2009年9月20日日曜日

シンポジウム「今を生きる力~激動の時代をホリスティックに生きる~」上田紀行さん

  日本ホリスティック医学協会のシンポジウムで、文化人類学者の上田紀行さんから「生きる意味とホリスティック医学」の講演を聞いた。上田さんは東京工業大学大学院准教授で仏教にも造詣の深い文化人類学者。スリランカで「悪魔祓い」のフィールドワークを行い、その後「癒し」の観点を最も早くから提示し、現代社会の諸問題にも積極的に提言を行う。近年は日本仏教の再生に向けての運動に取り組み、2003年より「仏教ルネッサンス塾」塾長をつとめ、宗派を超えた若手僧侶のディスカッションの場である「ボーズ・ビー・アンビシャス」のアドバイザーでもある。


  いま私たちの社会を覆う問題の本質とはなんだろうか。
  それは「生きる意味」が見えないということだ。自分が生きていることの意味が分からない。生きることの豊かさ、何が幸せなのかが分からない。その「崩壊」が目に見える形で現れているのが若者の危機である。若者だから「夢」があるというイメージは過去のものになり、いつも疲れている、何故生きているのかがわからない若者が標準となりつつある。一方いつも人の評価を気にして、そして仲間内で決して目立たないように努める。「自分の本音は絶対出してはいけない」という若者が多い。
  しかしそれは大人にも通じる。小さいときから他人から見て「いい子」「いい友達」「いい夫、妻」「いい父、母」と結局、「いい子」をずっと演じ続けている。そして会社においても会社方針、そして社員の輪を崩さないように生きている。自分の個性を殺し、会社の方針に従ってきて、そしてその結果が、いつの間にか、いつでも「交換可能」な社員になっている。10年前に「若者の危機」として現れていたものが、全世代に拡大し、「生きることの空しさ」が広がっている。

 私自身も一会社員として、同感である。今の会社で個性を出し、目立つと必ず潰される。会社のルールに従えと言われる。しかしその一方で経営層は今の社員は個性がないとこき下ろす。結局、どの道を言っていいのか分からなくなり、ジッとしているのが賢明だと思ってしまう。とても辛い世の中の構造と感じてしまう。

  古くから欧米人から日本の文化は「恥の文化」の典型だと指摘されてきた。他者の目」による「恥」の認識が優越しているのが「恥」の文化である。逆に現在は「人の目」が気にならなくなれば何でもやってしまうのが、現在の日本人の姿なのではないか。そしてそこには決定的に欠けているものは、自分自身に対する「自尊感情」である。それではどうすれば良いのか。それは自己信頼の回復だが、それはどうすれば可能だろうか。それには感受性を持つことである。子供や若者に対して、様々な躓きや苦悩に対してもそれを「内的成長」というスタンスで見る努力が必要である。そうすることによって「生きる意味」を探求することになるであろう。

  私は思うのだが、今は世代関係なく「生きる意味」を失っている人が多い。とくに会社内では強く感じる。でも自分がかけがえのない自分だということを認識してほしいと思う。自分は一人しかいない。でも、かと言って他人と違うという所を必死に探すことではないと思う。他人と同じ結果でもいい、それが自分自身なのであるという意識が必要なのではないかと思う。(浦嶋偉晃)

2009年9月15日火曜日

シンポジウム「今を生きる力~激動の時代をホリスティックに生きる~」帯津良一さん

  日本ホリスティック医学協会のシンポジウム「今を生きる力」で、当協会の会長である帯津良一さんから「生きることと死ぬこと~青雲の志について」のご講演をお聞きした。帯津さんは、1982年帯津三敬病院を設立、現在は同病院名誉院長。西洋医学だけでなく、中国医学、ホメオパシー、 代替医療など様々な療法を駆使してがん診療に立ち向かい、人間を丸ごととらえるホリスティック医学の確立を目指している。2004 年には東京・池袋に帯津三敬塾クリニックを開設している。著書多数。


