7月18日、大蓮寺にて夏のエンディングセミナーとして「遺族サポートとお葬式~グリーフでつながる~」を聴いた。講師の㈱ジーエスアイ代表 橋爪謙一郎さんは、グリーフサポートに関して、深い知識とアメリカでの実務経験を持つ、日本における第一人者である。新著に『お父さん、「葬式はいらない」って言わないで』(小学館新書)がある。
最初に「グリーフ」の定義について言われた。
例えば、男であるから悲しみを我慢しなければいけないなど、自分が持っている先入観で自分の心の中の感情を押さえつけたり、周囲の人が持っている勝手な「暗黙のルール」や、あるいは地域の習慣や社会全体の「常識」「通念」に押さえられて、気持ちを外に出せなかったりする、つまり自分の心の中ではいろいろな感情、行動が浮かびあがってきているが、それを周りの人に受け入れてもらえないのが「グリーフ」の状況だと。
その時に、周りの人間にできるのが、「グリーフサポート」ではないか。行ったり来たりする当事者の感情を、自分らしく表現できるように寄り添って支えてあげることがグリーフの中で必要な支援だという。
遺族や死別体験者が必要としていることは一人ひとり違うが、日本人は自分の気持ちや考え、思いを共有することに慣れていない。人と違うことを怖れるので、余計に自分の中で感情や思いを押さえ込む人が多い。
そこで、橋爪さんは、日本の葬儀を「再評価」を試みた。
本来、日本の葬式とは、遠慮なく悲しみなどの感情表現できる数少ない場であった。故人を知る人が集まることも大切だ。家族の知らない故人の一面を教えてもらうことによって、遺族にとって気持ちを整理できる場になる。現状の葬儀はどうか。
また今では法要も省略される傾向にある。いろいろな法要が連続して葬儀のプロセスを形成してきたが、現在の葬儀は「点」になっている。自分の気持ちを整理する場として、どうつきあえばいいかわからい。面倒くさいものとして、省略しようという心境もある。
葬儀が少しずつ自分の気持ちを整理する場であると気づくと、考え方ももっと変わってくるのではないか。供養の仕組みをもっと考えるべきである。「点」でなくて「プロセス」として葬式や法要を捉えなおすことによって、辛い体験を乗り越えていく。改めて「過程」をどうやって作っていくのかを再考しなければならない。
グリーフを支えるとは、相手に「寄り添うこと」である。遺族のあるがままをどのようにして受け止められるのか、また寄り添っている相手に自分が「味方」であると気づいてもらうことが重要である。側にいて、いつでも必要な時に手を差し伸べられるようにする。
「グリーフにおける支援」とは心理的支援だから、ある意味、葬儀社が行う、葬式の打合せ自体がカウンセリングであるとも言える。遺族が大切にしていることをどれだけ聞けるか、どれだけ心の中のことを出してもらい、整理することができるか、それができれば、必ずよい葬式になる。今の葬式は、準備の時間が少なすぎるのでないか。そしてそこが葬式に対する不全感になっているのではないか。また、情報提供も重要だ。どこにいけば葬式関連の情報が手に入るのか、すぐに分かるシステム作りが今後の課題だ。
橋爪さんが一番強調されたのは、「大切な人を喪った人が、自分が何をしてほしいか声を上げること」。残念ながら声が聞こえてこないと、誰も手を差し伸べられない。またその時に、周りの人も自分たちができることがあることを知ってほしい。一つでも変わるとその人は元気になれる。そういう簡単なところから始めてほしいと言われたのが、印象に残った。
橋爪さんのお話しはとても共感するところが多かった。でもやはり私は「グリーフ」はとても難しいことと感じてしまう。ある意味、グリーフというのは癒せないものであるのではないかとすら思う。私自身、心理学の勉強をしていたが、今は心理学からのアプローチの限界を感じている。
私にとっても、これからいろいろな角度でのグリーフが訪れると思う。私は簡単に乗り切れるほど強くない。でもどうやってグリーフと共存して生きていけるかを模索していきたい。その際に大事なポイントになるものを、今回のセミナーで学んだような気がする。(浦嶋偉晃)
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