2010年11月28日日曜日

シンポジウム「生と死を、今考える」を聴講して

去る11月20日に相愛大学×府立急性期・総合医療センター連携シンポジウム「生と死を、今考える」に参加した。
最初に驚いたのは、病院の入口からシンポジウム会場に向かうまでに、案内文が各所に貼られていたが、公立病院内であるのに「死」という文字が躍っていたことだ。今、「生と死」ということについて真剣に考える時代になったのだと感じ、「死」を思うということが確実に我々にとって身近なことになってきているのだと思った。

 冒頭、相愛大学の記念コンサートがあり、リラックスしたところでシンポジウムが始まった。最初の基調講演では「がん治療最前線と緩和ケア、ターミナルケアの諸問題」で府立急性期 田中診療局長の話があった。まさに日進月歩のがん治療の最前線について具体的に話して頂き、ロボット手術など今後の新しい治療法についての可能性についてお聞きし、将来に希望を感じた。また緩和ケアについてはチームとしてのアプローチが重要であり、今までのように終末 = 緩和ケアではなくて、早期の段階から緩和ケアの必要性を訴えられた。最後に医療現場の現在の問題点として、外科医になりたい人が少なくなっており、人手不足で困っている、医師でなくても出来ることの負担を取ってもらえれば、と講演を締めくくられた。
 確かに医療の人材不足は大きな問題である。何でも専門家任せではなく、我々市民と医療側との相互理解が深まれば、またそのために今回のような市民講座を開催されたのであろうが、その必要性を感じた。
 2つ目の基調講演では相愛大学の釈徹宗教授が「スピリチュアルケアの可能性」について講演をされた。スピリチュアルケアとは痛み(ペイン)を取り除く作業ではなく、その人の死生観にかかわるものであり、自分という存在そのものに関する問いへの寄り添いである。また「宗教的ケア」と「スピリチュアルケア」は違うものであり、「スピリチュアルケア」は伝統宗教にコミットしない人たちに必要なものであるが、本来は伝統的な価値を持つ宗教をもっと活用すべきであると思う、と強調された。釈さんは「慈悲の瞑想」という言葉を出され、人間は「死」を活用して生きることが出来る。宗教には「死のイメージトレーニング」という役割を持っている。「もし明日、死ぬとしたら」とリアルに死をイメージする、そうして普段の自分の価値観の枠組みが揺さぶられ再構築していく、つまり日常を点検していく作業が必要である。また「つながり」と「共振」という言葉を出され、「共振」について、同じ生と死の物語を共有する人同士でないと、宗教の救いは語れないし、共振現象が起こりにくい。生と死を超えるリアルな世界は共振現象でなければ成立しないと言われた。
釈さんは最後にこれからの可能性として、3つのトライアングルがあり、一つはエビデンスに基づいた医療(EMB)、その相対的な概念としての患者の主観的なナラティブに基づく医療(NBM)、そして地域(NPOなど)と連携、関連し合うことで生まれる医療、この3つのトライアングルが響きあって、新たな、本当の意味での医療の連携が生まれるのではないかと提起された。
 やはり釈さんが最後に言われた地域コミュニティの連携なくして、再生は有り得ないと思う。それを取り戻すのは決してハードルは低くないが、コミュニティの構築が大切になると思った。スピリチュアルケアはマニュアルのない、一人一人が違ったペインを持っている。難しい領域だ。

 シンポジウムの最後として、「がん医療とこころのケア」と題されたパネルディスカッションがあり、大蓮寺の秋田光彦住職、チャプレンの打本未来さん、府立急性期 吉田緩和ケアチーム長が加わって交わされた。 チャプレンの打本さんは、患者さんと2時間近くのお話しの中で、その人の人生を振り返る作業(ライフレビュー)をし、その人の歩んでこられた人生はどういうものだったのか、その人が人生の過程でぶち当たった問題に対してどうやって解決していったのかを聞き、それを話の中で参考にすると言われた。また関係性が崩れてしまった家族の場合に呼ばれることが多いという。
 秋田住職は、緩和ケアとスピリチュアルケアは元来違うものであり、そして当事者を主体としたスピリチュアルワークを積み上げていくには、「地域」こそふさわしい。一人の人間として裸になって向き合わなければならない。地図で区切られた「地域」ではなくて、場所、立場は違っても、同じ問題意識や境遇で集まってくる「コミュニティ」の再編が大切である(例えばがんコミュニティ)。また、死に対する自覚がないまま、何でも病院にお任せする前に、まず自らの死生観を学ぶことから始めなくてはならない、「今」を考えて生きることが何よりも大切であると言われた。
 秋田住職が言われた、「痛みは、悼みとも通じる。悼んでくれる誰かと出会う、悼み、悼まれる関係を整えることが必要」というのが身に沁みた。コミュニティの再構築が本当に重要だと思った。一年に一回でいいから、まず身近な家族から、こういった死生観を話し合うことから始めてみてはどうだろう。

 最初にも書いたが、府立病院が「死」という課題に取り組み、シンポジウムを開催されたのは画期的な進歩だと思う。我々市民も一緒になって、もっと「生と死」、「死生観」について考える必要性を感じた。(浦嶋偉晃)

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