「ホリスティック医学」とは、一言で言うと、「人間をまるごと全体的に見る医学」を言う。ホリスティック医学は生きること全て、人生を貫いて関わり、命の場を対象にした場の医学である。「縁」と「場」のエネルギーが高くないとホリスティックにならない。ホリスティック医学は体の中の場が外界の場の一部であるという前提を一番強くもっている。
場の医学では命の場を体内にみるだけではなく、おかれた場にも注目しなければならない。そしておかれた場を高めるために苦心する。実際に患者さんをみると、家族の場や職場は外界の場のエネルギーが高い人、病院では良い医師、スピリットの高い医師にぶっかった人がよくなっている。またそういう医師がそろっている病院は非常にエネルギーが高く、そこでは人が回復する力が高い。だから医療現場では命の場を高め続けて、外界の場も高め続けるという志をもった人が必要である。

私自身、ホリスティック医学の自然治癒力を癒しの原点に置くという定義に興味を持った。とても大切な事だと思うが、実際にはこのエネルギーを高めるには、またそういう人と出会うにはどうすれば良いのかと正直迷ってしまう。

一方、体の故障の修理である医学から出られないと「治った」か「治らない」という二極化になってしまう。命はエネルギーレベルを上げながら前進している。そのなかで起こってきたトラブルが病である。トラブル対処も命の流れを進めながらやっていく。
そこをしっかりみていかなくてはならない。あまりに「治った」「治らない」だけにこだわると分からなくなる。それではホリスティックにはならない。
 病の経過も治り方も生きていくことと同じように少しずつ高めていくこと。命はエネルギーだから修理とは違う。
私(帯津)の死生観は「青雲の志」であり、これを果たしていくためには、虚空の大いなる命の場に身を任せながら、内なる生命のエネルギーを高め続けなければならない。つまり他力と自力の統合の中に青雲の志が在る。他力と自力の統合とは生と死の統合に他ならない。生と死の統合こそホリスティック医学の究極である。

私にはホリスティック医学がいう「人間をまるごと見る医学」という定義ががもう一つはっきり把握できませんでしたが、イメージはつかめました。ホリスティック医学はまだまだ奥が深く、期待できる部分が多いと感じました。また注目されている代替療法についても、ホリスティック医学の中でどのような関係性を持っているのか、今後に対する興味がますます広がりました。(浦嶋偉晃)

2009年9月11日金曜日

休眠宗教法人が不正行為の温床に。

  NHKの朝のテレビで「休眠宗教法人が不正行為の温床となっている」というニュースがあった。暴力団によるお寺のっとり事件が報道されていた。
  文化庁によると現在休眠中の宗教法人、神社仏閣は全国に4500もあり、立地がよく資産の多いお寺はターゲットになりやすいという。暴力団はまず有名寺院の肩書を騙り、お寺の経営難を救済すると新しい事業を持ちかけてくる。最初は親切に尽くしてくれるので、お寺側が信用すると、手のひらを返して墓地の名義を勝手に書き換えたり、最悪の場合登記も偽造して、のっとられたケースもあるらしい。休眠中のお寺にも新しい事業で再建したい焦りがあって、まんまと口車にのせられたという。
  いかにもガードが甘い。といってしまえばそれまでだが、地方の一寺院に危機管理に万全を凝らせというのもさびしい。文化庁では、休眠の宗教法人を解散させて対応するというが、実態はどこまで明らかにできるのだろう。
  休眠寺院は即廃寺では早晩仏教教団は衰退する。何とか別の形で寺を再建して、経営維持することはできないか。寺の事業といえば、墓地や納骨堂の分譲が代表的だが、いわば不動産事業であり、莫大な資金も要する。そこに暴力団もうまみを感じるのだろう。たとえば社会福祉法人と共同して、福祉介護施設をつくるとか、デイサービスのような公益性の高い拠点でもいい。いまはNPO法人という手法もある。地域住民に喜ばれ、公金投入の仕組みをつくることで、経営の透明性を高める。そういう新しい発想が生まれないだろうか。
寺が休眠化するのは、後継者難という事情も大きいと聞く。社会貢献型のお寺の事業であれば、そこにやりがいを感じる、有為な若者が「発心」に目覚めることもあるだろう。教団レベルの幅広い議論が必要だ。(秋田光彦)

2009年9月9日水曜日

シンポジウム「今を生きる力~激動の時代をホリスティックに生きる~」大下大圓さん

  去る9月6日、日本ホリスティック医学協会のシンポジウム「今を生きる力」に参加しました。大下大圓さん、帯津良一さん、上田紀行さん、五木寛之さんという豪華な方々が講演されましたので、会場は満杯の盛況ぶりでした。4人の方々のそれぞれのお話を、講演順に従ってご報告していきます。

