■二人称の死と家族葬
「死の人称論」を説いたのはジャンケレヴィッチだが、日本では作家・柳田邦男が著作「犠牲(サクリファイス)」で述べて、広く一般的になった。一人称は亡くなる本人の視点、二人称は身近な家族や友人の視点、そして三人称がそれ以外の第三者の視点、といわれ、柳田の本は、「二人称の死」の重要性を訴えた。つまり、遺族としての視点を掘り起こした。
葬式はいったい誰のものか。その問いにいろいろな答え方がある。宗教的に言えば、死者を来世へ送ることだが、社会的には死の事実を示して、死者が世帯主である場合は、その承継を地域に対し表明することでもあった。だから、一昔前までの葬儀では、遺族は町内や職場のいろいろな決まりごとを生真面目に順守してきた。遺族の視点(二人称)というより、社会の視点(三人称)が優先されてきたのだ。
最近になって、二人称の死、遺族の視点が強調されてきたのは、葬式の形態の変化とも無関係ではない、と思う。家族葬の普及である。
ここ20年ほどの間、伝統とされてきた葬送がリストラされて、いろいろな葬法が登場してきたが、中でも家族葬はすっかりスタンダードになった。外から会葬者を招かない、身内だけで親密な別れを告げるコンパクトな葬式は、死の視点から考えれば、従来になく死者と遺族の距離を近づけた。深い人間関係を結んできた親密感を、切り裂かれるような喪失感、悼み、悲嘆が隠しようもなく露わになる。私の印象だが、社会的な儀礼性が後退した分、家族葬はグリーフ(死別の悲嘆)の感情を浮き彫りにしたと言えるのではないか。
最近、このグリーフという言葉の浸透が著しい。グリーフサポートとかグリーフワークという考え方は遺族を中心としているが、日本の葬式もまた遺族という二人称の視点からその意味を問い直されようとしている。
■遺族の不在、という問題
年間114万人が亡くなる現在の多死社会は、その意味では多くのグリーフを背負う時代でもある。たいせつな人の死をどう受け入れ、どう送るか---それは日本人が独自の歴史と文化の中で育んできた遺族の精神史とも重なるが、ここにも変化の兆しが見て取れる。
NHKが1月に「無縁社会」を報道して話題となった。日本には、身元不明の、遺体引き取りを拒否される人が1年間に3万人以上いるという事実。単身世帯の急増は、将来の無縁死や孤独死の増を示唆しているのかもしれないし、別の言い方をすれば「遺族の不在」という深刻な事態が迫ってきている。俗世のつながりが分断すれば、死者と遺族の関係も歪が生じる。そもそも少子化が加速して、死後の継承者が縮小しているので、「遺族なき供養」という問題は、どの寺院でも逼迫した課題であるはずだ。永代供養墓の普及はその証拠だし、究極の選択は、遺族がいても、葬式をしない「直葬」だろう。首都圏では、葬儀全体の3割を占めるという。多死社会において、いったい供養の担い手とは誰なのか。
グリーフという遺族の内面にかかわる問題が生起する一方で、「遺族の不在」という社会的な現象が立ちはだかる。そもそもグリーフの主体者とは誰なのか。遺族なき時代が到来する中、死別の悲しみはどう支えられ、死者をどう悼んでいくのか。
■グリーフサポートとしての葬送
墓、葬式など葬送儀礼、あるいは僧侶という存在は、長い歴史を通して、死別の悲しみを支える作法を伝えてきた。かつての大家族、長男世襲の時代ではそれは至極当然の生活文化であったから、とりたててグリーフという問題が取り上げられたこともなかった。しかし、家族が多様化して、遺族が急速に変容する今、葬式仏教も制度疲労を来し、逆にその間隙を縫ってグリーフの観点が浮上してきた。
確かにこれまで通りの葬式仏教は後退するだろう。しかし、ある意味でグリーフを核とした新たな葬式の再構築が始まる、これは転機なのかもしれない。「一人では弱い存在である人間が死別と向き合ってとき、誰かに支えてもらうことで生きるために必要な力を得る時間や場所として葬儀がある」(橋爪謙一郎)ならば、グリーフサポートとしての葬送の役割を、いま真剣に考えるべき時が来ているのではないか。それは同時に、儀礼の執行役であった僧侶の役割をも問い直すものとなるだろう。
今回のエンディングセミナーでは、3人のゲストの活動を通して、グリーフサポートとしての葬送について考えてみたい。(秋田光彦)
❑ ❑ ❑ ❑ ❑ ❑ ❑ ❑ ❑ ❑ ❑ ❑ ❑ ❑ ❑ ❑ ❑ ❑
大蓮寺・應典院 夏のエンディングセミナー2010
「遺族」をどう支えるか~グリーフサポートとしての葬送~
第1回 7/10(土)14:00~
應典院寺町倶楽部「寺子屋トーク第58回」
遺族と<墓友>たち~「人生の最期」にこだわる仲間たち~
会場:應典院 <閉会16:30>
井上 治代さん(NPO法人エンディングセンター代表・東洋大学教授)
対話:秋田光彦 司会:出口久美さん(NPO法人遺族支え愛ネット)
[オンライン予約]
http://uemachi.cotocoto.jp/event/40689
参加費 :一般1,500円・應典院寺町倶楽部会員・学生1,200円
