2010年12月23日木曜日

介護施設で看取りが浸透しないわけ

去る11月27日、尼崎にて「第19回阪神ホームホスピスを考える会」があり、「施設での看取り」というテーマで講演を聴いた。
 最初に、特別養護老人ホーム けま嬉楽苑の土谷施設長が、「そのひとらしい暮らしを支えるターミナルケア」という話題提供をされた。
 施設の入口には鍵はかけておらず、入居者は自由に出入りできる(もちろん認知症の方も)が、トラブルはないそうである。入居者には事前に普段の雑談の中で自分の「死に対する考え」について確認をし、死後の世界などもタブー視しない雰囲気作りをしている。施設で亡くなられた方に対しては、お別れ会をして、正面玄関からご遺体は出棺される。入居者全員でお見送りをするのだが、それを見て認知症の方も一緒に涙をこぼされるという。現在入居者55人で看取りは年間7名。平均要介護度3.9、そして何と待機者が700人もいらっしゃるそうである。
 この施設のスタッフは、皆さんがホスピスマインドを持たれているように感じた。高齢者の虐待とか孤独とか、そんなニュースが絶えない中で、がんばっておられる特養の話を聞いて気持ちが明るくなった。


 続いて特別講演として、拓海会の藤田拓司先生が「介護施設の終末期ケア」というテーマで講演をされた。
 2025年には160万人の多死社会を迎えると言われており、現状より50万人増えることになる。そういった背景の中で、藤田さんが冒頭に「家での在宅医療が限界かなと思う」と言われたのは衝撃であった。病院でも死ねない。家でも死ねない時代がやってくるのかとゾッとした。
 家族の介護力が小さくなり、自宅での療養継続も困難になり、介護施設へ入所を希望する人、余儀なくされる人が少なくない。本来医療の現場ではない介護施設における終末期ケアを考えなければならないと言われた。しかし、介護施設では容易には死ねない現実もある。介護施設のスタッフたちの、看取りに対する忌避感が強いからだ。「死が怖い」「死にかかわりたくない」という気持ちもわかる。若いスタッフに死生観など要求するほどが酷なのかもしれない。そのため、藤田さんは「看取り」の研修を繰り返し実施されているそうだ。
もちろん「死生観」は人から教えられるものではないし、マニュアルなどない。でもその気づきのためのヒントになる研修を繰り返し実施されているのは、すごいと思った。
最後に藤田さんが言われたのは、今後、多死社会を迎える日本では、介護施設での看取りを積極的に行う必要がある。医療現場ではない介護施設で看取りを行うことは、困難を伴うが可能ではないか。そのためには医師の積極的な関与が必要である。自宅での在宅医療に近づけるために、①訪問看護が利用しやすいように制度を整備、②介護職による「吸引」などの医療処置が行えるように環境を整備することが必要、そして最も強調されたのは、③介護職に「死」を受け入れる教育が必要であると言われた。
すでに多死社会といわれ久しい。在宅看取りに比べて、施設での看取りはかなり遅れていると言われてきたが、必死でがんばっておられる現状が分かった。
残念ながら、この日の講演会では「死生観」の話は出てきたが、「宗教」というキーワードが出てこなかった。だからこそ、むしろこれからの宗教の可能性を感じた。

私自身、今まで在宅医療について知識を積んできたが、今後は介護施設についても深く考えてみたいと感じた。ただ最後にまったく個人的な見解を言わせてもらうと、私がお付き合いさせていただいている在宅の医師たちは、在宅の側にいて在宅を考えているので、限界なんてないぞと思っておられるが、一方で圧倒的多数の医療者や福祉の方は病院や施設にいらっしゃるのが現状である。施設重点主義は根強い。だから、そういう人が多いのではないか。また在宅が増えない理由もそこにあるのではないか。(浦嶋偉晃)

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