  最初の講演は飛騨千光寺住職の大下大圓さんから「仏教とスピリチュアルケア~縁生から覚醒へ」のご講演をお聞きした。大下さんは、和歌山県の高野山 で修行し、スリランカ国へ留学、スリランカ僧として得度研修され、飛騨で約25年前より「いのち、生と 死」の学習会として「ビハ-ラ飛騨」を主宰、その一方で患者さんのベッドサイドなど医療の現場や青少年育成、まちづくりでのボランティア活動も続ける。また千光寺で「人間性回復や心のケア」に関する様々な瞑想 研修を手がけ、医療、福祉、教育における「スピリチュアルケア」や「ケアする人のケア」を探究している。


 まず大下さんの僧侶としての立場から、スピリチュアルケアについてのお話があった。
 今、日本の精神文化としてのスピリチュアリティの研究やスピリチュアルケアのあり方が問われている。日本人の精神的な背景を考えるなら、儒教や道教、とりわけ日本人の生き方に多大な影響を与えた仏教の思考や叡智が生かされることが重要である。その中心となるのが「縁」の思想であり、「縁生」とは「縁起によって生じたもの」の意である。
  スピリチュアルケアとは「スピリチュアルペインを心の内に持ち、あるいは訴えようとするケアの対象者に対して、ケアを提供する側(援助者、スピリチュアルケアワーカー、セラピストなど)が共にその実態を『三つの縁生=自縁、他縁、法縁』から明らかにして、苦悩からの開放、解脱に至る営み」であると言える。臨床場面で「縁生」を考えるならば、まず人間存在として援助される存在や、援助する存在そのものが縁生と言える。医師や看護師がどんな患者さんやご家族と出会うかということは、深い「ご縁」以外のなにものでもないことである。
  大下さんは住職という立場でありつつ、病院で医師や看護師とチームを成して患者さんやご家族に寄り添う活動を通して、ベッドサイドで何が見えるか、治療期の心のケアについて深く携わっている。私自身、ここに深い興味を惹かれる。仏教におけるスピリチュアルケアとは、患者さんのベッドサイドでどのような役目をし、患者さんの心にどう寄り添っていけるのかについて、できれば具体的なことをもう少しお聞きしたかったと思う。
  大下さんは最後に、仏教におけるスピリチュアルケアとは、その人自身が自らの人生を統合することを援助する、つまり人生の苦悩への解決のプログラムを発見させられることをサポートすることだと言われた。
  
  正直、今回、勉強不足の私にとっては難しい話だったが、自分らしくどう生きたいのか、またどう死にたいのか日頃から考えていくことが大切であると感じた。毎日生きている中で、いろいろな楽しみ、苦しみがあるが、本当に「心」が喜ぶこと、「魂」が喜ぶことをしているかを常に自問自答しながら生きたいと思った。「<念>とは今の心と書くが、ありのままの今という時間において、自他のことを直感的に洞察することが仏教的なスピリチュアルケアの態度」と言った大下さんの言葉が印象的にだった。
  やはり思ってた通り、仏教とスピリチュアルケアはとても奥が深い領域であった。とても興味深く内容で、今後も勉強を続けたいと思う。(浦嶋偉晃)