*なお、同日、大蓮寺のエンディング奨励事業「自然賞」授賞式を併催します。
第2回 7/18(日)14:00~
遺族サポートとお葬式~グリーフでつながる~
会場:大蓮寺 <閉会16:00>
橋爪 謙一郎さん(株式会社ジーエスアイ代表取締役)
対話:秋田光彦
[オンライン予約]
http://uemachi.cotocoto.jp/event/40690
参加費 :一般1,000円・應典院寺町倶楽部会員・学生800円
第3回 7/25(日)14:00~
自殺遺族と仏教~自殺問題に取り組む僧侶たち~
会場:大蓮寺 <閉会16:00>
藤澤 克己さん(自殺対策に取り組む僧侶の会代表・浄土真宗本願寺派安楽寺副住職)
対話:秋田光彦
[オンライン予約]
http://uemachi.cotocoto.jp/event/40691
参加費 :一般1,000円・應典院寺町倶楽部会員・学生800円
主催:大蓮寺・エンディングを考える市民の会、應典院寺町倶楽部
共催:浄土宗大蓮寺、應典院
助成:公益財団法人JR西日本あんしん社会財団
協力:NPO法人遺族支え愛ネット、Live on、NPO法人エンディングセンター
<各回ともインターネットで直接申込が可能です>
10日:http://uemachi.cotocoto.jp/event/40689
18日:http://uemachi.cotocoto.jp/event/40690
25日:http://uemachi.cotocoto.jp/event/40691
<事前の準備状況は大蓮寺のブログで紹介!>
http://mitoribito.blogspot.com
問合せ 應典院寺町倶楽部(おうてんいんてらまちくらぶ)
543-0076 大阪市天王寺区下寺町1-1-27 TEL 06-6771-7641 FAX 06-6770-3147
電子メール info@outenin.com ホームページ http://www.outenin.com
2010年7月5日月曜日
2010年6月14日月曜日
いただきます、という花束。
宮崎県の口蹄疫の災禍が、一向に収まる気配がない。もちろん、拡大は食いとめなくてはならないが、そのために数万頭以上の家畜が殺処分されると知ると、慄然とする。すでに遺骸を埋める場所さえないと聞く。それ以上に、畜産農家の悲痛は察して余りある。手塩をかけて、子ども同然に育て上げた牛豚を、「感染防止」のため次々と殺処分される。あまりに痛ましい。農家の中には、遺骸に花を供えてくれ、と涙ながら係員に託する人もいるという。
忘れてはならないことがある。もとよりこの牛や豚は、われわれ人間の「食用」として肥育されてきた、という事実。そして、私たち人間は多くの生き物のいのちを食べ、その上に生かさせてもらっている、ということを再認識しないわけにいかない。
消費優先の社会では、そういった実体は隠されており、店先に並ぶ食肉は、多くは切り身となったパック入りの姿でしかない。牛も豚もみないのちはあるが、消費の世界では、それらは商品であり、食材であり、代価の対象以外の何物でもない。殺された牛豚の場面をテレビで眺めながら、何段重ねの巨大なバーガーを食らう我々がいる。
私の幼稚園では給食の際、園児たちは合掌して、「食前のことば」を唱える。
「われいまこの清き食をいただきます。
与えられた天地の恵みを感謝します。
いただきます」
食は、商品ではなく、天地の恵みとして授けられたものであるという考え方。そして、「いただきます」とは英語では訳せない独特の言葉だが、その根底には「あなたの尊いいのちをいただきます」という深い懺悔の念がこめられています。食育の原点は、栄養だ調理だという前に、この「尊いいのちのおかげ」を知ることではないか。
仏教では、「山川草木悉有仏性」と、生きとし生けるものすべてを尊んできた。にもかかわらず、人間は他者のいのちの上に成り立つしかない。わが身を悲しむと同時に、それを転じてすべてのいのちへの感謝と慈しみが大切であると教えてきた。いのちを授けてくださったあなたの分も、しっかり生きていきます、という誓いが横たわっている。そのことを忘れてはならない。
「いただきます」とは、私たちが毎日、いのちに捧げる感謝の花束なのである。(蓮池潤三)
忘れてはならないことがある。もとよりこの牛や豚は、われわれ人間の「食用」として肥育されてきた、という事実。そして、私たち人間は多くの生き物のいのちを食べ、その上に生かさせてもらっている、ということを再認識しないわけにいかない。
消費優先の社会では、そういった実体は隠されており、店先に並ぶ食肉は、多くは切り身となったパック入りの姿でしかない。牛も豚もみないのちはあるが、消費の世界では、それらは商品であり、食材であり、代価の対象以外の何物でもない。殺された牛豚の場面をテレビで眺めながら、何段重ねの巨大なバーガーを食らう我々がいる。
私の幼稚園では給食の際、園児たちは合掌して、「食前のことば」を唱える。
「われいまこの清き食をいただきます。
与えられた天地の恵みを感謝します。
いただきます」
