、奈良県ホスピス勉強会の定例勉強会に参加した。グリーフカウンセラーとして活躍されている京都産業大学 学生相談室主任カウンセラーの米虫圭子さんから「グリーフケア、その理解」という題で講演を聞いた。
米虫さんはアメリカの大学を卒業し、アメリカのホスピスや遺族ケアに関わり、8年前に帰国したが、まだ当時の日本では「グリーフケア」という言葉はインターネットで検索してもほとんど載っていなく、職業としても確立していなかったという。
「グリーフ」というのは「喪失の悲嘆」と訳されているが、喪失体験とは必ずしも死別だけを指すものではない。病気・離婚・失業・転勤・引っ越しなどもグリーフを伴う喪失体験である。失ったものがその人にとって、代わりのもので埋められるのであれば、その悲しさは日々の生活の中でなんとかやり過ごすことができるが、死別というような大きな喪失の場合、グリーフは深く長く続く。グリーフは一瞬の出来事や感じ方ではなくて、死別を体験した人が辿る心や体の変化全てを含む長期にわたるプロセスである。
また人によって悲嘆の内容が違い、回復までの決まった道筋はない。
喪失体験後に起こりえる変化として多くの人に共通して見られるのは、不眠や食欲減退などの身体的な変化、外出をしたくなくなったり、人と会うのを避けたり、以前好きだった事も楽しめなくなったりする日常生活上の変化等である。感情的な変化は人によって様々で、悲しみだけでなく罪悪感を強く持ったり怒りでグリーフを表したりすることもある。一方、同じ家族の中でもグリーフの著し方はそれぞれ違い、そのため親族や夫婦間の関係が悪くなってしまうことも非常によく聞かれる。「グリーフケア」は、このようにさまざまな変化を体験している遺族の心の回復がよりスムーズに起こる助けとなるケアのことである。
悲嘆からの回復作業として、①喪失を現実のものとして受け入れる ②悲嘆の痛みを感じる ③亡くなった人がいない生活に慣れる ④死を情緒的に再配置し、これからの生活を歩んでいく、以上の4つの課題がある。人は元来回復する能力を持っている。つまり、亡くなった人が担当していた役割を残った人が再度役割分担し、その事によって徐々に悲しみを和らげて行く、また亡くなった人の居場所を確立することによって、いつもそこから見守ってくれていると感じることである。
私自身、グリーフケアは、とても難しいものと感じている。愛する人を亡くした人にどのように接したらいいのか正直、分からない。ただ米虫さん話を聞いて、相手に耳を傾け、思いやりを持って見守り、そして生活面の困難にも留意することが大切だと教えられた。死別後に辛かったこととして、「思いやりのない言葉をかけられた」というのはアンケートの上位にある。言葉をかけた本人にはそのつもりはなかったのだと思うが、だから余計に難しい。
今後、Formal care:サポートグループや追悼会、個別カウンセリング、Informal care:家族や友人知人、医療関係者などによる慰めや傾聴、という両輪が必要である。また突然死ではなく、施設、在宅ホスピスなどに見られるように、死のプロセスが大切となるだろう。
今回、お話を聞いて、グリーフケアへの寄り添い方について理解することができたが、実際には自分自身を振り返っても、悲嘆は一人ひとり違い、とても難しい領域であると感じた。あまり他人にふれられたくないとさえ思う。
実際、素朴に思うのは、グリーフはやはり人間関係からくるもので、生前からきちんと相手と向き合って、共感理解できる関係性を持てるように努めることが必要であり、これにどう対処するかで、私たち自身の生き方が問われていると思う。(浦嶋偉晃)
<参考>
下記の日本ホスピス・緩和ケア研究振興財団のURLで「これからのとき 大切な人をなくしたあなたに」という冊子がダウンロードできる。
http://www.hospat.org/korekara.html
登録:
コメントの投稿 (Atom)
0 件のコメント:
コメントを投稿