2009年9月6日日曜日

布施は宗教サービスの代価ではない。派遣僧侶という問題。

  お盆最中にNHKの「おはよう日本」で「お盆ビジネス」(!)の特集があって、驚いた。極めつけは「僧侶派遣会社」からの実況中継。会社の会議室で、スーツ姿の社長を剃髪した僧侶たちが取り囲む場面。銘々に手帳を持ち、「派遣」のスケジュールを確認していた。僧侶たちは地方寺院の住職らしく、「檀家が数十軒で、成り立たない」から「出稼ぎ」に来たとインタビューに答える。あまりのあからさまぶりに、見ているこちらが赤面するほどだった。「僧侶プロダクション」にあって、まったく自省する影もない。
 首都圏では檀那寺を持たない人が圧倒的に多い。そこに葬儀ができると市場が生まれて、業者が僧侶を斡旋する。お布施は「派遣サービス料」で、リベートは4割とも5割ともいわれる。「迅速丁寧」「院号も安い」「面倒なお寺とのつきあいもなし」等々、ここでは僧侶は「便利屋」と同格の扱いである。
 日本にお寺は8万もあるが、じつはお寺だけで経営が成り立つ寺院は首都圏・大都市部の3割程度といわれている。反対に地方寺院は過疎の極みにあり、葬儀がひとつあると1軒檀家が減るといわれる。当然住職専業ではやっていけないから教員や公務員を兼職する僧侶が多い。首都圏に「出稼ぎ」せざるを得ない、地方寺院の疲弊こそ問題なのだ(しかし、宗派や仏教会がこぞってこの問題に取り組もうという動きも聞かない)。
 布施はあくまで布施であって、サービスの代価ではない。在家信者にとって仏道の実践行のひとつとして、本尊に施し供えるものでなくてはならない。それが「建前」であったとしても、その前提が崩れると、仏教の布施はすべてお金で買う消費行為になってしまう。だから不要であれば、買わなければいいのだ。例の直葬もその延長線上にある。
 映画「おくりびと」では、日本人の死者に対する敬意や親密感が描かれ、多くの感動を呼んだ。死者を懇ろに葬り、供養するという営みは、逝く者と残された者が交わす、人間のもっとも崇高なコミュニケーションであるはずだ。そこに位置付けられてこそ、葬式仏教の本当の存在感があるはずなのに、それがビジネスの具と化していくのは、碑文谷創さんではないが、「死者への冒涜」に等しい。
 しかし、テレビの派遣僧侶たちには悪びれる様子もなく、あっけらかんとしていた。すでに実態は不信用を超えて、自明のものになっているのかもしれない。宗教サービスは織り込み済みであって、目くじらたてるほどのこともない。そんな無自覚ぶりが恐ろしい。
(秋田光彦)

2009年8月30日日曜日

末木文美士先生、「死者」の視点から世界を見直す。

  来る9月13日、應典院で寺子屋トーク「仏典から現代社会を問う」が開催されますが、前評判も高く、すでに100名近いお申し込みをいただいています。国際日本文化研究センター教授の末木文美士(すえき・ふみひこ)先生と、兵庫大学教授で浄土真宗本願寺派如来寺の住職釈徹宗先生の対論企画ですが、日本の仏教学を代表する碩学と新鋭の初顔合わせとなり、今から楽しみです。
お盆最中の8月8日、朝日新聞に末木先生の某所での講演要旨が紹介されました(「お盆、仏典を読む」)。今回の催しに通じる内容ですので、一部を引用紹介します。
  
  末木さんは近代の合理主義は、見えないもの、聞こえないもの、理解できないものを排除しがちだった、と指摘した。死者の行方などはその最たるものだろう。
  確かに死んだ人がどこへ行ってしまうのかは、分からない。しかし「生きている人が、亡くなった人と何らかのかかわりを持とうとする気持ちは現在も残っている。どうかかかわるかを考えることは大切だ」と末木さんは述べた。」
 その上で末木さんは、「仏教は死者と生きている人とのかかわりに着目することで、世界を見直す手掛かりになる」と強調した。そもそも仏教とは、ブッダの死後、残された人々が、彼の死を乗り越えようとするところから出発しているからだという。
 死者と正面から向き合わねばならなくなった仏教が、時間をかけて書き残してきたものが様々な仏典だ。だから、死者とのかかわりを軸に、仏典を読みなおすことが重要だと末木さんは説く。


 これまでの仏典解読とは、近代主義との接点を捜し出す作業だったのが、近年むしろはそれとは異なる視座を見出そうとする傾向が大きいといいます。
 「合理的な面だけではない世界を見直す手掛かりとして、仏教を見てみたい」
 近代合理主義を異化するような、反転の視点。そこから、現代の閉鎖感を突破するような新しい可能性を見いだせないかと思います。
 9月13日、末木先生の直接の言葉にふれる絶好の機会です。ぜひご参加ください。
(蓮池 潤三)

2009年8月23日日曜日

「‘みとりびと’は語る」アットホームホスピス代表 吉田利康さんのご講演をお聞きしました。

  8月1日、夏のエンディングセミナー「’みとりびと’は語る」の第3回目のゲスト、アットホームホスピス代表の吉田利康さんの講演を聞きしました。吉田さんは、10年前に奥様を自宅で看取られた体験者です。
  お話は、奥様の「病名告知」から「おわかれ」まで、時間にそって、吉田さんの心の揺れ動きを率直に語ってくださいました。