食は、商品ではなく、天地の恵みとして授けられたものであるという考え方。そして、「いただきます」とは英語では訳せない独特の言葉だが、その根底には「あなたの尊いいのちをいただきます」という深い懺悔の念がこめられています。食育の原点は、栄養だ調理だという前に、この「尊いいのちのおかげ」を知ることではないか。
仏教では、「山川草木悉有仏性」と、生きとし生けるものすべてを尊んできた。にもかかわらず、人間は他者のいのちの上に成り立つしかない。わが身を悲しむと同時に、それを転じてすべてのいのちへの感謝と慈しみが大切であると教えてきた。いのちを授けてくださったあなたの分も、しっかり生きていきます、という誓いが横たわっている。そのことを忘れてはならない。
「いただきます」とは、私たちが毎日、いのちに捧げる感謝の花束なのである。(蓮池潤三)
2010年5月30日日曜日
『宗教的ケアとスピリチュアルケア』~ビハーラ21「ビハーラ実践研究会」を聴講して
去る5月24日、NPO法人ビハーラ21が開催した「第2回ビハーラ実践研究会」に参加した。
この研究会は、3月より隔月で開催されており、今回が2回目である。
第1回目については、下記のブログを参照頂きたい。
http://mitoribito.blogspot.com/2010/04/blog-post.html
今回はビハーラ21の理事であり、曹洞宗崇禅寺副住職 西岡秀爾さんが「ビハーラ活動再考-宗教的ケアとスピリチュアルケア-」で話題を提供された。
僧侶、ヘルパーさんや一般の方など前回以上の30名近く方が集まられ、西岡さんの講演の後も予定時間を越える白熱したディスカッションになった。
西岡さんからのお話で、ビハーラ活動は、「仏教を基盤とした」「仏教を機縁とした」゛いのち゛の尊さに気づき、支え合う精神に基づく活動と言えるが、それではビハーラ活動は宗教的ケアなのか?スピリチュアルケアなのか?という問いがあった。
宗教的ケアとはケアを提供する側とされる側で互いの宗教観が一致もしくは似ていることが前提であり、ケアを提供する側が主導権を持つという。つまり僧侶、牧師などがいなければケアは不成立であり、援助者も僧侶、牧師などに限られることになる。本来スピリチュアルケアはケアを提供する側(援助者)がケアを受ける側(相談者)の世界観に合わせ、主導権は相談者にあって、援助者は相談者の行きたいほうに寄り添うのであるが、それ故援助者はカウンセラー、医師、ボランティアなど多岐にわたる。
またケア援助者が提供するものとして、宗教的ケアは「答え」「気づき」を与えるが、スピリチュアルケアは答えを提供するのではなく「気づきの場」を与えるものだ。
さらに宗教的ケアでは、相談者は援助者である宗教者を基軸とする「世界」に入り込むことになるが、スピリチュアルケアでは、その相談者の「世界」に入り込むので、信仰の種類や有無を問わないで、どのような相手にも対応できるともいえる。つまり、宗教者を基軸とする「世界」と相談者の「世界」と入り込み世界が違うのである。
そこでビハーラ21の活動は、「ビハーラを掲げる集まり(仏教を機縁とした集まり)としては、活動の場に応じ、宗教的ケア(超宗派の活動)とスピリチュアルケアを上手く使い分けることが必要不可欠」と考える。
末期を迎えている方から「死んだら天国に行けますか?」と聞かれたらどう対応するのか。釈尊の立場では「有るとも無いとも言えない」ということになるが、宗教的ケアでは援助者の信仰・信念において答えを提供する。つまり「極楽浄土がありますよ」ということになる一方、スピリチュアルケアでは、援助者は答えを提供しない。あくまでも相談者が折り合いをつける、という。
定義はそうかもしれない。しかし、もし私が末期の方に死後の世界をあるのかと尋ねられたら、何の根拠はなくとも「ある」「そこで愛する人たちと会えるよ」と答えると思う。乱暴な言い方だが、こんなとき「嘘も方便」ではないか。
これからは宗教者の役割は、問題に対し答えを出すことよりも、「問い」を「問題」まで構成し直すことができるかどうかが求められることになるであろう。
最後に西岡さんが、ビハーラを掲げる集まりは、あくまでも仏教が機縁となっているだけで、仏教を前面に押し出すものではない。援助者側の拠り所として仏教が支えとなっているのは事実だが、それを相談者に押し付けてはならない。さらに仏教を手段として利用するのは間違っている。ケアのために、看護のために、福祉のために、癒しのために仏教を使うのではなく、有縁の援助者側のバックボーン(生き方・支え)として仏教があるのではないか、と言って締めくくられた。
今回の話題はなかなか解答の出るものではないので、引き続き話し合えて行ければ思う。「ビハーラ」が今後大きく展開していくには、まだまだ様々な課題があるが、このビハーラ実践研究会で議論を一つ一つじっくりと交わし、ぜひ一緒に歩んでみたいと改めて思った。
この研究会は大河内さん、西岡さんの持っておられる居住まいが、すごく良い「場」を作っておられる。今後もとても楽しみな研究会である。
