2009年7月2日木曜日

「枯淡の美学」は失われたか。         団塊世代の「老後」を考える。

■若い世代は 「負け組」 か

 いよいよ解散総選挙、日本の政局は混迷ぶりを極め、またまた日替わり人事の様相ですが、そのたびにいつも感心するのは、70歳を超えたであろう政治家のみなさんの飽くなきエネルギーです。権謀術数の渦巻く世界だからなのか国会中継で、腰が曲がった、しょぼくれた老人を見かけることはありません。
 一方で日本の若者は分が悪い。ワーキンプアだ、格差世代だ、といつまでたっても社会のお荷物観は払拭できません。15歳から24歳の失業率は10%を超えて、非正規雇用の若者は500万人を下らないといわれています。年収200万円以下が1千万人もいると聞いて、改めて「新・貧困の時代」を迎えていることを感じました。
 そもそも日本社会は、若い世代と高齢者の間に長く仕事のすみわけができていました。正規雇用は若者が担い、派遣や日勤は60歳以上が担うという暗黙の了解がありました。人口減少の時代に入り、この秩序が壊れ、 若者は仕事からあぶれ、大量の団塊高齢層が、「一生現役」を目指しています。乱暴な言い方をすれば、若い世代の安定が、社会の優先事項から見放されつつあるのです。
 もちろん団塊世代には、これまでの戦後日本を支えてきた自負もあるでしょう。いまの若者(自分の息子たち)を見て、歯がゆく思うところも大きいでしょう。しかし、若い世代の幸福を支えることは次の社会全体の、また団塊世代のためでもあることを、日本の高齢層は忘れてはいけません。それは少子化時代における一種の「世代責任」でもあると思います。

■理想の人生とは何か 

 古来、日本人には「枯淡の美学」というものがありました。だんだんと俗事から離れ、人格を極めていくような究極のライフスタイルです。 そこから、日本人特有の数々の「芸道」や、また「信心」も育まれたのではないでしょうか。いつまでも第一線にこだわらず、陽の当たる場所は若い世代に任せ、だんだんと自分のため、地域のために何ができるか、そういういい意味での「自分本位」に立ち返るべきだと思います。
 もちろん、老後は悠々自適といかない現実は分かります。 隠遁生活を勧めているのでもありません。むしろ、ここらで人生を見直し、現役時代にはできなかった思索や探求、親睦や遊山などを目指していく生き方はどうでしょうか。夫婦や親子、友人や仲間といった、人間関係の原点に立ち返ることもたいせつでしょう。 そして、その延長線上に、本物の信仰との出会いがあるはずです。
 應典院にしばしばNPO活動に励む高齢者たちが集まります。福祉や医療、あるいは生死の問題など自分たちの人生に直結した課題を、みなで語り合い、実践する人々です。そこには現役時代のような達成感はないかもしれませんが、会社や組織にはない、自己を起点としたつながりや思いの深まりが必ずあるはずです。
 これからの日本人の生き方から、人生の理想や倫理がにじみ出るものであってほしい。それもまた、若い世代に贈る「世代責任」なのです。(秋田光彦)

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