  1999年、奥様が急性骨髄性白血病と診断された頃、まだ介護保険はなく、また、今と違ってインターネットも普及途上にあって、容易に往診医も探せない時代でした。吉田さんもかかりつけ医に在宅療養支援を相談されましたが、がん末期と知ると往診を断られたそうです。
  吉田さん夫婦は、結婚した際に、どちらかがんになっても隠さないという約束をされていました。奥様は当時病院勤務の看護師をしておられ、ある程度の死の準備教育は積んでおられましたが、実際の「告知」を受けたショックは予想を超えた衝撃でした。頭の中は真っ白、膝はガクガクと震え、「告知」というのは医療者やマスコミが言うほど、簡単なものではないと実感したそうです。
 奥様は、ご自分の病気の事を必要最小限の人だけ知らせてほしい、それ以外の人には伝えないでほしい、他人から口伝えで病名が伝わる、それだけで怖いと仰ったようです。
 病院に見舞い、家に帰って家事をつとめる吉田さんの生活が始まります。奥様のいない家では、汚れたタオルを洗濯しているだけで泣けて仕方なかったといいます。そして、余命告知が本人に告げられました。そのショックも壮絶でしたが、それ以上にすごいのは、そこから自力で立ち上がってくる人間の強さでした。告知から一ヶ月が過ぎるころ、奥様は徐々にいつもらしさを取り戻し、それに安心したのか、逆に吉田さんは精神状態が悪くなっていく。ついに奥様の前で「おれはもうどうしていいかわからない」とべそをかく。それを支えたのは、なんと死と向き合っている奥様だったのです。吉田さんの目からうろこが落ちます。そして、妻を背負って歩こうとしていた傲慢さに気づき、妻がして欲しいことをすればそれでよいのだと思った時、気持ちが楽になったと話されました。
 すると奥様が「私、家に帰ってもいいかな?」「もう他人に身体を触られるのはこりごりや」と遠慮がちに言われ、介護保険のない時代に在宅ケア、男の介護が始まりました。家には不思議な力がありました。今まで連携の悪かった父子でしたが、母親が帰ってくると見違えるように子どもたちのふるまいが変わりました。病院で眠れなかった奥様が、熟睡できるようになりました。なによりも家に帰った奥様は患者ではなく、妻に、又、母親に戻られた。
  在宅での生活は17日間でした。がんの末期は短距離競争です。枕元には氷枕と体温計と血圧計の三つだけでした。そして本人の意思により最期までモルヒネも使わず、お別れは家族だけでした。
奥様の看取りから10年たって思うことは、家での看取りは自分自身を変えた、ということ。奥様のためと思っていたことは、じつは自分自身の生き方の転機となったと吉田さんは言います。
  吉田さんが今、在宅介護や看取りの講演・執筆活動をされているのは、「もし病気がよくなるんだったら、同じ病気の人の話し相手になりたい」という言葉が契機となっています。その思いを代わりに引き受けるのが、自分のささやかな供養だと思っていると仰っておられました。
  家で看取ると言っても、家族としてどうすれば看取れるのか分からないのが正直なところではないでしょうか。その結果、在宅医や訪問看護師に過度な委託をし、家族の役割も果たせないまま終わってしまいます。時には旅立ちの二日前ほどの時期になって、再入院をさせるなどが起こります。「妻(患者)がして欲しいことをすればそれでよい」とのことばは、看取りへの大きな示唆と受け止めましたし、それが介護をするものの基本姿勢ではないかと感じました。
 いま、死は社会から封印されています。8割の人が病院で亡くなり、葬儀も6割が式場で執り行われる。死は生活から遠ざけられ、姿が見えないまま、福祉や介護といった制度論だけが先行しているように思います。在宅ホスピスの心とは、「死」を生活の場に取り戻し、それを見据えながら、今、生きることの意味を考えることなのです。
 医療や介護、福祉の充実もたいせつですが、家に備わっている「日常」に潜む力を引き出すことが何よりも必要であり、それが結局、「ケア」の本質に触れることではないでしょうか。
 吉田さんの絵本「いびらのすむ家」の「いびら」とは、「家に住む人たちを見守る神」のこと。人には見えない「いびら」の存在が私たちの「暮らし」を守っているのです。(浦嶋偉晃)