次回のビハーラ実践研究会は7月26日PM6:30からシェアハウス中井で行われる。通常、1時間半であるが、今回のように白熱したディスカッションから、今後は2時間の枠に広げるかもしれないと大河内さんが仰った。私も大賛成である。(浦嶋偉晃)
この研究会は、3月より隔月で開催されており、今回が2回目である。
第1回目については、下記のブログを参照頂きたい。
http://mitoribito.blogspot.com/2010/04/blog-post.html
今回はビハーラ21の理事であり、曹洞宗崇禅寺副住職 西岡秀爾さんが「ビハーラ活動再考-宗教的ケアとスピリチュアルケア-」で話題を提供された。
僧侶、ヘルパーさんや一般の方など前回以上の30名近く方が集まられ、西岡さんの講演の後も予定時間を越える白熱したディスカッションになった。
西岡さんからのお話で、ビハーラ活動は、「仏教を基盤とした」「仏教を機縁とした」゛いのち゛の尊さに気づき、支え合う精神に基づく活動と言えるが、それではビハーラ活動は宗教的ケアなのか?スピリチュアルケアなのか?という問いがあった。
宗教的ケアとはケアを提供する側とされる側で互いの宗教観が一致もしくは似ていることが前提であり、ケアを提供する側が主導権を持つという。つまり僧侶、牧師などがいなければケアは不成立であり、援助者も僧侶、牧師などに限られることになる。本来スピリチュアルケアはケアを提供する側(援助者)がケアを受ける側(相談者)の世界観に合わせ、主導権は相談者にあって、援助者は相談者の行きたいほうに寄り添うのであるが、それ故援助者はカウンセラー、医師、ボランティアなど多岐にわたる。
またケア援助者が提供するものとして、宗教的ケアは「答え」「気づき」を与えるが、スピリチュアルケアは答えを提供するのではなく「気づきの場」を与えるものだ。
さらに宗教的ケアでは、相談者は援助者である宗教者を基軸とする「世界」に入り込むことになるが、スピリチュアルケアでは、その相談者の「世界」に入り込むので、信仰の種類や有無を問わないで、どのような相手にも対応できるともいえる。つまり、宗教者を基軸とする「世界」と相談者の「世界」と入り込み世界が違うのである。
そこでビハーラ21の活動は、「ビハーラを掲げる集まり(仏教を機縁とした集まり)としては、活動の場に応じ、宗教的ケア(超宗派の活動)とスピリチュアルケアを上手く使い分けることが必要不可欠」と考える。
末期を迎えている方から「死んだら天国に行けますか?」と聞かれたらどう対応するのか。釈尊の立場では「有るとも無いとも言えない」ということになるが、宗教的ケアでは援助者の信仰・信念において答えを提供する。つまり「極楽浄土がありますよ」ということになる一方、スピリチュアルケアでは、援助者は答えを提供しない。あくまでも相談者が折り合いをつける、という。
定義はそうかもしれない。しかし、もし私が末期の方に死後の世界をあるのかと尋ねられたら、何の根拠はなくとも「ある」「そこで愛する人たちと会えるよ」と答えると思う。乱暴な言い方だが、こんなとき「嘘も方便」ではないか。
これからは宗教者の役割は、問題に対し答えを出すことよりも、「問い」を「問題」まで構成し直すことができるかどうかが求められることになるであろう。
最後に西岡さんが、ビハーラを掲げる集まりは、あくまでも仏教が機縁となっているだけで、仏教を前面に押し出すものではない。援助者側の拠り所として仏教が支えとなっているのは事実だが、それを相談者に押し付けてはならない。さらに仏教を手段として利用するのは間違っている。ケアのために、看護のために、福祉のために、癒しのために仏教を使うのではなく、有縁の援助者側のバックボーン(生き方・支え)として仏教があるのではないか、と言って締めくくられた。
今回の話題はなかなか解答の出るものではないので、引き続き話し合えて行ければ思う。「ビハーラ」が今後大きく展開していくには、まだまだ様々な課題があるが、このビハーラ実践研究会で議論を一つ一つじっくりと交わし、ぜひ一緒に歩んでみたいと改めて思った。
この研究会は大河内さん、西岡さんの持っておられる居住まいが、すごく良い「場」を作っておられる。今後もとても楽しみな研究会である。
次回のビハーラ実践研究会は7月26日PM6:30からシェアハウス中井で行われる。通常、1時間半であるが、今回のように白熱したディスカッションから、今後は2時間の枠に広げるかもしれないと大河内さんが仰った。私も大賛成である。(浦嶋偉晃)
2010年5月15日土曜日
いのちのエナジー 現代の寺子屋を求めて(5)坊さんも、大志を抱く
「ボーズ・ビー・アンビシャス」。どこかで聞いたことがありそうな言葉だが、誤植ではない。そう、これは「青年よ、大志を抱け」をもじり、「お坊さんよ、大志を抱け」とされたスローガンなのだ。使い始めたのは、東京・港区にある青松寺。伝統ある曹洞宗のお寺で、宗門以外の講師を招いて始めた「仏教ルネッサンス塾」の上田紀行塾長(東京工業大学大学院准教授)のもと、僧侶たちが自らの問題を語り合う場がボーズ・ビー・アンビシャスである。
