2009年12月24日木曜日

(1)生前個人墓とエンディングセミナー

葬送文化の専門誌「SOGI」に、秋田光彦住職のロングインタビューが掲載されました。大蓮寺や應典院の取り組みを通して、新しい時代の死生観について言及しています。5回に分けて連載します。

 2003年からほぼ毎年、夏に市民向け講座エンディングセミナーを開催しています。同様に大蓮寺墓域に生前個人墓「自然」を建立したことが契機となって、エンディングにかかわる6つのNPOと緩やかなネットワーク団体「大蓮寺エンディングを考える市民の会」を運営してきました。セミナーもNPOと共催でやってきましたが、医療相談、住宅、遺産・相続、生きがい等々、エンディングセミナーは生前にシフトするほど扱う領域も拡大していきます。
 なぜお寺とNPOの協働なのか、というと、大切な生死の問題を当事者である自分たちどうしで知恵を出し合い、支え合うネットワークをつくりたかったからです。現実は病院任せ、葬儀社任せ、と専門家に丸投げされているのが実態であって、それを当事者の権利として回復するためには市民が相談できたり、学習できたりするためのサポートセンターの機能が必要だと考えたからです。「おひとりさまの老後」はやがて個人の力で支え切れなくなりますから、立場の違う人たちどうし連帯して支え合うネットワークづくりが重要となります。NPOがそのパートナーとしてふさわしいと考えました。
 いまのお寺自体には何の対応能力もないですが、やはりよろず相談所の名残はあって、いろんな相談事が集まってきます。解決はできないが、紹介ならできるかもしれないと、お寺が中間機関として専門性のあるNPOと連携するようになりました。例えば医療関係なら大阪のNPO法人ささえあい医療人権センターCOML(コムル)、葬送であれば東京のNPO法人エンディングセンターなど相談内容に応じて仲介をするわけです。いのちに関係する相談の取り次ぎ役みたいなものです。このサービスは、ネット上でも展開しています。
 もうひとつ当初から考えていたのは、お寺自体の問題です。お寺をめぐるお金は、誤解も含めしばしば不透明性を指摘されてきました。お寺に寄せられるお金は本質は浄財ですから、本来は公益性のあるものに還元されなくてはならない。「自然」というお墓は檀家が対象ではないので、考えやすかったのですが、ご志納いただいたお金から一部をエンディングのNPOに毎年寄付することを想定していました。NPOの世界にはファンドマネジメントといって自治体や企業から寄付を開発する手法はよくありますが、宗教法人のお金がNPO法人の事業費として提供されるケースは恐らく初めてだと思います。「自然」を建立する費用がようやく減価償却できたので、来年度からスタートさせる予定です。
 ここ数年エンディングセミナーは、私の個人的関心もあって、看取りの問題を扱うことが多くなっていました。今回のセミナーもNPOと共催ではなく、ちょうど映画「おくりびと」がブームでエンディングに関心が高まっていたので、それをもじって「みとりびと」として、看取りにかかわる3人のゲストを招いて、私との対話方式で開催しました。セミナーの企画書に、私はつぎのように趣旨を述べました。
『映画「おくりびと」の大ヒットは、日本人にとっての死と家族の関係について改めて想い起こさせました。しかし、映画とは違い、実際の死の風景、とりわけ末期から死、死後のプロセスは、家族には知らされず、実際に体験した場合、心身ともに大きな重圧がかかります。年間110万以上の人が亡くなる多死社会の日本において、家庭は看取りとは無関係な場所ではなく、もはや死の臨床といってよいはずですが、そのための環境や人材、作法など、その基盤はけっして充分なものとはいえません。遺族会、在宅ホスピス、そして家族による看取り…死と家族をめぐる3つの物語に学びながら、いのちを支えることの意味をともに考えます』(秋田光彦)

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