去る3月9日、大阪市下寺町の應典院にて、ボーズ・ビー・アンビシャス、通称BBAの関西での第1回が開催された。きっかけは、既に7年13回にわたり開催されてきた東京での会に、関西方面から何度も参加してきた僧侶がいたことだった。そして、昨年7月20日に準備会が発足し、16人の仲間たちとともに、実現に向けて取り組んできた。結果として、63人の僧侶らによる激論の場が生まれた。BBAを知る人も、知らない人も、カミングアウトや自己宣言をする機会を得たように思う。
ただ、開催にあたって事務局を務めさせていただいた側としての率直な感想は、「集まり、語ることに満足をしていないか」ということである。言葉を選ばずに言えば、「いけてるお坊さん」を装ったところで、それぞれの寺院が抱えている問題は、いっこうに解決を導き出すことはできないのだ。もちろん、こうして集い、考える場が無意味だとは言っていない。要するに、集い、考えたものを、どのように自らの生き方、すなわち現場に重ねていくのかが、決定的に重要なのである。
宗教学者の島田裕巳さんの『葬式は、要らない』では、日本仏教を「墓参り教」と指摘する。今、行動する仏教者が受け止めるべきは、こうして家族が遺族になった後から、関係を維持・発展させてきたことではないかと思う。仏教者は、仏教ファンを増やすことや寺院経営のサポーターを増やすことだけに注力すべきではない。そう、檀信徒の方々と共に、今の時代を生き抜いていかねばならないのだ。
ちなみに、BBA関西の議論は、はやりのツイッターで「中継」させていただいた。すると、会場で紡がれた言葉を、宗教者以外によってつぶやき直されることがあった。ここに、仏教の言葉は、今の時代にも響く可能性を持っているはずと会心した。だからこそ、仏教を説きながら、その言葉を届ける「あなた」に寄り添い、共に生きていく大志を抱きたい。(山口洋典)
去る3月9日、大阪市下寺町の應典院にて、ボーズ・ビー・アンビシャス、通称BBAの関西での第1回が開催された。きっかけは、既に7年13回にわたり開催されてきた東京での会に、関西方面から何度も参加してきた僧侶がいたことだった。そして、昨年7月20日に準備会が発足し、16人の仲間たちとともに、実現に向けて取り組んできた。結果として、63人の僧侶らによる激論の場が生まれた。BBAを知る人も、知らない人も、カミングアウトや自己宣言をする機会を得たように思う。
ただ、開催にあたって事務局を務めさせていただいた側としての率直な感想は、「集まり、語ることに満足をしていないか」ということである。言葉を選ばずに言えば、「いけてるお坊さん」を装ったところで、それぞれの寺院が抱えている問題は、いっこうに解決を導き出すことはできないのだ。もちろん、こうして集い、考える場が無意味だとは言っていない。要するに、集い、考えたものを、どのように自らの生き方、すなわち現場に重ねていくのかが、決定的に重要なのである。
宗教学者の島田裕巳さんの『葬式は、要らない』では、日本仏教を「墓参り教」と指摘する。今、行動する仏教者が受け止めるべきは、こうして家族が遺族になった後から、関係を維持・発展させてきたことではないかと思う。仏教者は、仏教ファンを増やすことや寺院経営のサポーターを増やすことだけに注力すべきではない。そう、檀信徒の方々と共に、今の時代を生き抜いていかねばならないのだ。
ちなみに、BBA関西の議論は、はやりのツイッターで「中継」させていただいた。すると、会場で紡がれた言葉を、宗教者以外によってつぶやき直されることがあった。ここに、仏教の言葉は、今の時代にも響く可能性を持っているはずと会心した。だからこそ、仏教を説きながら、その言葉を届ける「あなた」に寄り添い、共に生きていく大志を抱きたい。(山口洋典)
2010年5月7日金曜日
いのちのエナジー 現代の寺子屋を求めて(4)あなたの分まで生きる
この1月、應典院では「震災15年の手紙」を募った。先祖供養だけではなく、時代を生きる人々と呼吸するお寺を目指すゆえの挑戦であった。そもそも供養とは、誰かの死を想い起こすことである。そこで、ことばを専門に扱う2名の表現者と共に、あの日に思いを馳せることにした。
簡単に言えば、誰に宛ててもよいので、震災15年の今だからこそ、封書に思いをしたためて、お寺に送って下さい、という取り組みである。それを宛名がわからないようにお寺のロビーに展示した。しかもロビーはその間だけ人工芝が敷かれるなど、造園が専門のデザイナー、花村周寛さんの手によって公園のような空間に設えられていた。そこで、作家の岩淵拓郎さんの着想で、額に入れるなどした展示ではなく、公園に置き忘れたかのように演出された。また、期間中にはこうした工夫も、詩人の上田假奈代さんによる詩作と朗読のワークショップも開催した。
新聞各紙の報道や、浄土真宗本願寺派神戸教区など、地域や宗派を超えた関心を頂いて、40通程の手紙が寄せられた。近親者の死、また当時の記憶などが綴られた手紙は、展示の最終日に、幅広く募られた参加者によって供養された。その手順は、印象に残った手紙をトレーシングペーパーで書きなぞり、写し取った部分を朗読、さらにその朗読を聞いた他の参加者が耳についた言葉を辞書で引き、朗読を重ねた。その後、大蓮寺・應典院住職の読経の中で、原典と共に火にくべる「浄焚式」が執り行われた。途中、「燃やすのはもったいない」との声が出たが、「人間の亡骸も荼毘に付した後、遺骨を大切にするのですから」など、手紙を身体に見立てて、浄焚する意味を説かせて頂いた。永遠に有形のものなど何もない、という諸行無常そのままである。
生涯発達心理学者のやまだようこ先生によれば、「死者を葬る、忘れる」のではなく、死者と共に生きる決心をしたとき、「不在の他者と同行する物語」を紡ぎ、そこに生きる力を得ているという。まさに今回の取り組みは、名前も知らぬ他者の死を、手紙の文面から悼み、その内容を受け止めた人々が、「あなたの分まで」それぞれのいのちを生き抜くことを誓うというものであった。これも、お寺が継承してきた儀礼の文化を、表現者たちの創意工夫が異化させてくれたゆえんだろう。取り組みの全体像は「コモンズフェスタ」特別ブログで公開しているので、ご参照願いたい。(山口洋典)
簡単に言えば、誰に宛ててもよいので、震災15年の今だからこそ、封書に思いをしたためて、お寺に送って下さい、という取り組みである。それを宛名がわからないようにお寺のロビーに展示した。しかもロビーはその間だけ人工芝が敷かれるなど、造園が専門のデザイナー、花村周寛さんの手によって公園のような空間に設えられていた。そこで、作家の岩淵拓郎さんの着想で、額に入れるなどした展示ではなく、公園に置き忘れたかのように演出された。また、期間中にはこうした工夫も、詩人の上田假奈代さんによる詩作と朗読のワークショップも開催した。
新聞各紙の報道や、浄土真宗本願寺派神戸教区など、地域や宗派を超えた関心を頂いて、40通程の手紙が寄せられた。近親者の死、また当時の記憶などが綴られた手紙は、展示の最終日に、幅広く募られた参加者によって供養された。その手順は、印象に残った手紙をトレーシングペーパーで書きなぞり、写し取った部分を朗読、さらにその朗読を聞いた他の参加者が耳についた言葉を辞書で引き、朗読を重ねた。その後、大蓮寺・應典院住職の読経の中で、原典と共に火にくべる「浄焚式」が執り行われた。途中、「燃やすのはもったいない」との声が出たが、「人間の亡骸も荼毘に付した後、遺骨を大切にするのですから」など、手紙を身体に見立てて、浄焚する意味を説かせて頂いた。永遠に有形のものなど何もない、という諸行無常そのままである。
生涯発達心理学者のやまだようこ先生によれば、「死者を葬る、忘れる」のではなく、死者と共に生きる決心をしたとき、「不在の他者と同行する物語」を紡ぎ、そこに生きる力を得ているという。まさに今回の取り組みは、名前も知らぬ他者の死を、手紙の文面から悼み、その内容を受け止めた人々が、「あなたの分まで」それぞれのいのちを生き抜くことを誓うというものであった。これも、お寺が継承してきた儀礼の文化を、表現者たちの創意工夫が異化させてくれたゆえんだろう。取り組みの全体像は「コモンズフェスタ」特別ブログで公開しているので、ご参照願いたい。(山口洋典)
2010年4月28日水曜日
世界一周自転車の旅から学んだ「感謝」のこころ
先日、應典院で開催された「いのちと出会う会」で「世界一周自転車の旅から学んだ感謝の心」という題で、ミキハウス勤務の坂本達さんの話を聞いた。
坂本さんは4年3ヶ月もの長い間に43ヶ国を訪れ、のべ5万5000キロを走破した。
何よりも驚くのは、有給休暇を取って、しかもボーナス、定期昇給つきだということ。
普通なら無給の休職のはずだが、ミキハウスの社長が坂本さんの熱意にほだされた結果である。
坂本さんがこの旅を通じて感じたのは、「人の支えがなければ何もできない」「小さいことに大きな感謝をする」ということである。
自転車で一日平均120キロ近くの走行をすれば、当然トラブルが付き物である。そして最大の危機にギニアで遭遇した。マラリアに赤痢を併発したのである。しかし不幸中の幸いは村で唯一の医師の家に泊めてもらったことであった。医師は坂本さんのために村にたった一つ残っていたワクチンを使ってくれた。また村長も、村人が週に一度だけ食べる、ごちそうの鶏肉を坂本さんのために譲ってくれた。
またある村でイモムシを出された時は、かなり躊躇し手をつけないままでいると、村人たちの顔を表情がだんだんと曇って悲しい顔つきになってきた。しかし意を決して、目をつぶり飲み込んだ瞬間、村人たちは坂本さんを本当の仲間と思い、喜んでくれた。今まで村に来た欧米人は食べなかったそうである。
現地の人の協力なしに旅は出来ない。
帰国から数年後、恩返しで再度ギニアに薬を持って訪れたが、旅の時に助けてもらった医師が、「病気を防ぐのに一番必要なのは、きれいな水なんだ」、その一言で「井戸掘りプロジェクト」を思い立った。しかし村人たちは作ってもらえるのだと、つまりプレゼントしてもらえるものだと思い、傍観者になっていた。まだ垣根があったのだ。そこで坂本さんは見よう見真似でコーランを覚え、イスラム教徒の村人たちとの一体化した。坂本さんは「相手の大事にしているものを自分も尊重する。それが基本」と言う。
恩返しはさらにギニアにきちんとした診療所を作るという所まで進んでいった。
坂本さんに井戸を掘る技術があったわけではない。一番大切なのは、現地の人々がやる気になってもらう仕組み。何度も通い、コミュニケーションを深めて行くことが必要だと。
坂本さんが世界を回っている時に心がけたのは、挨拶をすることを大切に、そして感謝の気持ちを持つことである。
坂本さんの夢は再度、世界一周の旅をしたいと言われた。
すごい夢だと思う。
4年3ヶ月の有給休暇というのは普通の会社では有り得ないことである。だからどうしても私たちは夢をあきらめてしまう。しかし坂本さんは熱意と情熱で社長を、会社を動かしたのだ。そしてその感謝に気持ちを忘れずに、帰国後も日本全国の小学校を周って、経験を語り、「感謝」のこころとは何かを伝え続けている。
私は今回、初めて坂本さんのことを知ったが、自分が忘れていたもの、というより意識的にあきらめてしまっていたものを思い出した。
人間、やる気になれば何でも出来る。真の勇気を持つことを思い出せてもらった。(浦嶋偉晃)
坂本さんは4年3ヶ月もの長い間に43ヶ国を訪れ、のべ5万5000キロを走破した。
何よりも驚くのは、有給休暇を取って、しかもボーナス、定期昇給つきだということ。
普通なら無給の休職のはずだが、ミキハウスの社長が坂本さんの熱意にほだされた結果である。
坂本さんがこの旅を通じて感じたのは、「人の支えがなければ何もできない」「小さいことに大きな感謝をする」ということである。
自転車で一日平均120キロ近くの走行をすれば、当然トラブルが付き物である。そして最大の危機にギニアで遭遇した。マラリアに赤痢を併発したのである。しかし不幸中の幸いは村で唯一の医師の家に泊めてもらったことであった。医師は坂本さんのために村にたった一つ残っていたワクチンを使ってくれた。また村長も、村人が週に一度だけ食べる、ごちそうの鶏肉を坂本さんのために譲ってくれた。
またある村でイモムシを出された時は、かなり躊躇し手をつけないままでいると、村人たちの顔を表情がだんだんと曇って悲しい顔つきになってきた。しかし意を決して、目をつぶり飲み込んだ瞬間、村人たちは坂本さんを本当の仲間と思い、喜んでくれた。今まで村に来た欧米人は食べなかったそうである。
現地の人の協力なしに旅は出来ない。
帰国から数年後、恩返しで再度ギニアに薬を持って訪れたが、旅の時に助けてもらった医師が、「病気を防ぐのに一番必要なのは、きれいな水なんだ」、その一言で「井戸掘りプロジェクト」を思い立った。しかし村人たちは作ってもらえるのだと、つまりプレゼントしてもらえるものだと思い、傍観者になっていた。まだ垣根があったのだ。そこで坂本さんは見よう見真似でコーランを覚え、イスラム教徒の村人たちとの一体化した。坂本さんは「相手の大事にしているものを自分も尊重する。それが基本」と言う。
恩返しはさらにギニアにきちんとした診療所を作るという所まで進んでいった。
坂本さんに井戸を掘る技術があったわけではない。一番大切なのは、現地の人々がやる気になってもらう仕組み。何度も通い、コミュニケーションを深めて行くことが必要だと。
坂本さんが世界を回っている時に心がけたのは、挨拶をすることを大切に、そして感謝の気持ちを持つことである。
坂本さんの夢は再度、世界一周の旅をしたいと言われた。
すごい夢だと思う。
4年3ヶ月の有給休暇というのは普通の会社では有り得ないことである。だからどうしても私たちは夢をあきらめてしまう。しかし坂本さんは熱意と情熱で社長を、会社を動かしたのだ。そしてその感謝に気持ちを忘れずに、帰国後も日本全国の小学校を周って、経験を語り、「感謝」のこころとは何かを伝え続けている。
私は今回、初めて坂本さんのことを知ったが、自分が忘れていたもの、というより意識的にあきらめてしまっていたものを思い出した。
人間、やる気になれば何でも出来る。真の勇気を持つことを思い出せてもらった。(浦嶋偉晃)

2010年4月22日木曜日
市民は祈る。市民救助者の惨事ストレス。
興味深い記事を見つけた。惨事ストレス。災害救援者が凄惨な現場に出動した際にかかるストレスだ。恐怖や職業上の強い責任感から心身に不調が生じるとされ、心拍数が上がったり、情景がフラッシュバックしたりする。PTSDにつながる恐れもあるという。
記事は、2005年のJR福知山線の脱線事故の際、救援を手伝った「市民救助者」に焦点を当てていた。消防隊員などプロの救助者には対策が取られているが、市民の現状はほとんど顧みられていない。北里大学の調査によると、事故から4年を経た段階で、市民の3割近くが「不眠」「疲労感」「罪悪感」などストレス症状が続いているという。
市民救助者はたまたま事故現場に居合わせたに過ぎない。状況によると思うが、「火事場の見物」でもよかったはずだが、止むにやまれず「救助者」となったのだろう。本来なら賞賛されるはずの勇気ある行為が、当人の心のトラウマとなっていくとは、何と悲痛なことだろう。
<救助にかかわったHさんは、電車内から『お母さん、助けて』」という若い女性の声がしたため、バールを探して戻ったが、もう声は聞こえなかった。負傷者に肩を貸すなど救助を手伝い、作業着は血だらけに。その日から1週間、地獄のような情景が夢に現われた。今も朝夕、現場に向かって手を合わす。「もっと多くの人を救えたのでは、と自責の念にかられた」という>(読売2010年4月8日)
Hさんの「自責の念」の要因は、自ら招いたものではない。たまたまた現場にいた、そして見かねて救援を手伝った。それが、その後何年も拭いきれない「縛り」となってしまう。それぞれに領分があって、自分にできることには限界があるのだ。プロでも苛まれる惨状であったのなら、果たして自発的であったにせよ市民救助者を迎えるべきだったか、とも考えてしまう。
Hさんは、「(その後は)冥福を祈ることが心の救いになった」という。個人では背負いきれないストレス感情を、神仏の領域に預けるということかもしれない。自分の限界点まで辿りついて、人間はようやく諦観の念を起こす。あとは仏の救済力に任せて、自分は手を引くのだ。
近代は、ずっと個人の可能性を推し進めてきた。「自分には限りない可能性がある」と刷りこんで、自己実現から自己責任まで、実体のない「自己像」を売りさばいた。けれど、やがて個人ではどうにもならない現実に行きあたる。自分の能力の限界を思い知る。それは近代から見れば「敗北」かもしれないが、私には、もうひとつの可能性としての「霊性の気づき」のようにも見える。自らの弱さ、無力さから立ち上がる、宗教的感覚の発見といってもいい。
国内外で自然災害や大事故が続く。死傷者何万人という数字が強調され、あちこちで募金活動が活発になる。それ自体はだいじなことだが、だから「してあげた」と傲慢になってはいけない。忘れてならないのは、自然の脅威を前に、私たちの無力さを自覚しながら、誰かのために真摯に「祈る」ということではないか。惨事ストレスのニュースを見て、そんなことを感じた。(秋田光彦)
記事は、2005年のJR福知山線の脱線事故の際、救援を手伝った「市民救助者」に焦点を当てていた。消防隊員などプロの救助者には対策が取られているが、市民の現状はほとんど顧みられていない。北里大学の調査によると、事故から4年を経た段階で、市民の3割近くが「不眠」「疲労感」「罪悪感」などストレス症状が続いているという。
市民救助者はたまたま事故現場に居合わせたに過ぎない。状況によると思うが、「火事場の見物」でもよかったはずだが、止むにやまれず「救助者」となったのだろう。本来なら賞賛されるはずの勇気ある行為が、当人の心のトラウマとなっていくとは、何と悲痛なことだろう。
<救助にかかわったHさんは、電車内から『お母さん、助けて』」という若い女性の声がしたため、バールを探して戻ったが、もう声は聞こえなかった。負傷者に肩を貸すなど救助を手伝い、作業着は血だらけに。その日から1週間、地獄のような情景が夢に現われた。今も朝夕、現場に向かって手を合わす。「もっと多くの人を救えたのでは、と自責の念にかられた」という>(読売2010年4月8日)
Hさんの「自責の念」の要因は、自ら招いたものではない。たまたまた現場にいた、そして見かねて救援を手伝った。それが、その後何年も拭いきれない「縛り」となってしまう。それぞれに領分があって、自分にできることには限界があるのだ。プロでも苛まれる惨状であったのなら、果たして自発的であったにせよ市民救助者を迎えるべきだったか、とも考えてしまう。
Hさんは、「(その後は)冥福を祈ることが心の救いになった」という。個人では背負いきれないストレス感情を、神仏の領域に預けるということかもしれない。自分の限界点まで辿りついて、人間はようやく諦観の念を起こす。あとは仏の救済力に任せて、自分は手を引くのだ。
近代は、ずっと個人の可能性を推し進めてきた。「自分には限りない可能性がある」と刷りこんで、自己実現から自己責任まで、実体のない「自己像」を売りさばいた。けれど、やがて個人ではどうにもならない現実に行きあたる。自分の能力の限界を思い知る。それは近代から見れば「敗北」かもしれないが、私には、もうひとつの可能性としての「霊性の気づき」のようにも見える。自らの弱さ、無力さから立ち上がる、宗教的感覚の発見といってもいい。
国内外で自然災害や大事故が続く。死傷者何万人という数字が強調され、あちこちで募金活動が活発になる。それ自体はだいじなことだが、だから「してあげた」と傲慢になってはいけない。忘れてならないのは、自然の脅威を前に、私たちの無力さを自覚しながら、誰かのために真摯に「祈る」ということではないか。惨事ストレスのニュースを見て、そんなことを感じた。(秋田光彦)
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